観自在という仏語があります。
すべての事物を自由自在に見ることができるということばです。
国の元首たちが、こぞって観自在の世界観をもてば、地球の平和はたちまち実現するでしょう。
ツッパリ元首には観自在の世界観がもてません。
世界のもめごとは、ツッパリ性が元首の必須要件とされがちなところにありそうです。
ツッパリにも多様性があって、ハズレ・ツッパリは国難を招きますから、元首には不適合ということになります。
元首を目指す人のツッパリに適不適はあっても、ソコソコ議員はどんなツッパリでも自由自在です。
それが場合によってはあまり望ましくないこともあります。
いま、日本の国会議員は、得票の数が多ければ適格という、ゆるやかな選挙制度のもとで選ばれるので、残念ながら、世界観などまるでない観自在どころか観不在の政治商売人でも潜り込めるようになっています。
世界観のかわりに、アンチの種さがしという技をもっていれば、それで暮らして行けます。
議場では睡魔とむつまじく閑自在、どこかおかしいと思いませんか。