・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

実証先進国へ

2013年09月15日 | つぶやきの壺焼

もうこうなったら、日本は各種実証の先進国だと思うことにしましょう。

原子力で、すでに二つの大きなものごとの実証に寄与しました。
原子爆弾の被害と、大地震大津波の併行被害です。

命を失った方やその家族は悲しみ苦しみに耐え、さらに多くの方々が、不治の業病、故郷喪失に、生きる望みを失いかけながら戦い続けています。

出来上がったのは、いまのところ汚染源の溜まり場でしかありません。
次に実証しなければならないのは、やむなく出来てしまったものの始末の仕方です。

身をもって実証にたずさわるものは、他の同じものよりもだいじに扱われなければなりません。
苛酷な実証行為以上に、さらに傷めつけられたり、いじめられたり、さげすまれたりするいわれはまったくありません。
首をすくめ背中を丸くしていてはいけません。
堂々と胸を張り、世界に向かって何でもどんどん要求しましょう。

要求は、処理技術の提供など、中途半端なことではなく、人類の無限の知能を実証することです。
たとえば、世界最深のマリアナ海溝に、核物質最終処理場をつくろう。
あるいは、地球外のブラックボックスへ不可処分物を送り届けるシステムを開発しよう、などと。

なにはともあれ、騙し合いでないグローバリズムをめざした、実証先進国になりましょう。

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容疑は認め関与は否定

2013年09月14日 | つぶやきの壺焼

カッパドキアの殺傷事件で、はじめにつかまった男について、「容疑は認めたが関与は否定している」と報道された。

おや、これはどういう意味なのか。
しばらくは合点が行かなかったが、二人目がつかまってようやく想像がついた。

「容疑は認めた」とは、自分の犯罪暦からも、出獄後間もないことからも、疑われても仕方がないと思ったのではないか。
「関与は否定」これはあたり前、やってもいないことに関与を認めることはできないから。

つかまえたほうより、つかまった男のほうが、頭の働きが確かだった。
つかまえる仕事に、何十人もが関与すれば、間違う確率も俄然増大する。

警察が、他の所轄署、他の部署に手出しをさせない理由が呑みこめた。
なわばりというのは、間違いを増やさない智恵だったのだ。

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智恵はなぜ散らばったままになるのか

2013年09月13日 | つぶやきの壺焼

力を持った人が「こうだ」と言うと、取り巻いた人がすぐに皆「そうだ」と言う。
これを合意の形成された状態と聞いたら、目の色の違う人はバカではないかと思うだろう。

「和をもって尊しとなす」のことわざどおり、日本人は和を好み異を嫌ってきた。
だいじなことには合意が肝要、合意さえ成立すればそれでよし、あらかじめ決めておいた路線にまとめあげれば会議は成功、この様式が最も洗練された形と思うように習慣づけられている。
なぜなのか、それがいちばんよいという雰囲気作りがべったりできているからである。
何か言い出せば「そうむきになるなよ」と、即座に抑制警告が発信される。

話に合わないことがあるのが普通の状態だと、思ってはならないことになっている。
話が合うというのは、合わないことを話し合うから話が合ってくるのだが、不思議なことに、合わないことが出きらないうちに、ほとんど話が合ってしまう。

話を合わすのに巧みな人が集まったとき、そこで相談されたことには、どこか抜けていることが多い。
意見を一致させることを目的にしていれば、意見の出かたは当然減っていく。
ひとこと話が出ていれば、練り上げたり拡げたりで、全体が明るくなるはずの智恵が、一瞬のハイライトに終わり、すぐに消えて忘れ去られる。

そうだねと言いあう仲よし友達だけでは情報は入って来ず、湧いた智恵も、いつまで経ってもまとまらずじまいに終わる。
同じようなことが繰り返し繰り返し偽論にのぼるのも、まとまりきれずに話が合ったところですませているからだろう。


日本のメディアが、尻尾をちょろちょろ見せながら本質の報道をしたがらないのは、安心第一、合意共感で歓ばれることが、良質の報道とされているからだろう。

合意とは、度重なるごとに効き目の薄くなるクスリのようなものらしい。

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思考逆転はときに誤報を生む

2013年09月12日 | つぶやきの壺焼

逆転の発想が新しい手法を生み出すことはあるが、思考の逆転は誤報を生むことがある。

ある新聞社が、ツイッターの公式アカウント「XX新聞オリンピックニュース」で、「2020年オリンピックの開催都市を決める I OC総会の投票で、東京が落選したと誤って報じた」と自戒報道をした。
その誤報は、1回目の投票が終わった9月8日午前4時ごろ、「東京、落選しました・・・」とツイッターに流したものだった。
数分後には間違いとわかって訂正が発信された。
他の国でも同じ誤報が起きたらしい。

誤報の原因は、善意側のあっさりした解釈ならば、誤解にあったと考えることができる。

1回目の投票で、3候補のうちマドリードとイスタンブールが下位で並び、そのどちらが決選投票に加われないかを決める2回目の投票を、決選投票と誤解したのだという。

通常、何かの権利を投票で決める場合は、権利を得る者を決める投票をする。
権利を得そこなうのはどちらかという決め方は、罰ゲームの実行者、あるいはあみだくじのお使い番を決めるようなもので、そのときには投票という手続きにはよらないものである。

決選投票の候補に立てるほうではなく、立てないほうを決めようなどという、とんだ逆転の発想で、時間の勝負に確認の余裕を失っている現代報道感覚にいたずらをしかけたのだった。
この投票方式を考えた人は、してやったりとニヤニヤしていたことだろう。

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遅れと運休の違い

2013年09月11日 | つぶやきの壺焼

今年の夏は、朝の豪雨で電車ダイヤに乱れが起きることもあった。
ある朝、ラジオで「XX線は1時間程度遅れが出ています」と放送していた。
XX線は、両端駅間を1時間11分ぐらいで走る電車である。
6時から8時台には、毎時4~5本を運行している。

長距離列車で1時間遅れなら、終点までにいくらかずつでも詰めて行けるが、全体が1時間と少しの時間内では、とても1時間の遅れは取り戻せない。

では「遅れ運行」を実際はどうするのか。
「どういう動かし方をしましたか」とわざわざ聞くには、取材モンスターにならなければならず、その気にはなれない。

想像の範囲では、毎時4~5本をその間隔で1時間ずらせて走らせるしかない。
せいぜい頑張っても1~2本増やす程度のことしかできないだろう。
それでは終電まで遅れを取り戻すことはできない。

しかし、いずれは「平常運転を行っています」と言わなければならない。
いつ、そう言うのだろうか。
はじめから「運休」と言っておけば、すぐ平常に戻れるのに。

遅れならば許されるが、運休は許さないという決まりでもあるのだろうか。

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どんなシステムもなきどころは電源

2013年09月10日 | つぶやきの壺焼

サイバーのなきどころは電源施設にあると聞いた。
停電のときには、機械で動くアナログ機、人力で動かせる道具が強い。
時計、ポンプ、こすり合わせる着火具。

福島原発の事故も、花火屋台の事故も、みな電源の準備下手がもとで大事になってしまっている。
準備不足という言葉があるが、不足ではなく下手なのだと思う。
智恵がそっぽを向いて回っていれば、下手な手しか打てない。

「こうなるはず」というのは、だいたいそのときの思い込みでしかないから、「なるはず」の組み合わせのデジタル思考より、「ならない」ほうのハズレ側アナログ思考に、ときどきは戻ったほうがよさそうである。

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割引という錯覚

2013年09月09日 | つぶやきの壺焼

割引と値下げの違いは、低価額の継続時間にある。
割引は数分間で終わる場合もあるから、買い手を誘い込む力が強い。
今買わなければという気持が「買い」を呼ぶ。

新しく手に入れるものや買い増しのものが、なかったらどうかとは考えない。
そのものがどうしても欲しいのではなく、買いたいのですらない。
機会を逃したくない、ただそれだけで「買い」に走る。


老人医療にも割引買いの心根がはたらいていそうな気がする。
診て貰わなければ損、薬も貰わなければ損、体を動かさずにどこかが痛いと思えばすぐお医者さんへ。

薬品の輸入はここ10年間で2.5倍に増えているという。
飲めば飲むほど薬がだんだん効かなくなることもある。
飲めば体が丈夫になるという錯覚と、安価妄想が重なりあって、病むことを止めない人がだんだん増えていく。

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エレベーターの止め方

2013年09月08日 | つぶやきの壺焼

エレベーターの開閉ボタンは、とかくわかりにくいものです。

[開][閉]と漢字で書いてあっても、門構えの中の3割そこそこの面積しかない部分の形から見分けなければなりません。

図形にしたり色を変えたり、工夫はされていますが、水道の蛇口をひねる方向のように自然に手が動くようにはなかなかなれません。

画像を集めていて、やっと気付いたことがあります。
「開く」ボタンは「左側」にあるのです。
ひらく は ひだり 」これならじっと見つめなくてもわかります。

乗って戸口のほうを向いたら、まず左のボタンのありかを確かめておく、これで閉まりかけた扉の向こうにチラッと人影が見えたときでも、すぐに開くボタンを押すことができます。

ボタンを探して手で押すより、ずっと早いもう一つの方法もあります。
閉まりかけた扉に足を出せばよいのです。
それで扉が開く方向に動かなければ、そのエレベーターは整備不完全、そういうのにはよほど運が悪くなければ出会いません。

ただし、機械の動きに絶対はありませんから、決して首を出してはいけません。

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スマートあれこれ

2013年09月07日 | つぶやきの壺焼

スマートXXXXの呼び名が目立つ。
これがどうして、という形のものにまでスマートという名がつく。

車型名、雑誌名、飲料名、ゲーム名、会社名、イベント名、システム名等々、どこまでも広がっていく。
スマートパスというサービス・システム名や、スマートパンツという珍品名にまで親類縁者を広げてしまったスマートフォンの流行が、いちばん効いているものと思う。
そのうちに、米や油や星にもこの名がつくかもしれない。
だが、アート感覚からは初見でダサイと思われそうなスマートというこの名が、なぜ好まれたのだろうか。

スマートという形容が、古典英語の「ひりひり痛い」から、粋、痩せ型と意味がずっこけていき、「かっこいい」という格好のよくない表現からカタカナ語「スマート」への転進、そして地位向上ということになったのかもしれない。

栄誉は、痛み、苦悩、激烈を抜け出した抜けめなさから得られる、そんな現代版の啓示なのだろうか。

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拍手の意味のおもてうら

2013年09月06日 | つぶやきの壺焼

拍手には、音をたてなければならない場合と、たててはならない場合がある。
それを間違えると、その場はたちまち異様な雰囲気になる。

拍手には、共感を意味する場合と、挑発を意味する場合がある。
おかしなことに、共感の拍手はリズムが揃わず、挑発の拍手は揃って音が出る。

共感の拍手は、単発音でも成立し、そのあとは無音でも効果を出すことができる。
単発音や無言の拍手には、する人の心が現れ、意味の込め方もむずかしい。

場の空気が乱れるのは、ただ自分のための、無頓着な拍手であることが多い。

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名前を縮めて隠すものは

2013年09月05日 | つぶやきの壺焼

X活という呼び名がはやっている。
就活、婚活、活、カツ。
履き慣れないハイヒールの音にも似ているが、活き活き、元気いっぱいにつながりそうなので悪い感じはしない。


ステマという手法がある。
捨て魔か、使えるものでも気に入らなければどんどん捨ててしまう人か、と思ったがそうではなかった。
ステルスマーケティング、広告であることに気付かせないようにして宣伝する、正々堂々の裏返しのような手法である。
観衆になりすましたサクラ、看板に名前を載せない無料パーティー、芸能人・有名人が使っていますというおはなしなど、さまざまな手がある。


渡辺さんをナベさんと、縮めて呼ぶと親近感が湧くというふしぎさをもった、短縮好みの感覚が、いかさま性のステルスに応用されると、陰の又陰になり、活き活きとはここでまた裏返しの関係になる。

焼き物料理は、何度もひっくり返すと固くなって味が落ちるので褒められたことではないのだが、さて。

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みさかいが見えなくなるとき

2013年09月04日 | つぶやきの壺焼

ピザのたねを顔に貼り付けたり、食べ物を載せた台の上に寝転んだりして、その写真をネットに載せて遊ぶ、荒れバイト店員がいた。
バカげの至りとしか言いようがないが、バカがほどほどに収まらないのはなぜだろうか。

似たようなことをTVでやってみせる芸人がいる。
マンガにはそういういたずらが描かれることもある。
むかしのザ・ドリフターズのドタバタ喜劇やドーミエの風刺戯画を真似るわけではないのに、どこかでかすかに受け継がれた、見せたいから見せるという芸ごころが、考える前にそれをさせてしまうのだろう。

戯芸はどたばた舞台で楽しみながら見せるもの、戯画は絵に描いて楽しみながら見せるものであるのに、舞台や絵の上のことと、公共生活の場は別であるという、さかいめが見えなくなってしまっているのだ。

ネットも見る世界のものだから、そこに写真を載せて見せるだけなら、舞台や絵の上とかわりないではないかという理屈もひねり出されそうだ。
それは通らないと、言ってしまうだけではおさまらないだろう。
彼らには、演じた場所が公共の場という感覚は全くないから。
載る前で、かつ演ずる前のことなら、はるか向こうの雲の下ぐらいにしか思わないだろう。

それを見て騒ぎ立てるツイーターも、こんなことをやっていた面白いぞとリツイートする人と、不謹慎だ怪しからんと怒りに震えながら返信する人が入り混じる。
バカなことをやってるなあと、しらけておけばそれだけですむことなのに、その店をつぶしてしまうほど騒ぎ立てる。
業務妨害は騒ぎ立てにあるという簡単なことにも、目を向けようとしない。
メディアも話題のとらえ方に見境がつかなくなっていて、その写真をわざわざTVで何度も繰り返し見せる。

みなそれぞれに、自分の見境がつかないことに気付かない戯芸の演者に、いつのまにかなっている。

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団体扱いの利点は何だったか:続

2013年09月03日 | つぶやきの壺焼

漢字検定団体受検の通知のことには、さまざまな人の思いや動き方を考える種が散らばっていました。

・もともと個人で行う手続きを、なぜ団体で扱うのかという醒めた見方がある。
・なんでもまとめて行うことは流れを滑らかにするものと、人々は思い込みやすい。
・端末が単数の場合、団体扱いは取次ぎという仕事をつくる効果しかない。
・取次ぎという仕事は、諸事手続きは面倒ごとと思う人が多いことによって成り立つ。
・経路の途中に取次ぎ箇所が入れば、かならず滞留が起きる。
・取次ぎ箇所での扱いには、自流型と感情型、官僚型と奉仕型がある。
・方法の選択には、お付き合い型と損得勘定型がある。

自由主義社会のもとでは、人々の行動を他から制限できません。
それぞれの思い思いの行動によって、他の人々は制限を受けることになり、人々が得られる自由は、他人の手になる数々の制限事項を自分の行動にどう当てはめるか、それを選択することでしかなくなります。
自由とは、なんとも窮屈千万な厄介なことのようです。

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団体扱いの利点は何だったか

2013年09月02日 | つぶやきの壺焼

検定試験には、団体受験という方法があります。

漢字検定についてFAQで見かけた質問にこういうのがありました。
「団体受験にすると、個人受験よりも結果の通知が遅れて来る。団体受験のメリットは何なのか」というものでした。
見知らぬ人の中にただ一人では心細い、みんなで受ければあがらない、ということ以外にどこがよいのかという質問です。

協会の合否通知ルールを見ると、公平かつ柔軟な見事な表現になっていました。
◇団体受験の合否の通知:検定実施から約40日後を目安に受検者全員分の検定結果資料が一括で担当者に届く。
◇個人受験の合否の通知:検定日の約40日後に協会より発送する。

団体の場合は通知が担当者に届く日、個人の場合は発送される日ですから、団体のほうが受験者に早く届くはずなのですが、これでは質問者の言っていることと逆のようでもあり、そうでもなさそうなところもあり、これはクイズになりそうな気がしてきました。

どうにかしなければならないことを考えると、気がふさいできますが、どうでもよいことを考えるのは気が楽で、残暑しのぎにはよいものです。

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秋のはじめに

2013年09月01日 | つぶやきの壺焼

花火の季節は終わった。
終わり近くに惨事が起きたので、どこか後味がよくない。

花火大会の出店に持ち込んだガソリンに火がついて爆発火災、死傷者が出た。
あの事故に、天災の要素はまったくない。
まるごと人災である。

発電機のエンジン用燃料タンクの取り扱い方法がよくなかったことを原因にして幕を引きたい人は大勢いると思うが、あれは個人の過ちで片付けてはならないことである。

今後こうすれば類似事故を防げるという方法は、ただ一つある。
人の大勢集まるところにガソリンを持ち込まないことだ。

電気を使うからガソリンはどうしても必要? そんなことはない。
排ガス規制への対処が容易だからといって、小型発電機の燃料を、安易にガソリンに依存したのが過ちのもとでもある。
ガソリンエンジンの発電機は、祭りの場所には向かないものなのだ。
周囲の空間が十分な広さで、ゆったり落ち着いて操作できるところでなければ、ガソリンエンジンは危ない。

発電機がどうしても必要? そんなことはない。
屋台を並べておく場所ならば、臨時電力供給など簡単にできるではないか。
ちょっとした共同意識と、ちょっとした約定ですむことなのだ。

商売をするならどうぞそれぞれご勝手に、という主催者の逃げの姿勢と、電気供給の公共性をないがしろにする空気が、惨事の底因であったと思うのだが、どうだろうか。

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