原子力依存からの脱却は、それに替わる方法のめどが立たなければできないことだ、などと聞かなくてもわかっていることを、いまごろもっともらしく述べ立てる人がいる。
視聴者の頭の芯がいっせいに狂ってくると、自明の理も通じなくなって、わざわざ解説のようなことが必要になることもある。
これが実は解説ではなく、繰り返し吹き込んで信じさせる、あるいはわかったような気にさせる手段になることもあるからややこしい。
評論家とは評論を仕事にする人で、評論以外のことで収入を得ればそれは副業に属する。
副業で高収入を得られれば、つい誘いに乗ってしまうのは仕方がない。
ただ、副業にいそしんでいるうちに、これが本業だと思うようになることもある。
その場合は名刺の肩書きを変えなければならない。
評論の仕事が従になったら、評論家を名乗っていてはならないのだ。
さて、どう書き換えるのか。
解説者という言葉はあっても、解説家という職業名は今のところなさそうなのでお気の毒だが、第一号を名乗る手もあるから、天下に恥じなければそう名乗るがよい。