あるものごとが目の前の状態になってしまったわけを「それにはこういういきさつがありまして」と説明する決まり文句がよく使われていました。
ちかごろは、「いきさつ」という言葉が、下世話の言い訳のように聞こえるのを嫌ってか、少しあらたまった場では「こういう経緯であります」と表現されます。
今の国語辞典には「いきさつ」にも「けいい」にも、その言葉にあたる漢字は「経緯」と書かれています。
この漢字を使って書いた場合、多くは「けいい」と読まれ、「いきさつ」と読む人は少ないようです。
たしかに「いきさつ」のほうが言葉が柔らかくて感じがよさそうなのに、「けいい」というどこか四角張った言葉のほうが勢力が強くなっています。
あるFAQに「経緯」を「いきさつ」と読まない理由が知りたいという難問が現れました。
これについて、私なりの珍解をご披露します。
困ったときの神頼みではなく、詰まったときの辞書頼みで、図書館に行き国語辞書の棚からなるべく厚手の辞書を順に引きずり出して調べてみました。
まず、「いきさつ」という言葉ですが、これは「いきさた(行沙汰)」のなまりではないかという説が「大言海」にあります。
大言海は、大槻文彦が明治期に編纂した日本初の近代的国語辞典「言海」の改訂増補版です。
その大言海(1979年4月 新編5刷)によりますと、「いきさつ」の漢字は「推移」となっています。
推移は、ものごとのうつりかわりです。
いまの辞書がいきさつの漢字として載せている「経緯」には、ものごとのたてよこに入り組んだ事情という意味が強く感じられます。
「推移」の意味には「とき」が強くかかわり、経緯の意味には「ありさま」が強くかかわっている気がします。
次元の違う二つの漢字熟語を並べてみますと、「いきさつ」と読ませるには言葉の性格からして「推移」のほうが合っており、「経緯」はやや感覚のずれた当て字のようにも思えるのです。
国語の専門家がお考えになって編纂した辞書ですから、それが誤りであるとは言えませんが、当て読みは真正日本語として堂々とは使いにくく、経緯は「けいい」とそのまま音読する習慣が根付いてしまったのではないかと推測しているところであります。
以上、「経緯」を「いきさつ」と読まない理由が知りたいという難問に、答になるかどうか疑念はありますが、話し言葉の耳に入る機会が少なくなり、書き言葉の音読が優勢になったということと、やや無理な当て読みが「いきさつ」という言葉まで遠ざけてしまったのではないかというのが私の結論であります。
いかがでしょうか。