修理に出していたVRDS-25Xが年越しで戻ってきた。二年半ほど前と同じ症状でトレイが開閉しなくなり、もう寿命かなと、思ったら、「まだ治して聴くだけの価値ある機種です。ただ、トレイがベタついていたらコストは掛かりますが、それも治さないと、また開閉に支障が生じます」と。確かに、以前もベタついていましたが、最近、特に酷くなっていました。
開閉用ベルト交換とトレイの研磨でちょっと費用が嵩みました。でも、CDを聴く頻度は僅かなので買い替えするほどでもなく、VRDS-25Xの「音」自体、今のシステムに合っている。
9日付けの日経の文化欄に「帝王マイルス撮った男」と題してカメラ・マン、内山 繁氏のコメントが掲載された。1981年に復活したマイルスの来日公演からレンズ越しにマイルスを追った男の回想録。「帝王に最も近付いた日本人」と呼ばれる。
当時のSJ誌の編集長に半ば強制されたそうで、本人はあまり気が進まなかったのか、初めは要領も得ず、名古屋公演の際、ホテルで「撮るな!」とマイルスに凄まれ、すくみ上がったそうです。
アポイントを一方的に反故にしたり、人前で相手を罵倒したり、社会通念では「ちょっと、なぁ」、と思えるマイルスの言動は、実は「ボスとしての振る舞い」だった、と語っている。つまり、「真意」と別なワケだ。
この名古屋公演、自分も聴きに行ったが、音楽として「体」をなしていなく、1時間もしない内に席を立った。後から聞くと、このツアーのマイルスの体調は最悪だったとか。運がありませんでした。でも「チケット代(結構高い)返せ」と思った人が多かったのでは?本音は「僕も」です(笑)。
VRDS-25X、復帰後の一発目は、久し振りに MILES DAVIS / ON THE CORNER
リズム隊がパッと鮮やかに舞い上がる。24 BIT デジタル・リマスターされた外盤。ちょっと驚くほど良い音だ。ただ、当時の音造りを反映し、tp、sx、g等はリズム隊に紛れて聞こえる。
リズムは複雑なようでパターン化されているので聴き慣れてくると意外に単調に感ずるし、ボリュームを上げても、川向うで演奏しているようで、演奏者の熱気、カヴァからイメージする奔放な躍動感が伝わってこない。つまり、演奏者の「顔」が見えてこない。この頃、既にテープ編集は常套化されているので、そのせいなのかもしれない。
本作について、「感性」の問題と話を逸らすシンパの人達がいるけれど、テープ編集(を前提した録音)を「是」とするほど肥大、拡大した「感性」が果して必要なのだろうか? 勿論、レコード、CDを一つの流通メディアとして「即物的」、「現実的」に聴き、感じることに何ら問題はありません。ただ、「線引き」を失ったら・・・・・・・・・
尤も、マイルスが「いや、オレはジャズなんて演ってないさ、オレの音楽を・・・・・」となれば、話は別。それにテオとの共同謀議(笑)ですから。
世の中、うまい事を言う人がいて、エレキ・マイルス作品はまるで「プロ野球の好プレイ集、ゴルフのナイス・ショット集を見ているようだ」と。
ところで、「帝王」という定冠詞は何時から付いたのだろう?マイルスが最も嫌う言葉と思うのだが。
マイルスが聞いたら、「いいか、オレの前で、二度と使うな!」と恫喝されるのでは・・・・・・・・
正しい/間違いを恐れるのではなく、自分の見解を持ち、
それを丁寧に説明することが一番大切じゃないかと思います。
そのために思い込みを捨て、きちんと聴くことから始める
しかないですね。
例が適切かどうか分かりませんが、ビューティ・コンテストで「整形者」もOKとなったらどうでしょう?痘痕を隠したり、美容スキルのアップまでではないでしょうか。また、スポーツ界でも「ドーピングOK」となったら・・・・・
ジャズ・レコード(CD)に順位を決めるワケではありませんが、評価(批評)の対象となるので、根本は同じと思います。
ま、最後の「線引き」は自分の「耳」と「価値観」ですかね。ホントは評論家がきちんと・・・・・・・(笑)