豐川稲荷は「宗教法人 豐川閣 妙嚴寺」山号は圓福山という曹洞宗のお寺でした。
お稲荷さんは、みな紅い鳥居に紅いやしろの神社と思っていましたが、いまごろになってそうではないと知ってみると、「知る」ということの不思議さをあらためて感じます。
TVやネットがなければ知らずに一生を終えるところでした。
知ったところで何がどうなるものでもないことを、あれこれ並べてみてもしかたがありませんが、「知る」ことがときどきサボる脳にどういう影響を与えているだろうかという、興味の材料にはなります。
もう少しまめであったときなら、豊川までは足が伸びなくても、赤坂までなら出かけてみようか、みやげは青野の赤坂もちか、などと考えるところでしょう。
赤坂には、坂の途中からまた枝分かれの坂があり、名前がついていたのを思い出します。
JISの本丸である日本規格協会の本部、とらやの本店と、四角いものが揃った街ですが、もし鳥居の形が丸かったら、ご利益はどんな形で現れるだろうかなどと、奇妙な考えにズッコケそうなので、このあたりで下り坂のブレーキを踏んでおきます。