年初めのレコ探しは楽しい半面、ちょっと悩ましい。
ブログupとなれば、尚更。普段着で都心に出掛けるようなチョイスは拙いし、かといって構え過ぎても重い。
新春のイメージを ・・・・・・
思い浮かんだのが、初酒に飲んだ「霄」、澄み渡った大空のような「透明感」。
選んだ一枚。一年前の1月3日、プレイは「霄」へ飛び立っている。
ブレイを語る時、「C・テイラーに続くフリー・ジャズ ピアニスト」という枕詞が習慣になったせいで、初めはちょっと近寄り難い存在かも。でも、ある程度、間口が広がり奥行きも深まると、避けて通れない、という特殊な立ち位置には違いない。
ブレイはオーソドックスなスタイル(Debut盤、EmArcy盤)から始まり、徐々にフリー化したピアニスト。ロリンズの‘MEETS HAWK’(63年・RCA)に参加、共に来日(63年9月)もしている。インタヴューで「金を稼ぐためにこのバンドにいる」なんてしゃあしゃあと答え、不幸な生い立ちからか、まるで「この世の中、きれい事ではすまないぜ」と開き直っているように聞こえる。
本当かどうか分かりませんが、マイルスとロリンズに声を掛けられ、迷っている間にマイルスはハンコックと契約したため、ロリンズのバンドに入ったとか。歴史に「If」は付きもの、逆だったならば・・・・・・・想像するだけで面白いですね。
それは兎も角、1964年の「10月革命」に名を連ね、JCOAの前身となるJCG(ジャズ・コンポーザーズ・ギルド)に参加、一気に左傾化していく。
そのブレイが、ピアノ・ソロ ブーム(だから、初めは乗り気でなかった、と本人は述べているけど)の中、「満を持して」の如く吹き込んだアルバム。1972年 オスロで録音。音を積極的に埋めるのではなく、消極的にちりばめる「ブレイの体臭」、「ブレイの美学」が些かも希釈されることなく刻まれている。ソロだがモノトーンではない。
この作品が成功している要因の一つは全曲、ポール、カーラ、そしてA・ピーコックのオリジナルで固め、ほぼ同じスローなテンポで通し、妙に緩急を付けたり、リズムに変化を持たせなかった所と思う。
「官能」、「エロティシズム」を感ずるというコメントを多く見受けますが、どうでしょうか。不幸にしてそうした感受性を持ち合わせていないなぁ~。女性関係に妄想を逞しくした後付けでは?
ま、B-2、仄かなブルース・フィーリングにゴスペル・タッチをスパイシーにブレンドしたブレイのオリジナル‘Harlem’では、エロっぽさ、いえいえ、・・・・・・・良いですよ、この曲。
所有する盤はECM原盤ではなく米POLYDOR盤ですが、不思議に「音のクオリティ」が良い。もともと明晰なピアノ・タッチに磨きが更に掛かっている。でも、決して研ぎ澄まされてはいない。
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