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勝手気ままな戯事日記 暇つぶしに・・・・

嗚呼、天下分け目の戦い・関ケ原

2023-10-08 | ドライブ

ほぼ半年ぶりに車を洗り、ピカピカ(?)になったので何処かへ。先日、地元のTV局の番組で紹介していた関ケ原古戦場が浮かんだ。関ケ原は良く通る所なんですが、史跡はいつも素通りでした。この建物は2020年に開館された「関ケ原古戦場記念館」です。ここのシアターの「売り」は、あたかも合戦当日のリアルな体験が出来るそうで、期待していましたが、何と!7日(土)は臨時休館とは、HPで確認すれば、よかったのですが(涙)。三連休の初日なのに、常識ではあり得ませんね。そう言えば、駐車場に練馬ナンバーの家族連れの姿を見掛けました(気の毒です)。どんな理由が有ったか分かりませんが、「仏作って魂入れず」にならないようにして欲しいです。

 

 

こちらはすぐ隣にある徳川家康最後陣跡です。休館のせいでしょうか、人影は全く有りません。

 

 

気を取り直して笹尾山・石田三成陣跡へ。手前にあるのが「三成に過ぎたるもの二つ、島左近と佐和山城」と謳われた忠臣・島左近の陣跡です。家康からの再三の誘いに乗らなかったそうです。甲冑姿のモデルさんが記念写真に応じて頂き、カミさん、自分とそれぞれ上等に写っていました。

 

 

こちらが入り口です。

 

 

 

笹尾山陣跡からの古戦場の眺めです。

 

 

展望台での女性ガイドの熱い「語り」によると、通説では小早川秀秋の裏切りは、戦いの膠着状態中、東軍からの鉄砲合図?で変心し松尾山を一気に駆け下り大谷陣に攻めかかった、とされているけれど、当時、正面に大勢が素早く下りれる道はなく、開戦と同時に山の後ろに抜ける道(陣を張る時通った)を下り、大谷陣の背後に回り込み、本来は小早川秀秋の動きをけん制する為に配置された西軍の一部の武将達がそれに気付き、東軍に寝返ったのが真相のようです。つまり、小早川秀秋は初めから家康に内通し、東軍だったのです。小早川秀秋が松尾山という絶好の位置に陣を構えた時点で勝敗の趨勢は決まっていたと言えそうです。歴史家、通説より地元の研究者達の分析の方が説得力がありますね。右手の濃色の小山が松尾山かな?

 

 

真中の石碑が建っている辺りが決戦地跡です。近くに行ってみましょう。

 

 

 

関ケ原古戦場の最激戦地を走るDODGEです。

 

 

ところで、西軍の中に裏切った大名、武将達、或いはまともに参戦しなかった大名達はいるけど、その逆は全くなかったのか?どうだろう。



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