伸びない餅では、餅を食べた感じがしません。
我が国の人々は、昔から餅を喜びのときの食べものにしてきました。
ちぎって伸ばして、またそれをくるくる巻いて食べる、そんな食べ方も楽しんできました。
ことが起こりそうでもとりあえず見守る、そうすれば友好、平和、安全を保つことができるという思いをだいじにし、学校でも、競争を避けものごとを見守る習慣が身に着くような教育が続けられてきました。
ことを見守り伸ばすことを好む性格は、伸びる餅を好む文化と融けあうように定着しました。
法典の最高位にある憲法を、世界中のあわただしい動きのなかでも、これさえあればと、お仕着せを与えた側が驚くほどに、70年もの長い間手も加えず、そのままだいじにしてきました。
だいじなものは神棚に上げておけば、何があっても見守ってくれるという信奉が、餅が固まるように根づき、かびが生えても、ところどころ欠け落ちそうになっても、そのまま拝んでいようという人がまだ絶えません。
万一神様に見放されてこの国が他の民族に乗っ取られても、平和を愛する民族があったという歴史が残るからよいではないかなどと、程を考えない悪ほざけごとを、へらへらしゃべる輩さえいます。
憲法信奉70年、これも我が国の人々が目を覚ましきれない大錯覚のひとつです。