散歩でうろうろしていると、神主のいないやしろ、僧侶のいない寺、巡査のいない交番はよく見かける。
そのとき、そこにその職の人がいなくても、居るべきときには居るだろうと思うから、さほど気にかけない。
昨年3月11日に被災地を見た山折哲雄氏は、「仏の気配のない地獄をみた」と語っていた。
姿は見えなくても、気配が感じられればよいが、仏の気配のない地獄はさぞ恐ろしい光景であっただろう。
ところで、永田町のあの大きな建物は、いまどうなのだろう。
おのれの仕事が国の政治であることを忘れて、ただただ座る場所から名札をなくしたくない、そのためには信義も規律も、問いただせばそんなものがいまごろあるのかと、こだまが返ってきそうな、大きなほら穴になりかけていないだろうか。
政治家の気配のない議会は、などと思い始めると、まだまだ夏は遠いのに、怪談の予告編を見せられるようで、背筋が寒くなるばかりである。