小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

湖西線の旅 (志賀、堅田) その3

2011-10-31 20:58:38 | 旅行
湖西線の旅 (志賀、堅田) その3

琵琶湖バレイだけだと、たいしてやることもありません。さっさとロープウェイで志賀駅に戻ります。


ペンタックスK5 ペンタックス18-135mm


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杉木立の列が魅力的なパターンを見せます。このロープウェイの旅が琵琶湖バレイの冬以外の魅力ほとんどです。

さて、志賀駅から、京都方向に数駅もどり堅田駅でおりました。堅田は結構大きな街です。循環バスで浮御堂(ウキミドウ)へ向かいます。


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<堅田は、織田信長や豊臣秀吉が重用した堅田水軍の根拠地であって、中世から江戸時代にかけては、水路権を握った堅田衆と呼ばれた人々によって、琵琶湖最大の自治都市を築いていた> とネットに説明がでています。 都会的な駅周辺と違って、湖畔の地域は独特の歴史を漂わせる街並みが続く。


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浮御堂に入ります。

ネットの説明は<伝によれば、恵心僧都が比叡山横川から琵琶湖をながめると、毎夜、その光明の赫々(かくかく)たるを怪しみ、網でこれを掬(すく)いとらせると、1寸8分の黄金の阿弥陀仏像であった。よって魚類殺生供養のために阿弥陀仏像1体を造り、その体内にこれをおさめ、1000体の阿弥陀仏像をも奉安し、浮御堂を創建したという。荒廃したときもあったが、桜町天皇は禁中の能舞台をたまわり、これを再興した。松尾芭蕉も訪れた。先代の堂は昭和9年(1934年)に室戸台風によって倒壊、現在の堂は昭和12年(1937年)に再建されたものである。 浮御堂の山門のそばに五月雨に濡れた浮御堂の美しさを詠んだ青畝の向碑が立っている。(「五月雨の雨垂ばかり浮御堂」)>


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対岸に見える特徴的山はおそらく、近江富士といわれる三上山でしょうか。


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<995年、比叡山横川恵心院の源信僧都が琵琶湖を山上より眺め、湖中に一宇を建立して自ら一千体の阿弥陀仏を刻んで、千仏閣または千体仏堂と称し湖上通船の安全と衆生済度を発願したに始まる。現在の浮御堂は昭和12年の再建で、阿弥陀仏一千体を安置した>ということで、この一千体が源信作なのか、昭和の作かはよくわかりません。台風で流されたのですから、大半は昭和の作でしょう。


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風雨にさらされた木材の年輪が、浮御堂の歴史を表しています。



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