雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 10月19日(土) ボクは曳馬歴史の学習会、則子さんは観劇

2013年10月20日 08時41分55秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月19日(土) ボクは曳馬歴史の学習会、則子さんは観劇

 ボクは、家の近くの曳馬公民館(協働センター)で開かれた「曳馬地区の歴史を学ぼう」の「第1回 曳馬の歴史」に参加しました。主催は「曳馬郷土史研究会」だそうです。

 第1回の講師は浜松市文化財課・課長補佐の太田好治さん。話は「浜松」の語源「濱津」と「ひくま」の街の変遷で、伊場木間の話、倭名抄の話、古東海道と古姫街道の話など多岐にわたり、おもしろかったです。

  ☆

 午前、娘を曳馬駅まで車で送り、夜は、則子さんが篠原町の「劇団からっかぜ」のアトリエ公演を観にいくので、車で送りました。「帰りはJR高塚駅から電車で帰るから」と言ってました。

 夜9時半ごろかな則子さんの携帯から電話があって「高塚駅の場所がわからなくて、鉄道の上を走る高架道路の下に迷い込んじゃって」と電話がありました。

 『迷子の迷子の則子ちゃん、あなたの居場所はどこですか?小犬に聞いてもわからない、子猫に聞いてもわからない…』

 「もう飲んでるから、探しには行けないよ」

 結局、則子さんは高塚駅へ行くのはあきらめて、その場所(なんとか伝わった)でタクシーを呼んで浜松駅まで行き、遠鉄電車で帰ってきました。

 ◎写真は東区中田町にて撮影


遠州の遺跡・寺社・地名 115 浜松市北区引佐町「北岡大塚古墳」

2013年10月18日 20時16分01秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 115 浜松市北区引佐町「北岡大塚古墳」

 北区引佐町の「前方後方墳」に行ってきました。古墳の位置は「稲佐総合公園」の北西、「稲佐変電所」の北側、「北岡」の山の上です。

 ぼくと則子さんは、「北岡大塚古墳」という看板の出ていた、道路の横の小スペースに軽自動車を止めて山道を登っていきました。

 山道を登って、山の南側を東へ回って行くと、頂上近くで西側に、なんと「墓地」になってます。その墓地の北側の道を西へ入っていくと奥の林のなかに「北岡大塚古墳」があります。ただし、囲われているので、古墳の東から「後方部」を眺めるだけです。

 いまのところ、天竜川西の西遠地方では最古の古墳と推定されています。保育社から発行された『日本の古代遺跡 1 静岡』(1982年、たぶん絶版)には、発掘当時の古墳からの景観写真が掲載されていて「都田川流域を一望できる地に築造された」(p219)、「その立地は井伊谷(いいのや)の盆地だけではなく、都田川中・下流域の平野から、浜名湖や三方原台地までのぞめる地点にあり、浜名湖沿岸地域にはじめて出現した巨大な首長墓にふさわしい土地をえらんでいる」(p220)と書かれています。

 古墳と隣接する現代の「墓地」。もしかして、この古墳に祭られている豪族の現代における末裔たちの「墓地」かもしれない。この「墓地」のお寺はいったいどこなのでしょうか?ぼくたちは南西から登ってきましたが、この墓地へは東や北から道がありました。

 この古墳は1979年(昭和54年)に地元の古代史愛好家が発見し、1980年にまだ合併米の引佐町教育委員会と辰巳和弘さんが発掘しました。

 前方部から後方部(葬られた主体)を見る方向は、ほぼ東です。つまり、東向きです。全町46.5m。東の後方部は1辺が26.5mで、高さ3.6m。西の前方部は1辺が20.0m、高さ2.0mです。

 葺石や埴輪はなくて、浜松市発行のカラーパンフ『浜松の古墳めぐり』(2008年)によれば「古墳時代前期中頃、4世紀前半代の築造」(p42)とされています。

 さらに同パンフでは、48ページの「天竜川流域・都田川流域の古墳編年表」で、都田川流域の古墳のはじまり「北岡大塚古墳」、天竜側東岸の古墳のはじまり「磐田市 小銚子塚古墳」、磐田原台地南部の古墳のはじまり「稲荷山古墳」がいずれも、同じ4世紀初めの同時期に作られ、しかも前兆が北岡大塚46.5、小銚子塚=47,稲荷山=46,とほぼ同規模です。

 つまり、同規格でつくられた?もう少し踏み込むと、同じ、技術者集団が作ったと言ってもいいのでは?

 なお、ネットで見ると「磐田市 稲荷山古墳」の情報は「前方後円墳」「前方後方墳」で、ひじょうに混乱しています。もうすこし、調べます。

 

 


遠州の遺跡・寺社・地名 114 東区上西町の「富士神社」東向き

2013年10月17日 21時11分35秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 114 東区上西町の「富士神社」東向き

 この前、探査に行ってきました。東区上西町の神社です。東向きでした。つまり、お参りをする庶民は真西、夕陽の方向を拝みます。

 祭神は「木之花咲耶姫命 このはなのさくやひめみこと」です。この「コノハナサクヤヒメ」は、富士山の火山信仰と関連して、東海から関東に分布する神だと思っていますが(ちゃんと調べてないけど)、とすると、疑問がわきます。

 『古事記』『日本書紀』では、誰が見ても「西日本」、たぶん「九州」に「天孫降臨」したニニギが現地の豪族の娘、コノハナノサクヤ姫と結婚した家系が天皇家の始まりです。

 同じ「コノハナノサクヤヒメ」ですが、一方は九州、他方は東海から関東、「同名」だから「同じ神」というのは早計、即断ではないでしょうか?

 こういう疑問を最初に文章として述べたのは、たぶん、古田武彦さんと思いますが、違っていたら、ご教授ください。

 むしろ、こういう推定が成り立つのではないでしょうか?

 日本古来の「聖なる山」である富士山の神、「コノハナノサクヤ姫」の聖性は、古代人の誰も否定できないので、7世紀の『古事記』『日本書紀』創作者は、日本列島の本来の支配者「山住の神」とその長女「コノハナノサクヤ姫」を、アマテラスからの系譜の下に、「結婚して」「従属した」という説話で組み込んだ、と。

 『古事記』『日本書紀』が「創作小説」ではなく「伝承」「説話」の集大成(盗作)であることの証明は、古田武彦さん著『盗まれた神話』(ミネルヴァ書房から201年に復刊、2800円+消費税)を参照してください。

 なお古田武彦さんの「『東日流外三郡誌』は偽書ではなく真実の古文書である」という説は真実ではないとボクは判断します、念のため。どうか、誰が言っているかではなく、その人が言っている内容で個別に判断していただきたいと思います。カール・マルクスさんの言うことでも、まったく同じです。

 

 


雨宮日記 10月17日(木) 火山灰地の「山津波」

2013年10月17日 14時54分39秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月17日(木) 火山灰地の「山津波」

 「この世界では(この日本では)、想定をはるかに上回る現象が起きる場合がある」ということを実感しました。

 大雨だけではないですね。大雨と火山島の火山灰地での「泥流」=「山津波」がまさに「海津波」のように市街地を襲いました。

 というより、そういう「海津波」の場合の低地、「山津波」の場合の斜面の火山灰地の下に住宅地=市街地を作ってしまったこと、その是非も問題になるでしょうね。

 「どうやって山ができるか」「どうやって平地が出来るか」など、地質学的な常識に、行政も市民も無知であることが根本問題ではないのでしょうか?

 「避難勧告」「避難指示」を出したかどうかは、「後知恵」での論議のように思います。

  ☆

 午後、上島付近を車で走っていて、すごい爆音、それもかなり急にキーーんと高音がでてくるあの音。ファントムだともっと重低音だけです。これは航空自衛隊の一番騒音がうるさい戦闘機F15だろうと思って見上げたら、やはり見慣れた2本の垂直尾翼、F15でした。

 浜松基地の航空祭「エアフェスタ」が日曜日なので、日曜日まで、毎日うるさいです。

 うるさかったら電話で抗議しましょう、浜松基地に。電話で「なんとかしろ」「やめさせろ」と浜松市に伝えましょう。

 


雨宮日記 10月16日(水) 朝に台風は通過しました。風だけ残って

2013年10月16日 21時58分39秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月16日(水) 朝に台風は通過しました。風だけ残って

 雨戸をすべて閉めて寝ました。

 抱っこして寝るいちゃいちゃ関係はありますが、最近は、直接的性関係はありません。仲良し夫婦の文献を読んだら「セックスレス」というのは直接的性関係だけでなく、タッチングも含めて、「広いセックス」解釈だそうですので、お互い、それで満足していればいいそうです。ちょっと安心!

 前回の台風では、すごい吹き付ける風雨で目が覚めたのですが、サクヤ(コノハナノサクヤ姫とは関係ないです)は、朝5時半までぐっすり則子さんの横で寝ていました。

 目が覚めたら静かなので、雨戸を少し開けたら、雲はありましたが、雨はやんで、予報通りでした。

  ☆

 則子さんは朝食と家族のお昼を作り、朝8時半過ぎに出勤。

 ボクは、午前9時半出発で、父が遠州病院で受診するので運転手とつきそいです。先週、採決と採尿した結果をお医者さんと相談します。13年前に「前立腺ガン」の疑いがあり、それからずっと注射とクスリで治療しています。

 遠病の上の階の駐車場に入れて、エレベーターで1Fに下りて、受付にいったら、あれ、今日はなんだか人が少ない。あ!台風で、これない人も居るのか?

 結果はいつもどおり。ホルモン注射を続けるかどうか、お医者さんと耳の聞こえない父と、筆談で書くボクと3人で、なかなかコミュニケーションが大変な相談をしました。結論は、当面、ホルモン注射(3ヶ月に1回)を続けるということで。

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 今は、ぼくは朝は食べないので、楽をしていて寝ているか、パソコンに向かっていて、則子さんに父の朝食はおまかせで楽をしています。父のお昼と、父の夕食がぼくの責任範囲です。

 則子さんの仕事は、今午後6時までなので、なかなか「家族の食事」もたいへんです。

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 夕方から、テレビの「伊豆大島」災害を見ました。海からの「津波」に匹敵するような「山津波」という感じでしょうか。住宅などかんたんに流される凄いエネルギー。

 人間って、自然の偉大さ、すごさへの感覚を失ったのでは?という思いです。

 それと、国や東京都や自治体の「想像力」のなさですね。今回、大島町では、避難勧告も避難指示も出ませんでした。気象庁から東京都や大島町に電話がいったのに。

 そして、大島町長さんも副町長さんも、不運にも「出張」だったそうです。出張するなら、「君が町長や副町長のいない時間の責任者」という指示もなかったのでは?

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 (以下は、家庭内検閲によって削除されました)

 


古代史を考える おいしい「ぜんざい」は出雲が発祥の地か?

2013年10月15日 20時15分13秒 | 古代史を考える

古代史を考える おいしい「ぜんざい」は出雲が発祥の地か?

 さっき、午後7時半からのテレビ(局名も、番組名も不明)で、おもしろい古代史情報をやってましたので、特報です。

 「ぜんざい」と「おしるこ」の違いなど諸説ありますが、とにかく「ぜんざい」は、小豆(あずき)をお砂糖で甘く煮て、お餅やお団子や栗などを入れた食品、ということでしょうか。

 出雲では、日本全国の神々が全国では「神無月(かんなづき)」という旧暦の10月に出雲に集まるので、出雲では「神在り月(かみありつき)」です。

 この「神在り月 かみあり」を音読みすると「じんざい」となりますが、出雲で、この「神在月」に出されるごちそうが「じんざい」で、これがなまって「ぜんざい」となったと言ってました。

 文献的根拠があるかどうか、調べてみます。日本における「お砂糖」の使用の歴史とも関連するんでしょうか?

 いま「ぜんざい 出雲」で検索をかけたら、ビックリ!なんと「出雲ぜんざい学会」がヒットしました。

 「出雲ぜんざい学会新聞」も発行されています。おもしろい!

 ま、だからといって学問的根拠と言うことではないですが、一人ひとりで確認してください。

 ぼくも、これから検討して、自分の考察をアップします。最低限言えるのは、「出雲」という地域が中国・朝鮮との関係で、東アジアの先進的「薬学」の集積地となっていたということです。

 甘い「お砂糖」の「クスリ効果」が出雲に伝わっていてもおかしくありませんが、古代日本の「砂糖」は何から取ったんでしょうか?

 縄文時代や、弥生時代に「砂糖」は、あったのかな?古墳時代は?

 次回の「古代史を考える」は、テレビドラマ「あまちゃん」の考察です!なんで「古代史」と関係あるの?と疑問をもったあなた!「古代史」は「あま」に満ちています。東海の古代史も「あま」でいっぱいです!

 

 


「浜松台風速報3」 10月15日(火)午後8時07分 夕方くらいの風雨

2013年10月15日 20時07分26秒 | 雨宮日誌

「浜松台風速報3」 10月15日(火)午後8時07分 夕方くらいの風雨

 午後8時現在、浜松では風雨とも夕方の状態が続いています。雨は切れ目なく降っていますので、明日までの馬込川の増水が心配ですが。

 台風が浜松に再接近するのは午前4~5時頃でしょうか?明日は則子さんは午前9時から勤務だし、次女はお昼から遅番、ボクは父のお供で午前10時に遠州病院に車でいかないといけないのですが、まあ大丈夫でしょうか。

 「10年に1度の強い台風」ですので、風雨が急変化したり、ひどくなったら「速報」します。

 停電の前に、お風呂に入っておかないといけませんね、みなさん。

 則子さんがボクに今、言いました。「智彦くん、酔っ払って寝ちゃったら、台風速報書けないでしょ?」と。いえ、まだそんなたくさん飲んでませんよお。


「浜松台風速報2」 10月15日(火)午後3時 雨風少し強く

2013年10月15日 14時57分31秒 | 雨宮日誌

「浜松台風速報2」 10月15日(火)午後3時00分 雨風少し強く

 雨はときどき、かなり強くなります。風もかなり強く吹くようになりました。

 「10年に1度の強さの台風」だそうですので、則子さんも次女も仕事で夕方まで帰らないので、飛びそうな小物を玄関にしまって、鉢植えはできるだけ飛ばないように密集させて、2階のベランダの物干しは、畳んで横にしました。

 後で、自転車などは横にしようと思います。

 夕食の材料を買いに行き、コジマ電器にも寄ってプリンターのインク(黄・薄青・黒)を買いました。

 今度の集会での展示用に、福島現地調査の写真を10数枚、A4でプリントアウトしました。

 台風は今のところ、深夜から早朝に遠州灘沖を通過し、関東上陸かかすめる感じのようです。

 


遠州の遺跡・寺社・地名 113の3 「山幸」補遺

2013年10月15日 11時08分36秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 113の3 「山幸」補遺

 豊玉姫は「四ヒロワニ」と書きましたが、「ワニ鮫」つまり「サメ」説もあります。「ワニ」では日本にいないので、「サメ」の方があり得ますね。

 いずれにしても「水棲動物」の化身ということです。


本と映像の森 258 キューブリック監督映画『博士の異常な愛情』

2013年10月14日 20時27分49秒 | 本と映像の森

本と映像の森 258 キューブリック監督映画『博士の異常な愛情』

 たぶん、スタンリー・キューブリック監督の一番有名な映画は、アーサー・クラークさん原作の「2001年雨中の旅」でしょうね。2001年から12年も経ったのに、未だに月面基地もできていないし、民間人が乗船する宇宙旅行機(映画の冒頭で「美しく青きドナウ」のメロデイに乗って宇宙ステーションに接近するあの機体です、それはアフリカの猿人が投げ上げた野生ブタの骨の「化身」です(ごめんなさい!映画を観てない人はなんのことか…)。

 「2001年」が完成し、ぼくもわざわざ東京まで見に行ったのは、1968年、ぼくが高校生の時でした。なぜ、その時、見に行ったかと言うと、当時、ぼくは高校の「地学部天文班」で、今、テレビアニメでやっている「宇宙兄弟」のような「天文宇宙少年」だったからです。

 自伝はともかく、解釈定かでないというか「誰にもわからない映画」「監督もわかってるのか映画」「映画自体が謎」と言われた「2001年」でした。

 それに比較すれば、1963年完成の映画「博士の異常な愛情」は、ものすごくわかりやすいですね。つまり、帝国主義陣営と社会主義陣営の「冷戦」「核兵器冷戦」で、「米戦略空軍核基地」の司令官が狂ったらという想定です。

 自分の「過去蓄積」を、すべて調べ直して、ビデオや録音や8割、いや9割くらいは捨てて、残ったなかの1作品(VHSの1本)のビデオテープがこれです。今となってはどこから、録画またはコピーしたか不明。映像はとても鮮明なので、昔むかし、VHSテープからVHSテープへの「コピー」システムを保持していた頃に、誰かから借りてコピーしたのかもしれません。

 DVDでも販売されているので、見てない方は、購入推薦します。

 「現代の狂気」をリアルに再現していて、非常にコワイ映画です。

 核兵器の問題だけはないのですね。2013年のいまも「核平気」な人もたくさんいますけど。たとえば「水道水のフッ素消毒」あるいは「体液」の問題…うわ!すごい下劣。

 ① とんでもない体制を両側で作っているソ連とアメリカの両側の問題。酔っ払いの「ソ連首相」

 ② ソ連を前面核攻撃するために部下のB52機に「核攻撃」を司令するアメリカ空軍基地の「反乱」司令官、彼は「アメリカ人の体液を守るため」という

 ③ 国防省での緊急会議で元ドイツ人の「ストレンジ・ラブ博士」は、全面核戦争から生き残るために深い地下の元炭鉱に「生き残り要員」を選ぼうという。そして。男性1にたいして女性は10だという。

 だんだん、こういう「狂った」世界に気分が悪くなってきました。結末は、映画を観てください。

 監督は、人類の「終末・狂乱」に絶望して、この映画を作ったのではなくて、人類の、ありえる細い未来を信じて、この映画を作ったと思います。

 細い糸のように、未来を信じて、狂った基地司令官のもとにいたイギリス軍将校は、大統領に、B52を呼び戻す暗号を伝えようとします。

 基地の公衆電話で必死で大統領に連絡をとろうとするが、小銭が足りない!彼を「主犯」と勘違いして基地から連行しようとする攻撃軍司令に「大統領に連絡できなくて核戦争になったら、おまえの責任だ!」と脅迫して「そのコーラの自動販売機を銃で撃って小銭をくれ!」と。

 小銭は販売機から放出されて、電話も大統領に通じて…、すべての核攻撃機が攻撃目標から引き返したと、ホワイトハウスが思った瞬間。ソ連首相から電話が入ります。

 「1機が撃墜されていないし、引き返していない。このまま攻撃されたら、ソ連の「みなごろしシステム」が作動して、地球上が致死的な放射能でおおわれる」と。

 「人類に未来はあるのか?」が、その深い底で、基調を流れているテーマ音楽です。それは「2001年」でも同じだと思います。

 ただ、それは「2001年」に直接、受け継がれるわけではなく、そこに「2001年」が論議を呼んだ、一因があるのではないでしょうか?

 あまり、明確ではないですね。たぶん、監督やクラークさんでも明確ではないと思います。今、思いついたので、また項目を改めて考察します。

 「絶望がなければ希望もない」あるいは「希望がなければ絶望もない」

 

 


雨宮日記 10月14日(月) 明日~明後日「台風速報」を書きます

2013年10月14日 19時52分42秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月14日(月) 明日~明後日「台風速報」を書きます

 今日は、則子さんが「家にいつも居るから、たまには気分転換をしなさい」というので、則子さんと政治コントを聞きに行きました。松元ヒロさんという方の独演です。もの凄く面白くて、1分間に1回以上はみんな笑っていました。ただし、政治をたっぷり盛り込んであるので「テレビでは上演不能」というよりこれをやらせてくれる勇気あるテレビ人やテレビ局はいないのです。聞いて、納得しました。

 馬込川に、今年1番の冬の使者(いや秋の使者か)、北からの渡り鳥が来ていました。いつも、カルガモとオオバン1匹とウしかいない水鳥ですが、なんと毎年多数飛来するヒドリガモの第1陣、10羽(5つがいかな?)が泳いでいました。

 秋の花たちが道端にたくさん咲いたり、秋の草の実がたくさん実っています。家の垣根のマキの木は緑や紫の実をつけていました。則子さんは「ヤン坊、ニン坊って言うのよ」と言ってました。

 台風が接近していて、また東海~関東を直撃しそうです。明日は雨、明後日は「暴風雨」と予報が出ています。

 そこで、明日と明後日は、できるだけ多数回、リアルタイムで浜松から「はままつ台風そくほう」をSBO(ステイション・ブラック・アウト、全電源停止)で「発信」不能になるまで、お送りします。

 則子さん、ロウソク、買ってありますか?

 


雨宮日記 10月13日(日) 十軒町も秋祭り…でも暑い秋祭り

2013年10月13日 21時36分12秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月13日(日) 十軒町も秋祭り…でも暑い秋祭り

 浜松市内も、10月はあちこちで秋祭りです。十軒町も昨日、今日と、秋祭りで「雨宮夫妻の外務大臣」である則子さまは、日曜日の今日、朝から夕方まで、祭りの手伝いででかけました。ごくろうさま。「祭りは好きでない」ので「絶対行かない夫」で、ごめんなさい。

 むかし小学校高学年になった長女が踊った「三浦神社」の「舞」(可愛い写真が残っています)も、来年は、できるかどうか?微妙なようです。女の子はいても、マンションなどで参加が減っているようです。

  ☆

 今日、やっと忙しくてできなかった、今年夏の「原爆と人間展」の3カ所のまとめた感想集を完成しかけて、10p、プリントアウトしました。則子さんの点検とOKが出れば、あとは印刷して、ホッチキスでとめて、必要なら背に紙を貼って完成です。

  ☆

 この間、録画したビデオテープ(VHS)をかなり捨てたのですが、数%、つまり100本に5本くらいは残しました。それを1階の居間のビデオを見れる部屋で、少し見ました。

 うわ!むかしというか、20年前、30年前?こういう映像を見たんでしょうね?かなり、記憶が飛んでいます。

 ここ数日、見たのは「博士の異常な愛情」「11人いる!」「角川版 幻魔大戦」「未来少年コナン ギガント」などなど。

 発掘した、ぼくたちの「結婚式」テープや、記憶にある「アトミックカフェ」などは、まだ見ていません。 


遠州の遺跡・寺社・地名 113 浜北区於呂神社(その2)ヤマサチ

2013年10月13日 20時30分56秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 113 浜北区於呂神社(その2)ヤマサチ

 前回の(その1)で、於呂神社の祭神が「天津日高日子穂穂出手見命」、カタカナで書くと「アマツヒコホホデミノミコト」であることを書きました。

 「日本神話」を知らない方のための説明。この「天津日高日子穂穂出手見命(アマツヒコホホデミノミコト)」はアマテラスの孫のニニギノミコトが「九州のどこか(もちろんボクは北九州・博多付近の海岸説)」に「天孫降臨」して現地の豪族の娘という「コノハナノサクヤ姫」を娶って生まれた3人の息子の3男です。

 長男が海の支配権を持つ「海幸」で、次男は不明、3男の「ホホデミミ」が「山幸」です。この山幸が、兄の海幸の「釣り針」を借りて慣れない釣りをして、兄から借りた「釣り針」をなくして兄に「あの釣り針を返せ」と追求されて、海岸でどうしようかと(自殺しかねない勢いで)泣いていたら「塩土の神」というオッサンが来て「私が小舟を作ってあげるから、この小舟に乗って漂って着く「ワタツミの宮」に行って相談しなさい」と助言される。

 その「ワタツミの宮」に漂着して「海神の娘・豊玉姫」と出合って結婚して、夢のような3年間がすぎる(ちょっと浦島物語に似てますね)。

 3年後に「兄から借りて亡くした釣り針」を思い出して(遅いよ!3年間、釣り針を飲んで苦しんでいたお魚くんに謝りなさい!)、姫に話すと、姫は魚たちの中で「赤鯛タイ」が苦しんでいることをつきとめ、釣り針を取り戻しました。

 ふるさとに戻るという山幸に、姫は「潮満つ玉」と「潮干る玉」の2つを渡して、これで兄と闘って地上の支配権を勝ちとりなさいとアドバイスします。

 姫の言う通り(ちょっと海神の娘の言いなりで、情けない状態?)にして海幸を支配した山幸のところへ、なんと豊玉姫が「あなたの子どもはこの地上で産みたい」と言ってやってきます。

 海岸に豊玉姫の「産屋」を建てて、言わなきゃいいのに夫に「私のような地上の国でない者は子どもを産むときはふるさとの姿に変わるので、絶対に、あなたは産屋を覗かないでね」と。これは「覗きなさい」と命令しているようなものですね。

 似たような状況は、日本神話のもっと昔、イザナギとイザナミの話、そして、現代戯曲で木下順二さんの「夕鶴」がありましたね。

 そんなこと言われたら、男としては、「のぞき」趣味はなくても、妻の秘密は知りたいよ!…覗いてしまった山幸が見たのは、妻は「四ヒロわに」でした。

 妻は恥辱に、子どもだけを残して「海神の宮」へ帰ってしまいます。

 「四ヒロわに」が何なのか諸説ありますが、とにかく、「わに」「ヘビ」「竜」などの海中動物のたぐいです。そういう意味では、古代天竜川の「竜」伝説、と関連が見いだせます。

 あるいは坂上伝説の「有玉」伝説の、水をコントロールする「玉」は、あきらかに、『古事記』『日本書紀』の「2つの玉」と同じような物です。

 そして、この豊玉姫が産んだ男の子が「ウガヤフキアエズノミコト」で、彼が結婚したのが豊玉姫の妹、彼からは叔母さんになる「玉依り姫のミコト」で、生まれた4人の男の子の4男が、後の「神武天皇」です。

 「え?神武天皇なんか、8世紀のヤマト朝廷が創作した「小説の主人公」でしょ?と思っている方もあると思います。

 また、ちゃんと詳論を書きたいと思っていますが、まるで19世紀や20世紀の小説家が登場人物を創作するように、8世紀の古代日本国家の官僚あるいは文化人たちが、「主人公を創作」できたと思うのは、「古代と現代の同一視」「古代人の精神と現代人の精神の同一視」で、ありえないことだとボクは思っています。もちろん、古代歴史学界では証明されていないことですが。

 かなり、権威ある説ですからね。やっと「古代日本」で「創作小説」ができたのは、なんと11世紀、8世紀から300年後の日本古代史後期、藤原氏全盛期になってからです。

 もちろん、ムラサキシキブさんの小説『源氏物語』あるいは、『竹取物語』などが出てからです。

 『古事記』や『日本書紀』を、日本最初の「神話小説」などという概念は、誰も証明してないと思いますが、流通だけはしていますね。ぜんぶウソではないでしょうか?

  ☆

 この浜松市浜北区於呂の「於呂神社」の祭神が「山幸」であるというのも、何らかの古代的真実を告げている可能性を、ぼくは考えたいと思います。もちろん、そうでない可能性、古代から以後の現代までの時代での、単なる九州からの「移転」も否定はしません。

 

 


遠州の遺跡・寺社・地名 113 浜北区の於呂神社(その1)

2013年10月12日 22時05分37秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 113 浜北区の於呂神社(その1)

 以前に 遠州古代史 6月6日 地名編1 浜北区「於呂(おろ)」 2011年06月07日 07時03分29秒 | 遠州古代史 を書きました。

 そこでは「於呂」は「オロチ」、つまり「ヘビ」であって、宮沢賢治さんの「寒さの夏」に「オロオロ歩く」のは、ヘビがクネクネ歩くことから来ているという「名論」「迷論」を展開しました。

 だって、古代の旧「天竜川」は、ヘビの伝説に満ちていますからね。

 ようやく、その現地の「於呂神社」に行きました。

 第2東名のすぐ南です。

 かなり境内は広く、駐車場が、神社の近くで、遠くに鳥居があって、鳥居まで歩きました。神社は「南面」で、つまり鳥居から神社を拝むと北の方角です。

 行って見てびっくりしたのが、祭られている「祭神」が「天津日高日子穂穂出手見命」、カタカナで書くと「アマツヒコホホデミノミコト」です。

 別名の方が有名ですね。別名は「ヤマサチ」で,日向から進発して、ヤマトを征服した「神武天皇」の祖父です。

 このあたりの古代史と神話史の交錯する時間を、いずれ書きたいですが。

 問題は、なぜ「ヤマサチ」が、この遠州にいるの?

 歴史への疑問はつきませんし、謎は、まだまだ続きます。