車中の雑談で、こんな話を聞いた。
「大学という名が、本名の場合と通称の場合とがあるんだねえ」「え?」
「大学と大学校との違いだよ」
「校」は、教える-ならうという交差した授業が行われるところである、これは漢和辞典の記述である。
どこの大学を出たかが、あてにならない物差代わり、あるいは人物のブランド・タグのように便利に使われてる「大学」、それには「校」という字がついていない。
大学では、教える-ならうという交差した授業が行われないから「校」をつけない、ということでは、まさかないだろう。
大学とは別に、「校」のついた「大学校」というところがある。
「校」がつくかつかないかの区別は、学校教育法の規定に沿った教育訓練施設でないかあるかなのである。
「ないかあるか」は変な言葉遣いだが、「つくかつかないか」と先に言ってしまったので、解釈を逆にされないためにはこうなる。
ぐずぐず言うよりもこれはこう、という書き方のほうが確かであるからもう一度書く。
「校」がつかない「大学」は、学校教育法の規定によるもので、
「校」がつく「大学校」は、学校教育法の規定によらず、規定する法律のないものである。
法に縛られると、規定に合わせることのほうに考えが固まってしまい、教育の理念や効果よりも、罰せられないか、補助金の支給を止められないかという計算が先に立ってしまう。
こう考えると、法律の規定に縛られない大学校のほうが、それぞれ独自の目的に沿って、教育の内容が確かなのではないかとさえ思うのだが、どうだろうか。