雨宮日記 10月9日(水) 土曜の原稿を作るのに、なぜか運転手で忙しい
昨日は「寒露」でしたが、暑くて「暖露」でした。台風が沖縄から対馬・日本海へ抜けてから、急に涼しくなって秋になりました。アオマツムシが樹上で鳴いています。
5日(土)の学習会の講演準備はやはりハードでしたね。これは則子さんには、ぜったい内緒ですが(密告は厳禁です!)、講演のあと、土曜の夜に「出血」しました。
人前でしゃべるのは、にがてで、ものすごく緊張します。本当は、演劇で言うと、則子さんが「女優」でしゃべる原稿を書いて、それを「演出」するのは大好きなのですが。
土曜の夜、トイレに排便で行った時に、持病の「痔」で鮮血が少し出ました。黒い血ではないので、肛門内の出血だと思います。今回も、そのあと出血はないので、なんとか回復したようです。何回も出ると、肛門科に行かないといけないとは思いますが、ここ20年くらい、数回の出血で終わっているので、医者には行かずじまいです。
こんなことを則子さんが聞いたら、卒倒しそうですね。
今回の出血は、9月末の3日間、「車に揺られ」た福島ツアーの影響もあるだろうなと思います。
実は、8月末にも一度、今回よりかなり多い赤い出血をして、かなり青くなりました。暑い夏に、部屋の片付けを必死でした影響でしょうね。則子さんに言うと、即「肛門科に行きなさい」と軍命がくだるので、内緒にして、ムリをせずできるだけ寝るようにして、そのときの1回の出血で終わりました。
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土曜日の「資本論 第2部」講座で、講師をしないといけないので、そのレジュメ準備に力を入れています。現在、5ページ。
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地震がもし来たら、という想定で、準備を始めています。食料・水・トイレ・コンロとボンベ…。この準備が無駄になるといいのですが。可能性があれば「想定」をしないと、「原子力村」の「村民」と同じ低レベルになってしまいますので。
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午前中は、今まで則子さんが行っていた父の病院がよいの運転手と、耳が聞こえない父のための「筆記」通訳で、遠州病院へ。病棟の上の駐車場に車を入れて、病院へ。
今日は受付→採血→採尿→泌尿器科で確認→支払機で690円支払い、でした。
途中でメールが入り、長女から「11時半にアパートから職場まで送ってくれる?」と来たので「いいよ」と電話で返事する。
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家に戻り、則子さんは、浜松市原水協の長崎の日行動で、11時過ぎにバイクででかける。ぼくは長女を送りに。
12時前、家に戻り、父の昼食のしたく。夕方まで、パソコンに向かい、土曜日の資料作り。夕方、ガソリンスタンドで給油、4000円かかったあと、長女を職場に迎えに行き、「今日は彼が勤務遅いので、家で夕食食べてもいい?」と言うので、長女とボクと則子さんと父の4人で夕食。
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夜は、この10年間くらいやっている、毎週水曜日の「ボランテイア」で、仕分けや配達。数時間、かかります。無給ですが、社会的意義があるので、これからも、2人で健康が続く限り、お手伝いをしていきます。
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10月8日(火)は、則子さんの新しい介護職場の「第1日」でした。キリスト教系の介護施設なのですが、今日、いろいろ話したら、前にいた「政本病院」系の「Hの家」より、則子さんが言うには、職員が落ち着いていて、専門性も高い感じだそうです。
則子さんが浜商を卒業して、人生の最初に就職したのが、聖隷のキリスト教系の「わかば保育園」で、人生の最後に、またキリスト教系の施設もいいんじゃない?と則子さんに言ったら、「最後かどうかわからない」と笑ってました。
フランスの詩人、ルイ・アラゴンの歌った「神を信じる者も、信じない者も」という言葉を思い出しました。おおげさ、かな?