・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

土俵はその場所に一つしかない

2013年05月19日 | つぶやきの壺焼

大相撲も今日は中日、はじめ元気でなかコロコロ、相変わらずの大関陣です。
巨体が小兵の技にパタンとひっくり返る、それには土俵の力が働いています。
勝負はその中、逃げ出せば負けという制約の力です。


別のブログで『科学的合理性は宗教と矛盾するか』という命題を投げたとき、こういうボールが返ってきました
「合理性を尊ぶものが科学とすれば神秘性を尊ぶものが宗教といえるのではないかと考えています。科学と宗教では土俵が違いますから矛盾するか否かの議論は成り立ちません。」

見事なカットボールです。
なんとかラリーが続かないかと、こんなことを考えてみました。

合理性とは、科学的に証明できることという一般説があります。
合理性が科学をたよりにし、科学を尊ぶということである一方、宗教も信ずる対象をたよりにし、それを尊ぶことでしょう。
科学的合理性と宗教とは、何かをたよりにし尊ぶという、共通の心の働きがあって、それぞれのことではあっても全く別の世界のこととは言い切れないのではないでしょうか。


どれだけ大勢の人が参加しても、相撲の本番土俵はそれぞれの場所に一つしか用意されません。
相撲にはセンターコートという名はないようです。

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