雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

浜松と遠州の歴史 1月8日(日) 「静岡の城」発刊記念トーク・セッション

2012年01月09日 13時22分47秒 | 浜松静岡郷土史
浜松と遠州の歴史 1月8日(日) 「静岡の城」発刊記念トーク・セッション(その1)

 2回か3回に分けて掲載します。以下、第1回目。

 浜松駅ビルのメイワン7Fで開かれた、谷島屋(メイワンの8Fが谷島屋です)主宰の」「静岡の城」発刊記念トーク・セッションに則子さんと出かけました。

 きっかけは新春に、雨宮ブログにメッセージ(メールです)が入り、サンライズ出版という出版社のNさんという方から、このお誘いがあったからです。

 ブログのにサンライズ出版発行の『静岡の山城 ベスト50を歩く』を紹介してあったので、それを見ての、お誘いのメールでした。

 お話は、この本を共著した加藤理文さん(磐田市の中学校の先生)と中井均さん(同志社大学・龍谷大学非常勤講師)です。

 メイワン7階は飲食店街なので、はて、あそこに小ホールかなんかあったかしら、と思いながら行くと、飲食店街の真ん中の広い通路のようなところに椅子を並べて会場にしていました。なるほど、という感じで、飲食店街に食べに来る人でも聞こえるので、興味のある人は聞いていきますね。

 6時半きっかりに始まったトークは、ものすごくおもしろくて、ためになりました。筆記した中から、要約でご紹介します。加「 」は加藤さん、中「 」は中井さんです。

 中「城を見ると元気になるが、人を見るとあがってしまう。加藤さんとはじめて会ったのが、袋井市の久能城の発掘現場に瓦を見に行った。その時の調査担当者が加藤さん。」

 加「20何年来のつきあい。昨年もけっこう一緒に行っている。ここ3年は韓国にある秀吉時代の「倭城」へ行っている。韓国のおととしは昼間の2時でマイナス2度。こんどサンライズ出版から「倭城を歩く」を出します」
 
 加「久能城のあと、水窪の高根城を、私が出身なので教育委員会から話があって、夏休みに、中井さんと5人で掘った。」

 中「天竜で「ここが最後のコンビニです」と言われた。お昼の弁当を買う場所がなくて、水窪の町で唯一のパン屋さんがチョコレートパンしか作っていないので、全員お昼はいつもチョコレートパンだった」

 「5年続けて、当時は南北朝の城と言われていたのが、16世紀の武田の城だとわかった。大きな考古学の成果だった。町が初めは「天守閣」を作るという話だったので、当時は天守閣はなかったので、ありのままに作るようにアドバイスして、町が5億円の起債をして建てた」

 加「高根城は、今は古びてきて、倒れそうな感じになって、うらさびしい昔の感じになった。昔の城は、何回も建て直すんだと言うことがよくわかる。浜松市が改築しちゃう前に、みなさん、行ってください」
 
 中「ぼくは、草ぼーぼー派。その建物は、なくなったという歴史があるので。戦国時代の防御の工夫を、1人で山城に行って、昔の人の工夫を見つけるのがおもしろい」

 加「最近の山は荒れて、入りにくい。4月になると、とくに。蜂やダニやヒルが出て」

 中「5月はじめのゴールデン・ウィークが最後のチャンス。夏は行かない。私は、ダニが入って、2回切開手術をした」


雨宮日記 1月8日(日) メイワン7Fで、谷島屋主催の山城講演会

2012年01月09日 05時31分31秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月8日(日) メイワン7Fで、谷島屋主催の山城講演会

 お正月の5日に、サンライズ出版の編集者の方からメールが来て、今日、静岡県の山城についての講演会が、メイワンであるので、来ませんかとのお誘いでした。

 最初「谷島屋本店」とあるので、てっきり連尺町のお店だと思っていたら、次女が谷島屋はメイワン店ができたときにメイワンを「本店」にしたのだと教えてくれました。

 あぶない、あぶない。連尺店へ行ってしまうところでした。

 5時半頃、則子さんと二人で家を出て、電車でメイワンへ。

 メイワンの7Fへ行くと、飲食店街の真ん中の広い通路に椅子を置いて会場にしていました。

 6時半からちょうど1時間、城の専門家、磐田市の中学教員の加藤理文さんと、京都の大学の先生で山城の専門家の、中井均さんの対談でした。

 どうかなあと思いながら行きましたが、2人のお話は、凄く面白くて、ためになりました。

 たぶん、現状の結論ではなくて、科学的に探求していくプロセスをその苦労とともに話してくれたからでしょうね。

 特にお城と桜の木の話は衝撃でした。都市伝説でしたね。

 きっかり1時間で終わったのは、さすが先生、でした。

 

雨宮日記 1月7日(土)の2 則子さんは5ヶ月ぶりの短時間の仕事に

2012年01月09日 05時14分00秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月7日(土)の2 則子さんは5ヶ月ぶりの短時間の仕事に

 新年の7日から、則子さんは8年前(たぶんそれぐらい)まで勤めていた「古巣」のたんぽぽ保育園に、毎週土曜日の朝7時から8時半まで、1時間半だけ、保母として仕事を始めました。

 介護の仕事を4月からしたいので、3月までの短期限定の仕事です。

 昨年末に、別の用事で、ぼくが車を運転して、たんぽぽに行ったら、すぐに戻ってこなくて、しばらくして「ごめん、おまたせ」と戻って来て「1月から、たんぽぽで土曜日の朝だけ1時間半働くの」と言うのですね。

 その時間帯だけ働く人がいなくて、園長のEさんが困り果てていて、ちょうど訪問した則子さんに相談したら「まだ、仕事してないからいいよ」ということのようです。

 ほんとに、則子さんって「困ったときの、則子さんだのみ」で、仕方なく、頼られて、する仕事と社会活動が多いんですよね、というか、それが全部でしょ。

 そういう則子さんとボクの30何年を、きちんと活字で残したいと思っています。資料もいっぱいありますし。

 基本資料は、まず、結婚してからの、則子さんとボクの手書きの「二人のノート」12冊ですね。

 これを全部、活字で復元すると、夫婦の心と肉体のヒダまでぜんぶ出てしまい、かなり恥ずかしいので、あくまで、限定公開です。

 それと、ぼくが則子さんにパソコンで書いた「○○○くんより○○○○さまへの通信」、これもかなりパソコンのファイルに残っています。

 ☆

 午後、則子さんに聞いたら、同僚は昔なじみのKさんでした。子どもは?と聞いたら、昔より、元気がないみたいな感じ、とも。

 

 

浜松・放射線量測定情報 自宅定点 1月7日(土)、8日(日)

2012年01月09日 04時57分03秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 自宅定点 1月7日(土)、8日(日)

 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h (マイクロシーベルト/時)
 測定回数:スイッチオン後10回(1分40秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、20回観測
      11~20回と21~30回に分けて結果を表示します
      (注:昨年は10回パスして10回観測でしたが、今年1月5日(木)から         20回観測に切り替えました。)
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者 :特記ないかぎり雨宮智彦

2012年(平成24年)1月7日(土)14時51分、快晴、風あり

 11回目から20回目まで10回計測
  平均値 0.045 μSv/h  
  最大値 0.051 μSv/h
  最小値 0.040 μSv/h

 21回目から30回目まで10回計測
  平均値 0.049 μSv/h
  最大値 0.054 μSv/h
  最小値 0.044 μSv/h

 20回の合計
  平均値 0.047 μSv/h
  最大値 0.054 μSv/h
  最小値 0.040 μSv/h
 

2012年(平成24年)1月8日(日)14時24分、快晴、風あり、暖かい、このところずっと雨が降らず、乾燥しています

 11回目から20回目まで10回計測
  平均値 0.054 μSv/h
  最大値 0.059 μSv/h
  最小値 0.047 μSv/h

 21回目から30回目まで10回計測
  平均値 0.054 μSv/h 
  最大値 0.057 μSv/h
  最小値 0.049 μSv/h

 20回計測の合計
  平均値 0.054 μSv/h
  最大値 0.059 μSv/h
  最小値 0.047 μSv/h

 「果てしなき監視(ネバーエンディング・ウォッチ)」は、すくなくとも直近の距離40kmの浜岡原発と、北西風のときに危ない福井県の原発群が停止・廃炉にされるまで続ける予定です。

 ☆1月13日(金)に表示方法とデータ修正しました