Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか? 必要か? 後記-1
2020-8-3
Goo Blog とFc2 Blogの2か所に同じ内容のブログをアップしています。Fc2 Blogは京都時代から書き始め、知り合いの方が時々ご覧になるので、そのまま残しているのです。Goo Blogは過去のブログの閲覧訪問回数や閲覧者の人数がリアルタイムで逐次表示されるので、ブログの書きがいがあります。閲覧訪問回数は200~700/日、ここのところ500/日、閲覧者の人数は平均して200から300人。一方Fc2 Blogは前日の閲覧者数しか表示されないので、0~20人/日、ここのところ1人/日という悲しい流れ。平均すれば5人/日です。Fc2 Blogは心が折れて続ける気力を維持するのがやっとです。何でこんなに違いが出るのか分かりませんが、ブログのネットワークシステムが全然違うのでしょう。
Newアート考察その3 伝統工芸に<革新>はあるか? 必要か? シリーズは3月19日から始まって10回続きました。このアクセス回数(閲覧訪問回数)は次の通りです。本当は3月、4月の数字が欲しかったのですが、Goo Blogのアクセス解析は先々月までで消えてしまいます。表で抜けているところは、Goo Blogのアクセス解析が上位50までしか出ないので、少なすぎて情報が無いのです。
3月、4月を足すとおそらく全体で1500~2500回のアクセスがあったと思われます。Fc2 Blogはアップした日に5人程度が読んで、その後は誰も読まないでしょうから、全部で5X10=50回アクセスということになります。書いている内容はまったく同じなのに、唖然とする違いがあるのです。内心は納得できないのですが、「人知らずして慍(いきどお)らず」。今ここではGoo ブログとFc2ブログの違いを議論しようというわけではありません。
言いたいことは、アクセス回数において陶器>>ガラス、日本人作家>>外人作家という傾向がとても顕著だということです。
Goo ブログのアクセス数が多い原因の一つとして、ブログを見て何らかのビジネスとつなげている方がアクセスするケースが多いからだと推定しています。しかし、アクセスする方の中には純粋に興味を持ってアクセスする、またその方が知り合いに流すケースも少なくないと思えるのです。ビジネスとつなげているといってもビジネスはユーザーの興味がない事には成立しないので、結局アクセスは一般の方の興味を反映していることになります。 いずれにせよ陶器>>ガラス、日本人作家>>外人作家という大差は予想しなかったことです。これは伝統工芸>アートという日本人の興味の傾向を反映していると思えるのです。これまでの経験上、1)日本人は人と違うことをするという方向に大きな抵抗を持っているようです。ところが、陶芸教室に通ってくる外人はおしなべて、人と違ったことをしようと思っているし、人と違ったことをしている人に大きな興味を示します。日本人は習い事として陶芸教室に通うのであり、目的はいかに手本に近づくかで、変わったことには目を向けません。変わったことにすぐ反応するのは先入観のない子供だけです。2)日本人は習い事として工芸を行う為に、興味を示す作成者はまず知り合い、さらに知り合いの知り合いという縁故による名前を知っているということが、最も重要な興味の対象です。知らない作成者には反応しません。3)同様に目の前に置かれた作品に対して、それが興味あるか無いかを表現しない。人と違ったことを言いたくないので、万が一興味がわいても、誰もいいと言わない作品に対して言葉を発しない。第一、聞いたことのない作家には興味を持つことすら無い。反対に、世の中で話題になっている作品に対しては、わけもわからずに素晴らしいと言う。
その落差は大きい。なにかガンジガラメの世界に生きながら、当人は全くそう思っていない。
最近ビジネス界で<アート思考>というのが流行っているらしいです。当方も本屋でアート考察という本を見つけて、大半を立ち読みしてしまいました。当方が毎日考えていることとかなりオーバーラップしていました。だけどこんな本を読んで、人の思考パターンが変わるわけないと思いますが、とにかく本は売れているようです。
つい最近のネットの情報で<13才からのアート思考>という本やジョブズが死の6年前に語った「アート思考」についてコメントが出ていました(末永幸歩(すえなが・ゆきほ)
美術教師/東京学芸大学個人研究員/アーティスト、「」13歳からのアート思考」著者)。西洋のアートは以前は型にはまったものだった、写真が出来て、絵画の運命は革新しかなくなった、それが現在のアートの概念となった。
「これがアートだというようなものは、ほんとうは存在しない」
「ただアーティストたちがいるだけだ」
「興味のタネ」は、自分のなかに眠る興味・好奇心・疑問。
「探究の根」は、自分の興味に従った探究の過程。
「表現の花」は、そこから生まれた自分なりの答え。
「真のアーティスト」とは「自分の好奇心」や「内発的な関心」からスタートして価値創出をしている人です。
アートの本質が「探究の根」と「興味のタネ」にある。
いろいろな言葉が書いてありました。
現在の日本人のマジョリティーの思考パターンと西洋の概念であるアートの距離はもどかしいくらい遠い。今回の(Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか?)を振り返って見るとますますもどかしさがつのります。しかし、当方の(Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか? その10)である総括がもっともアクセスが多かったことは、もしかして当方の結論に賛同する方がいるのかもしれないとかすかな希望が見えるのです。しかし1500~2500回のアクセスがあっても<イイネ>は一つもない。
次回、後記―2として、この旅で買った4つの酒器のその後の使う頻度、感想について書いてみましょう。そして美味しいお酒について。
2020-8-3
Goo Blog とFc2 Blogの2か所に同じ内容のブログをアップしています。Fc2 Blogは京都時代から書き始め、知り合いの方が時々ご覧になるので、そのまま残しているのです。Goo Blogは過去のブログの閲覧訪問回数や閲覧者の人数がリアルタイムで逐次表示されるので、ブログの書きがいがあります。閲覧訪問回数は200~700/日、ここのところ500/日、閲覧者の人数は平均して200から300人。一方Fc2 Blogは前日の閲覧者数しか表示されないので、0~20人/日、ここのところ1人/日という悲しい流れ。平均すれば5人/日です。Fc2 Blogは心が折れて続ける気力を維持するのがやっとです。何でこんなに違いが出るのか分かりませんが、ブログのネットワークシステムが全然違うのでしょう。
Newアート考察その3 伝統工芸に<革新>はあるか? 必要か? シリーズは3月19日から始まって10回続きました。このアクセス回数(閲覧訪問回数)は次の通りです。本当は3月、4月の数字が欲しかったのですが、Goo Blogのアクセス解析は先々月までで消えてしまいます。表で抜けているところは、Goo Blogのアクセス解析が上位50までしか出ないので、少なすぎて情報が無いのです。
3月、4月を足すとおそらく全体で1500~2500回のアクセスがあったと思われます。Fc2 Blogはアップした日に5人程度が読んで、その後は誰も読まないでしょうから、全部で5X10=50回アクセスということになります。書いている内容はまったく同じなのに、唖然とする違いがあるのです。内心は納得できないのですが、「人知らずして慍(いきどお)らず」。今ここではGoo ブログとFc2ブログの違いを議論しようというわけではありません。
言いたいことは、アクセス回数において陶器>>ガラス、日本人作家>>外人作家という傾向がとても顕著だということです。
Goo ブログのアクセス数が多い原因の一つとして、ブログを見て何らかのビジネスとつなげている方がアクセスするケースが多いからだと推定しています。しかし、アクセスする方の中には純粋に興味を持ってアクセスする、またその方が知り合いに流すケースも少なくないと思えるのです。ビジネスとつなげているといってもビジネスはユーザーの興味がない事には成立しないので、結局アクセスは一般の方の興味を反映していることになります。 いずれにせよ陶器>>ガラス、日本人作家>>外人作家という大差は予想しなかったことです。これは伝統工芸>アートという日本人の興味の傾向を反映していると思えるのです。これまでの経験上、1)日本人は人と違うことをするという方向に大きな抵抗を持っているようです。ところが、陶芸教室に通ってくる外人はおしなべて、人と違ったことをしようと思っているし、人と違ったことをしている人に大きな興味を示します。日本人は習い事として陶芸教室に通うのであり、目的はいかに手本に近づくかで、変わったことには目を向けません。変わったことにすぐ反応するのは先入観のない子供だけです。2)日本人は習い事として工芸を行う為に、興味を示す作成者はまず知り合い、さらに知り合いの知り合いという縁故による名前を知っているということが、最も重要な興味の対象です。知らない作成者には反応しません。3)同様に目の前に置かれた作品に対して、それが興味あるか無いかを表現しない。人と違ったことを言いたくないので、万が一興味がわいても、誰もいいと言わない作品に対して言葉を発しない。第一、聞いたことのない作家には興味を持つことすら無い。反対に、世の中で話題になっている作品に対しては、わけもわからずに素晴らしいと言う。
その落差は大きい。なにかガンジガラメの世界に生きながら、当人は全くそう思っていない。
最近ビジネス界で<アート思考>というのが流行っているらしいです。当方も本屋でアート考察という本を見つけて、大半を立ち読みしてしまいました。当方が毎日考えていることとかなりオーバーラップしていました。だけどこんな本を読んで、人の思考パターンが変わるわけないと思いますが、とにかく本は売れているようです。
つい最近のネットの情報で<13才からのアート思考>という本やジョブズが死の6年前に語った「アート思考」についてコメントが出ていました(末永幸歩(すえなが・ゆきほ)
美術教師/東京学芸大学個人研究員/アーティスト、「」13歳からのアート思考」著者)。西洋のアートは以前は型にはまったものだった、写真が出来て、絵画の運命は革新しかなくなった、それが現在のアートの概念となった。
「これがアートだというようなものは、ほんとうは存在しない」
「ただアーティストたちがいるだけだ」
「興味のタネ」は、自分のなかに眠る興味・好奇心・疑問。
「探究の根」は、自分の興味に従った探究の過程。
「表現の花」は、そこから生まれた自分なりの答え。
「真のアーティスト」とは「自分の好奇心」や「内発的な関心」からスタートして価値創出をしている人です。
アートの本質が「探究の根」と「興味のタネ」にある。
いろいろな言葉が書いてありました。
現在の日本人のマジョリティーの思考パターンと西洋の概念であるアートの距離はもどかしいくらい遠い。今回の(Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか?)を振り返って見るとますますもどかしさがつのります。しかし、当方の(Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか? その10)である総括がもっともアクセスが多かったことは、もしかして当方の結論に賛同する方がいるのかもしれないとかすかな希望が見えるのです。しかし1500~2500回のアクセスがあっても<イイネ>は一つもない。
次回、後記―2として、この旅で買った4つの酒器のその後の使う頻度、感想について書いてみましょう。そして美味しいお酒について。