雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 10月12日(土) 知らぬ間に「70万ヒット」ありがとう

2013年10月12日 21時48分26秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月12日(土) 知らぬ間に「70万ヒット」ありがとう

 知らぬ間に、70万ヒットを越えていました。みなさま、ありがとうございます!間歇温泉のように、「雨宮日記」以外は、原発も古代史も経済学も、不定期で更新していて、すみません。

 要するに「ウイングを広げすぎ」なんですね。まあ、これが「専門がないのが専門」あるいは「ジェネラル・スペシャリスト(総合専門家)」を自称しているので、しょうがないですね。

 もしかしたら、「何もかも、わかっていない」かも知れませんが。あるいは「どれも理解が中途半端」かも。

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 昼間は、全国で「真夏日」なのに、夜はあっという間に、半袖では寒いくらい涼しくなりました。

 則子さんが家にいると、かなり食事のおかずを、何品もつくり、傍で見ていて「もういいでしょ?」と思うくらいなのですが(もちろん「もういいでしょ」などと口には絶対、出しませんが)、ぼくがすると、かなり手抜きで、父にすると「これだけか」と不満でしょうね。

 則子さんが午後6時までの勤務だったので、ぼくだけ先に6時10分頃、『資本論 第2部』学習会会場のカギを持って会場へ。則子さんは、なんとか開始時間に間に合いました。

 今日は「第1編」の復習会で、ぼくが後半を担当したので、四苦八苦(4989)して、レジュメを作りました。でも、やはり、自分で苦労して報告するのは、学習の力になりますね。

 

 


雨宮日記 10月11日(金) 10月なのに「近づくと暑いよお!」

2013年10月11日 21時41分19秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月11日(金) 10月なのに「近づくと暑いよお!」

 ものすごい異常気象。全国で10月の「真夏日」を更新しているようです。

 わが家も暑い!

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 則子さんが朝食は用意してくれるので、朝はうつらうつら寝ています。お昼は、典子さんはいないので、父の昼食を準備します。今日は、ぼくは「1日1食、夕食だけにして、みました。

 午後、逢う人との会談を終えてから、浜北の神社へ。

 父とぼくの夕食を準備して食べ終わったら、長女から電話が来たので、運転手で行きました。

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 夜、経済学の文献を読んでいて、ケネーの経済表の解明をしました。わかったあ!明日の学習会で報告します!

 


雨宮日記 10月10日(木)補遺 午前11時過ぎ、すごい爆音だった

2013年10月10日 22時14分07秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月10日(木)補遺 午前11時過ぎ、すごい爆音だった

 家にいた午前11時過ぎ、いつもの、航空自衛隊浜松基地のT4の爆音ではなく、もっと重低音のすごい爆音が聞こえました。

 わが家からは音だけ聞こえるので、カメラをひっつかんで、馬込川の堤防まで走りました。

 そして、少し北を東から西へ飛行する「原因」を見付けました。

 以下、姉妹ブログの「ピース浜松」に掲載しますので、そちらを参照してください。ぜんぶ、ひとつの「雨宮ブログ」に詰め込むと、分け分からなくなりますので、分散させています。

 検索「ピース浜松」でヒットします。

 


雨宮日記 10月10日(木) 則子さん「仕事第2日」、疲れたようです

2013年10月10日 21時55分07秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月10日(木) 則子さん「仕事第2日」、疲れたようです

 最愛の妻、則子さん(「最愛でない別の妻」はいません、1人だけです)の、介護施設の仕事への復帰第2日です。

 家から近い職場なので、自転車で朝、出掛けて、午後6時過ぎに帰宅でした。まだ勤務形態は不確定ですが、週5日勤務、2日休みだそうです。

 家に居るのは、90才で耳が聞こえない、脚はまだなんとか歩ける父と、ぼくと妻と、火曜日~土曜日通常勤務なのに「パート」労働者の次女の4人です。

 やはり、父の食事やお世話がたいへんです。ぼくや次女はなんとでもなるんですが。そういうj「家族同士介護」の話は、またちゃんと書きたいと思います。

 昨夜の夕食は、手を抜いて、「クスリの×××」の中にある「知久屋」に「総菜」を買いにいって、父の食事にしました。

 もちろん、それ以外のオツユなんかは、ボクが作ります。

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 やはり、働き出すと、これまで則子さんや2人でしていた「ボランテイア活動」も大変になるので、ぼくが1人でしていかないといけないかな、と思います。則子さんと相談して、していきます。

 さっき、久しぶりに、炊飯器のセットをしました。お米ひつから、3合半、お米を測って、水道水で何回か洗って、水を3合半の水準に入れて、炊飯器の「予約」をおします。「炊飯」のスイッチがパカパカしていたので、これ、押すのかどうか、則子さんに聞いたら「押せ」ということなので、押して、明日の午前6時に予約完了。

 慣れればなんでもないのですが、慣れない家事はたいへんです。

 まだ、父が意識明快で、なんとか歩けるので、食事も自分でするし、お風呂も自分で入るし、新聞は玄関まで自分で取りに行って自分で読むし、そんなに「介護」は大変じゃないですけど、「歩けなく」なったら、大変だろうな、と思います。

 父は、「秋から、自分史の続きを書く」そうです。90才の人生としては、充実していて、すごいと思いますが。

 


雨宮日記 10月9日(水) 土曜の原稿を作るのに、運転手で忙しい

2013年10月09日 20時49分41秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月9日(水) 土曜の原稿を作るのに、なぜか運転手で忙しい

 昨日は「寒露」でしたが、暑くて「暖露」でした。台風が沖縄から対馬・日本海へ抜けてから、急に涼しくなって秋になりました。アオマツムシが樹上で鳴いています。

 5日(土)の学習会の講演準備はやはりハードでしたね。これは則子さんには、ぜったい内緒ですが(密告は厳禁です!)、講演のあと、土曜の夜に「出血」しました。

 人前でしゃべるのは、にがてで、ものすごく緊張します。本当は、演劇で言うと、則子さんが「女優」でしゃべる原稿を書いて、それを「演出」するのは大好きなのですが。

 土曜の夜、トイレに排便で行った時に、持病の「痔」で鮮血が少し出ました。黒い血ではないので、肛門内の出血だと思います。今回も、そのあと出血はないので、なんとか回復したようです。何回も出ると、肛門科に行かないといけないとは思いますが、ここ20年くらい、数回の出血で終わっているので、医者には行かずじまいです。

 こんなことを則子さんが聞いたら、卒倒しそうですね。

 今回の出血は、9月末の3日間、「車に揺られ」た福島ツアーの影響もあるだろうなと思います。

 実は、8月末にも一度、今回よりかなり多い赤い出血をして、かなり青くなりました。暑い夏に、部屋の片付けを必死でした影響でしょうね。則子さんに言うと、即「肛門科に行きなさい」と軍命がくだるので、内緒にして、ムリをせずできるだけ寝るようにして、そのときの1回の出血で終わりました。

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 土曜日の「資本論 第2部」講座で、講師をしないといけないので、そのレジュメ準備に力を入れています。現在、5ページ。

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 地震がもし来たら、という想定で、準備を始めています。食料・水・トイレ・コンロとボンベ…。この準備が無駄になるといいのですが。可能性があれば「想定」をしないと、「原子力村」の「村民」と同じ低レベルになってしまいますので。

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 午前中は、今まで則子さんが行っていた父の病院がよいの運転手と、耳が聞こえない父のための「筆記」通訳で、遠州病院へ。病棟の上の駐車場に車を入れて、病院へ。

 今日は受付→採血→採尿→泌尿器科で確認→支払機で690円支払い、でした。

 途中でメールが入り、長女から「11時半にアパートから職場まで送ってくれる?」と来たので「いいよ」と電話で返事する。

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 家に戻り、則子さんは、浜松市原水協の長崎の日行動で、11時過ぎにバイクででかける。ぼくは長女を送りに。

 12時前、家に戻り、父の昼食のしたく。夕方まで、パソコンに向かい、土曜日の資料作り。夕方、ガソリンスタンドで給油、4000円かかったあと、長女を職場に迎えに行き、「今日は彼が勤務遅いので、家で夕食食べてもいい?」と言うので、長女とボクと則子さんと父の4人で夕食。

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 夜は、この10年間くらいやっている、毎週水曜日の「ボランテイア」で、仕分けや配達。数時間、かかります。無給ですが、社会的意義があるので、これからも、2人で健康が続く限り、お手伝いをしていきます。

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 10月8日(火)は、則子さんの新しい介護職場の「第1日」でした。キリスト教系の介護施設なのですが、今日、いろいろ話したら、前にいた「政本病院」系の「Hの家」より、則子さんが言うには、職員が落ち着いていて、専門性も高い感じだそうです。

 則子さんが浜商を卒業して、人生の最初に就職したのが、聖隷のキリスト教系の「わかば保育園」で、人生の最後に、またキリスト教系の施設もいいんじゃない?と則子さんに言ったら、「最後かどうかわからない」と笑ってました。

 フランスの詩人、ルイ・アラゴンの歌った「神を信じる者も、信じない者も」という言葉を思い出しました。おおげさ、かな?

 

 

 


地震・津波・防災の本 1 串田嘉男さん『地震予測』PHP新書、2012年

2013年10月09日 20時25分26秒 | 地震・津浪・防災

地震・津波・防災の本 1 串田嘉男さん『地震予測』PHP新書、2012年11月

 真実は肩書きや掲載紙誌ではなく、事実と論理に基づいて自分の頭で判断してください。

 昔、ある方がボクの言った内容について「それは誰が言ったことでなの?」と聞くので「ボクが言うと信頼できないけど、Fさんが言うなら信頼できるということですか?」とからかった事がありますけど。

 で、この本は天文マニアの雨宮智彦が昔、良く知っていた名前の天文アマチュアの方が「流星電波観測」がきっかけで地震予報に転進した方の本です。

 内容を読んで、今のところ、ボクは「間違いかも知れないし、正しいかも知れない。どっちかまだボクは決められないが、正しい可能性はある」と判断して、ここに紹介します。

 まあ「地震・津波・防災の本 1」で、この本を紹介しちゃうと、あとの本の「真理性」が疑われることにもなりかねないのですが、緊急性があるので。

 これに興味のある方は 「PHP新書「地震予報」フォローページ」をご覧になってから、少しでも真理性があると思った方は、この本を書店で注文してお読み下さい。

 http://jishin-yohou.com/

 「地震」と「大気圏」の「電波障害」など、何の関係もあるはずがないと「確信」される方や、新聞やテレビが何も報道していないから無価値だ、大学教授が言ってないからデマだと思う方は、この本を読むのは、時間のムダだと思います。

 これは「みんなが読むべき本」という「推薦」では、ありません。この本を読んで、それぞれが考える価値がある本という意味です。というより、それぞれの各人の思考回路が問われる本だと思います。

 

 


福島調査ツアー日記 その2 9月27日(金)夕方 現地のお話を聞く

2013年10月07日 22時15分03秒 | 雨宮日誌

福島調査ツアー日記 その2 9月27日(金)夕方 現地のお話を聞く 

 夕方から「かんぼの宿」でのお話の概要

 いわき市は町村合併で面積が広く、車の所有台数が異常に多い。人口は東北で2番目。

 この場所で1Fから44キロ。あの時は、ものの見事にパニックになった。「いわき市=30キロ圏」と。14日辺りからマスコミがいなくなった。

 物資が入らなくなった。西は郡山市まで。南は茨城県まで。そしていわき市の人口の3割、10万人くらいいなくなったと思う。

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 極端な意見になる人がいる。「いわき市になぜ住んでいるんだ!」今でもその名残がくる。それから「4号機が危機」という、それだけを強調する意見。

 放射能の知識・教育が必要。ただ「あぶない」という感情では。悲劇はいっぱいあった。地獄のような苦しみも。

 私の立場は説得型に到達してはいたが。電話があいついだ。夜中でも,一人暮らしの女性から電話が来きた。私に問い詰めるが、私には答えられない。電話がこわくて夜眠れなくなった3日間、その時、奇蹟的に測定器が届いて線量を測り始めた。

 「残ろう。いわき市から逃げる方がリスクは大きい」と決断。「政府を信用するのか」と言われたが。

  ☆

 仮設住宅は、4畳半と3畳半。東北の山の仲では大家族の大きな家が多い。仮設では1家族入れない。家族離散だ。人口は減っても、世帯数は増えている。

  ☆

 「復興」というが、ありえない。なんとなく変だ。「作り直し」なら。

 たとえば明日行く広野町は住民は8割いない。いるのは除染労働者。彼らを雇っているのは除染を引き受けたゼネコン。前田建設は原発を作るときに下請けで入ってもうけて、また今度は除染でもうける。

 いま一部では継起がいい。除染労働者のアパートで建設ブーム。市役所は「人を集めるのはゼネコンしかいないんだ」と言う。

  ☆

 いま帰って見て、みんな絶望する。2年半経って、みかけ自宅の外はきれいでも、仲はネズミ・タヌキ・アライグマが荒らしてケモノのフンだらけ、味噌や醤油が腐っていて。牛も野生化して。
 「いつか戻れる」という希望がない。

 (文責は雨宮,一部順序を変えました。メモに基づくので、かなり省略しています。ご容赦を)

 


雨宮日記 10月7日(月) ようやく平常に帰って…探求を再開…

2013年10月07日 22時04分27秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月7日(月) ようやく平常に帰って…探求を再開…

 10月5日(土)の原発学習会、ぼくが偉そうに「講師」で、「核開発の歴史と被害」をなんとか息絶え絶えに終えました!

 この内容は、別途、まとめてアップしたいと思っていますが、まあ、一件落着です。

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 今日から則子さんは、新しい介護の職場に行きました。「曳馬の家」をやめてから3回目の転職ですが、今回は、ぜひ「いい職場」だといいですね。

 2回は「障害児」「障害者」の職場だったので、今回は、介護を選びました。

 今日は午後6時帰宅予定なので、ぼくの父の昼食と夕食は、ぼくの責任です。ま、自分1人だったら、どうしても不規則になってしまうのを、父の「定時」の食事がくい止めていてくれると思っています。

 

 


雨宮日記 10月4日(金) 午前は父の通院で車、午後は明日の講演準備

2013年10月04日 20時43分52秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月4日(金) 午前は父の通院で車、午後は明日の講演準備

 則子さんは、来週から介護施設の新たな仕事です。

 今日の午前の、父の佐藤町診療所へは、ぼくが運転していって、則子さんについてもらって、帰りはタクシーにしました。

 父は昔の人なので、あまり言葉に出さないけど、たぶん、出来の悪い息子に、奇跡的に来てくれた、最高の「嫁さん」に感謝しているものと思います。

 でも、家族の日常の感情・感覚を、尊重してくれないと困るんですね。「嫁がしてくれるのがあたりまえ」ではないんです。

 そういう日常的な対話、「ありがとう」「おかえり」「ただいま」「いただきます」「ごちそうさま」「おやすみ」そういう会話を、ぼくや則子さんは大事にしながら生きていきます。

 同居家族だからといって、強制はできませんが。親の世代や、娘の世代とも、同じ感情をわかちあっていきたいと思います。

  ☆

 午後は、コンビニを何軒か、何回も回って、明日の講演の資料準備。レジュメだけではなくて、A4で自分のプリンターで打ち出した写真を、カラー(A3版、80円)やモノクロ(A3版、10円)で拡大します。

 人間と技術について、人間に未来はあるのか?、明日は語ろうと思っています。

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 次女から『トリポッド4』文庫版、返却。精神的地球侵略SFで、傑作ですね。次女は「また読みたくなるかもしれないから、全4巻、わかるところにおいといてね」と。廊下の「ここに」。

 

 

 

 


雨宮日記 10月3日(木) 10月なのに暑い!走り回った1日

2013年10月03日 20時34分28秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月3日(木) 10月なのに暑い!走り回った1日

 午前9時半から浜松市議会厚生保健委員会があり、則子さんが勤めていたブラック企業の追求もあるので、則子さんと2人で傍聴に行きました。

 午前9時半、開会するまで待たされ(たぶん開会時に「傍聴許可」を決定していたのだと思う)、私たち2人以外に男性2人、計4人が傍聴。82万人分の4人ということで、それぞれ20万人を代表しての傍聴でした。

 「決算」審議なので、10分とか20分くらいで各課長さん以下、その課の課員多数が座っていて、何もしないのに、居なければいけないのは気の毒です。課長さんが答えられないときのためのようです。たしかに、少し頼りない課長さんもいましたが、ほとんどの課長さんは後ろに何も聴かずに即座に回答していて、それだけは(内容ではないです)、たいしたもんだな、と。

 中には、せっかく来たのに、委員から何も質問が出ず、帰った課長さんもいて、それはちょっと気の毒でした。ホッとしたかもしれないけど。

 お目当ての部分が午後に回ったので、則子さんと家に帰り、ぼくは車で、則子さんはバイクでまた午後1時からの審議に戻りました。

 午後1時40分頃、障害者自立支援事業の質問が終わったので、ぼくは娘のアパートへ。娘の友だちの出産のお祝いで浜松医療センターへ。ぼくはしばらく時間があるので、近くの佐鳴湖へ。

 「まだいるかなあ」と思い、探してみたら、いました。10月なのに、湖岸の水草のなかに、可愛い青い糸トンボがフワッと飛んでいました。糸トンボの種名はむずかしいので、今は種名を確認する暇がないのです。ここ数年間、来る気持ちになれなくて、来ていなかったので、「お前、生きていたんだね!」と感激しました。

 夜は、土曜日の学習会「核開発の歴史と被害 原爆と原発」のレジュメ・資料・写真を準備。明後日の午後なので、明日は印刷してしまわないと、間に合いません。