三宅島復興ボランティアの旅 その1
とうとうソニーα7/α7Rが発売されるということで、現在、当方は大混乱状態になっています。三宅島には、出発前日に富士フィルムX-E1の中古を買い足して、X-E1を2台もって、レンズもXマウントのフジノン55-200mm, フジノン18-55mm、ツアイスtouit 32mmとKマウントのシグマ8-12mm(マウントアダプターを介して)という布陣で出かけたのです。なかなかいい布陣だったと満足して帰って見たら、フルサイズミラーレス、ソニーα7/α7Rが出るは、富士フィルムX-E2が出るはで、とんでもなく大混乱です。半値の中古だからいいようなものの、X-E1を買ったとたんにX-E2がでるとはなんてこった。なにを売っとばして、ソニーα7/α7Rのどちらを買おうか、レンズはどうするのだ。α7のEマウントに対応するオールドレンズのアダプターは存在するのか?????
三宅島の話にしましょう。色々な人に三宅島のブログを書くと言ってしまったので、ソニーα7/α7Rの大混乱の話をしている場合じゃありません。
この旅は地球緑化センターの主催する三宅島復興ボランティアプログラムというものです。地球緑化センターは山と緑の協力隊という森林ボランティア活動など全国規模(+世界)の緑化活動を行っています。当方はちょうど伊豆七島撮影の旅を開始しようとしていた矢先に職場の方から三宅島の話を聞いて、まずはこれに乗ってしまおうと思ったのです。三宅島の役場や森林組合の協力がありますから、通常ではいけないような自然の中に入り込んで、面白い写真が撮れるかもしれないと思ったのです。それに、三宅島というと一人で行くには何か恐ろしい島という印象で、今回をのがすと行きそびれると思ったのです。およそボランティアと縁がなかった当方ですから、このようなよこしまな動機で参加しました。
結果は撮影の方は期待に反して全くさんざんでしたが、ボランティア活動はなかなか面白いものですね。山と緑の協力隊というのは結構魅力があります。巨木の専門家と知り合ったり、筋金入りボランティアさんと知り合ったり、なかなか面白い方もいましたし。
10月11日金曜日
竹芝桟橋から夜10時20分出港です。船は約5000tonのさるびあ丸でとっても大きい、それに多くの方が乗船しているので驚きました。当方は大学時代、同じ時期、台風の季節に、東大海洋研の白鳳丸、約4000tonの船に乗って、竹芝桟橋から出港して、東経145度の線に沿って南下し、北回帰線、北緯23度あたりまで往復する10日くらいの航海をしたことがあります。海洋調査の手伝いのアルバイトと大学授業の単位がもらえる旅でした。当時は海洋研に進むことも考えていたのです。この時はいくつもの台風に挟まれて、ものすごい嵐の中の航海でした。大波に持ち上げられて、船底が海面にたたきつけられるドスンという音を聞きながら過ごしたのです。10日の半分は船酔いで吐いていました。この時にどうやったら船酔いをしないかを必死に考え、船の中心部で空を見て寝ているのが一番いいと言う結論に達したのです。その後かなりの間は船酔いしなくなりました。それから40年以上たちます。その時考えていた人生と実際の人生は表向き随分と違っています。そのまま海洋研に進んでいたら、当方の人生はどうなっていたのだろうかなどと、ふと考えて、あの時の航海がよみがえるのです。
10月12日土曜日
リクライニングの座席で夜を過ごして暗い早朝に三宅島につきました。いよいよ、三宅島緑化プロジェクトの始まりです。三宅島は2000年に噴火して、全島民が本土に避難して、4年半戻れなかった。現在は3500人ほどの住民がいますが、長い避難生活で、本土に残った人も多く、島に戻ったのは以前の2/3程度だそうです。中心の雄山周辺はまだ立ち入り禁止で、ご覧の様に樹木がほとんどなくなってしまっています。
このように火山ガスで立ち枯れた木々が三宅島の特徴的景観になっています。次第に緑が戻ってきてはいますが、大半は木ではなく、ススキが原で、木と言えば、オオバヤシャブシという木がまず火山灰地で繁殖しています。我々は、火山灰地の斜面に植林するのかと思っていたのですが、下の写真のようなススキが原を刈り取って、植林の平地をつくることから始めるのでした。
参加者は32名の過去最大の参加者ということで、これだけ一斉にかかると、数時間でススキが原が平地になります。写真は皆さん休んでいるように見えますが、それまで汗だくで半日働いているのです。この開拓地にツバキの苗を植えてゆきます。火山灰地は酸性で、オオバヤシャブシは育ちますが、いわゆる森を作っていたスダジイ、オオバエゴノキ、タブノキがすぐに戻るということは無理なのです。ツバキは大島でもそうですが、比較的酸性土に強いので、ススキが原の次に育つことができるそうです。ツバキの後に森が戻るはずです。
大学生さんも沢山参加しています。
ボランティア活動のベテラン増田さん。
作業が終わって宿にもどり、当方は近くの温泉に向かいました。15分の道のりの間に、海には日没の風景が展開されました。
沖合の大野原島(三本岳)に夕日が沈みます。
温泉、ふるさとの湯に向かう途中の錆が浜
今回の旅は波を撮ることが目的です。
夕食は結構、御馳走です。キンメダイ煮付け、カジキのフライ、明日葉に特別追加料理
アカハタ(と宿の人は言っていたと聞いたのですが、ほんまにアカハタでしょうか?とにかく美味しいことは間違いない)を蒸して(おそらく)薬味をのせたものが付きました。この後、島の方の話を聞いたり、ようするに酒盛りで、アカハタの残りと島の焼酎を飲みまくったということです。
では、また明日。
とうとうソニーα7/α7Rが発売されるということで、現在、当方は大混乱状態になっています。三宅島には、出発前日に富士フィルムX-E1の中古を買い足して、X-E1を2台もって、レンズもXマウントのフジノン55-200mm, フジノン18-55mm、ツアイスtouit 32mmとKマウントのシグマ8-12mm(マウントアダプターを介して)という布陣で出かけたのです。なかなかいい布陣だったと満足して帰って見たら、フルサイズミラーレス、ソニーα7/α7Rが出るは、富士フィルムX-E2が出るはで、とんでもなく大混乱です。半値の中古だからいいようなものの、X-E1を買ったとたんにX-E2がでるとはなんてこった。なにを売っとばして、ソニーα7/α7Rのどちらを買おうか、レンズはどうするのだ。α7のEマウントに対応するオールドレンズのアダプターは存在するのか?????
三宅島の話にしましょう。色々な人に三宅島のブログを書くと言ってしまったので、ソニーα7/α7Rの大混乱の話をしている場合じゃありません。
この旅は地球緑化センターの主催する三宅島復興ボランティアプログラムというものです。地球緑化センターは山と緑の協力隊という森林ボランティア活動など全国規模(+世界)の緑化活動を行っています。当方はちょうど伊豆七島撮影の旅を開始しようとしていた矢先に職場の方から三宅島の話を聞いて、まずはこれに乗ってしまおうと思ったのです。三宅島の役場や森林組合の協力がありますから、通常ではいけないような自然の中に入り込んで、面白い写真が撮れるかもしれないと思ったのです。それに、三宅島というと一人で行くには何か恐ろしい島という印象で、今回をのがすと行きそびれると思ったのです。およそボランティアと縁がなかった当方ですから、このようなよこしまな動機で参加しました。
結果は撮影の方は期待に反して全くさんざんでしたが、ボランティア活動はなかなか面白いものですね。山と緑の協力隊というのは結構魅力があります。巨木の専門家と知り合ったり、筋金入りボランティアさんと知り合ったり、なかなか面白い方もいましたし。
10月11日金曜日
竹芝桟橋から夜10時20分出港です。船は約5000tonのさるびあ丸でとっても大きい、それに多くの方が乗船しているので驚きました。当方は大学時代、同じ時期、台風の季節に、東大海洋研の白鳳丸、約4000tonの船に乗って、竹芝桟橋から出港して、東経145度の線に沿って南下し、北回帰線、北緯23度あたりまで往復する10日くらいの航海をしたことがあります。海洋調査の手伝いのアルバイトと大学授業の単位がもらえる旅でした。当時は海洋研に進むことも考えていたのです。この時はいくつもの台風に挟まれて、ものすごい嵐の中の航海でした。大波に持ち上げられて、船底が海面にたたきつけられるドスンという音を聞きながら過ごしたのです。10日の半分は船酔いで吐いていました。この時にどうやったら船酔いをしないかを必死に考え、船の中心部で空を見て寝ているのが一番いいと言う結論に達したのです。その後かなりの間は船酔いしなくなりました。それから40年以上たちます。その時考えていた人生と実際の人生は表向き随分と違っています。そのまま海洋研に進んでいたら、当方の人生はどうなっていたのだろうかなどと、ふと考えて、あの時の航海がよみがえるのです。
10月12日土曜日
リクライニングの座席で夜を過ごして暗い早朝に三宅島につきました。いよいよ、三宅島緑化プロジェクトの始まりです。三宅島は2000年に噴火して、全島民が本土に避難して、4年半戻れなかった。現在は3500人ほどの住民がいますが、長い避難生活で、本土に残った人も多く、島に戻ったのは以前の2/3程度だそうです。中心の雄山周辺はまだ立ち入り禁止で、ご覧の様に樹木がほとんどなくなってしまっています。
このように火山ガスで立ち枯れた木々が三宅島の特徴的景観になっています。次第に緑が戻ってきてはいますが、大半は木ではなく、ススキが原で、木と言えば、オオバヤシャブシという木がまず火山灰地で繁殖しています。我々は、火山灰地の斜面に植林するのかと思っていたのですが、下の写真のようなススキが原を刈り取って、植林の平地をつくることから始めるのでした。
参加者は32名の過去最大の参加者ということで、これだけ一斉にかかると、数時間でススキが原が平地になります。写真は皆さん休んでいるように見えますが、それまで汗だくで半日働いているのです。この開拓地にツバキの苗を植えてゆきます。火山灰地は酸性で、オオバヤシャブシは育ちますが、いわゆる森を作っていたスダジイ、オオバエゴノキ、タブノキがすぐに戻るということは無理なのです。ツバキは大島でもそうですが、比較的酸性土に強いので、ススキが原の次に育つことができるそうです。ツバキの後に森が戻るはずです。
大学生さんも沢山参加しています。
ボランティア活動のベテラン増田さん。
作業が終わって宿にもどり、当方は近くの温泉に向かいました。15分の道のりの間に、海には日没の風景が展開されました。
沖合の大野原島(三本岳)に夕日が沈みます。
温泉、ふるさとの湯に向かう途中の錆が浜
今回の旅は波を撮ることが目的です。
夕食は結構、御馳走です。キンメダイ煮付け、カジキのフライ、明日葉に特別追加料理
アカハタ(と宿の人は言っていたと聞いたのですが、ほんまにアカハタでしょうか?とにかく美味しいことは間違いない)を蒸して(おそらく)薬味をのせたものが付きました。この後、島の方の話を聞いたり、ようするに酒盛りで、アカハタの残りと島の焼酎を飲みまくったということです。
では、また明日。
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