京都の紅葉 2011 貴船から園光寺、詩仙堂 その4
園光寺を出て、直ぐ近くの詩仙堂に向かいます。こちらは大変有名ですから、人も多い。韓国か中国の方に詩仙堂はどこですかと日本語で尋ねられました。ここの風景は、京都的風景の一つの代表となっているのでしょう。後で薗光寺と詩仙堂を撮影の対象として比較してみましょう。

ペンタックスK7 ペンタックス43mm limited
ご存知の詩仙堂の風景です。 予備知識なしに、山の中にこのお寺を偶然みつけたら、その斬新な風景にびっくりすることでしょう。

ペンタックスK5 ペンタックス100mm macro

ペンタックスK7 ペンタックス43mm limited
詩仙堂は刈込つつじのモダンなパターンが周囲の情景とどう融合するかにあります。

ペンタックスK5 ペンタックス15mm limited

ペンタックスK5 ペンタックス15mm limited

ペンタックスK5 ペンタックス100mm macro

ペンタックスK7 ペンタックス43mm limited

ペンタックスK5 ペンタックス100mm macro
その斬新な刈込パターンを通って、奥の庭に入ると、拍子抜けしたように、何もパターンがなくなるところが、この庭の不満なところです。文句の多いやつだなとよく言われます。でもおしいですよ、一つの印象的パターンが奥の庭に違った形で展開されて行くべきなのです。当方はそういう流動的リズムがすきなのです。しょうがないので,柿のパターンを撮影。おそらく、裏庭は、なにも設計されていない、裏山に続く散歩道だったのでしょう。これだけお客さんがくるのだから、裏庭に、新しいセンスでもう一つの庭を作ったら、あるいはすっと山奥にはいりこむ散歩道を作ったどうでしょうか。ここはお寺ではなく、あくまで庵ですから、そこまですると昔の庵とは違ってしまうと思って、そうしないのでしょうか?うーむ、おしい。

ペンタックスK5 ペンタックス100mm macro
紅葉を撮るにも、どうしても刈込をいれないと詩仙堂ではないと、人の撮影とは真逆方向から撮影しみたりする。

ペンタックスK5 ペンタックス100mm macro

ペンタックスK5 ペンタックス100mm macro
帰り道、 一乗寺中谷のでっち羊羹なるものを買う。丁稚奉公の貧しい人が里帰りするときに持って帰って、みんなにふるまったという、素朴な羊羹で、ここのでっち羊羹は羊羹というよりウイロウに近い。
たまたまバス停で京都行きのバスに乗ったら丁度よく東山三条まで連れ行ってくれました。昨日は疲れ切って、奥嵯峨でエンストした家内が、今日も結構歩いているのに、知恩院のライトアップが見たいなどと言い出しました。東山のワンルームで一休みして、知恩院に向かいます。バス停留所一区間ですから、歩いてゆけます。どうせ6時から開場だろうとのんびり行ったら、なんと長蛇の列ができています。入場まで30分かかりますとアナウスしています。列は暗い夜道に延々と続いています。こんなところに一人でいたら恐ろしいような裏道に人があふれています。 でも、3、40分ほど境内を見で帰るときには、この列は無くなっていました。このライトアップは早くゆくのでなくて遅くゆくのが正解です。知恩院は広いですから、ちょっとやそっと人がはいっても高台寺みたいな満員電車風になることはありません。 今回のライトアップには大変なおまけがついていました。三門の内部の仏像群を拝観できるのです。本堂のあるお寺のてっぺんから、水平に三門の上部に直接入れる仮設の橋ができています。こうしないと、狭い急な階段を大勢のお客さんが内部にはいることはとても危険だからでしょう。なんとすばらしい配慮ではありませんか。三門内の仏像群はめったに見られないのです。保存がいいので、彩色が残っていて、狭い空間にずらっと並んだ仏像群は圧巻です。残念ながら写真撮影禁止で、なにもお伝えできません。以前、夏の特別拝観で一度入ったことがありますが、みんなに見せると、彩色が痛むのではと心配するほどに、そっとしておきたい秘仏達なのです。今年は思い切ったことをしたものです。実は知らないで来たのですが、これを見られてラッキイーです。知恩院さんは偉い。皆のことを考えている皆の為のお寺です。

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited
今日は残念ながら通行止めで、できませんが、以前京都の道シリーズの東大路で書いたように、知恩院は三門を入って、正面の石段を登って、本堂に行くルート以外のルートを選んではいけません。三門のすばらしさと、石段の下からは見えないし、想像できないような、壮大な本堂が、階段を上がったとたんに目に飛び込むその感激を味わうべきだからです。

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited
この石段を登るのです。

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited
そして、この本堂が目に飛び込むのです。

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited
本堂の横の、阿弥陀堂で、灯明が沢山ならべられていました。聞くと、東日本大震災復興を祈る灯明だそうです。

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited
我々も、自分のことばかりお願いしていないで、東日本大震災で被災した方々の復興をお祈りいたしました。当方は考える度に残念なのです。なんで数万人もの人がなくならなければならなかったのか。ほんのちょっと状況が違えば、そのほとんどの人が助かったに違いないのに。どれだけの苦しみか。
当方もこの商売をしていると、本当に追いつめられることが、何度もあります。今もそうですが、本当に追い詰められると、人は次の瞬間をどうやって生きたらよいかすら分からなくなるのです。お寺や神社がなぜ存在するか。心のお医者さんとして、病院のお医者さんよりはるかに多くの患者さんを直しているのです。

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited
知恩院を出て、三条に抜ける裏道に青蓮院があります。ここもライトアップしています。このお寺は心憎いほどの心の行き届いたお寺です。その入り口にある巨大なクスノ木の夜景を撮って、今日はおしまいです。

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited
何で薗光寺がうまく撮影できないのか、それは、あくまで、全体的バランスが素晴らしのであって、一つの典型的ビューポイントがあるわけではないからです。それに比べて、詩仙堂や天龍寺は典型的ビューポイントがあって、それだけで、皆を惹きつけているわけです。こういうお寺は、表が素晴らしいために、裏に回ると落差が大きくてバランスがとれなくなります。当方の好きなお寺、仁和寺、龍安寺、真如堂、青蓮院、そしてこの薗光寺などは、全体的バランスが良くて、情景に流動感があるのです。それも京都の心髄である、仕事をして仕事を見せない技があるのです。意図が前面に見えてはいけないのです。自然に自然を越えなければいけないのです。
当方は白ペンキオジサンのように、最高の絵葉書を撮るつもりはさらさら無い。写真とは、対象に対する理解だ。 園光寺はまだ理解が足りなかった。と今日はブツブツお酒を飲む。
わかりました。なぜ、薗光寺の写真に不満だったか。ずーと薗光寺の撮り方を考え続けていましたが、なんのことはない、簡単なことだったのです。お庭は、一番いいビューポイントが必ずあります。当然、本堂の座敷とか、書院の座敷とかからの眺めです。薗光寺のビューポイントの縁側にずらっと人が座っていたので、ここからの撮影をまったく無視してしまったのです。やはり、正面のビューポイントを撮影しないと、臍がないわけで、サイドからの撮影だけでは、絵の流動感がなくなってしまうのです。薗光寺は東山のふもとですから、朝日はあたりにくい、夕日の中の紅葉が一番いいと思えるのですが、これでは人の少ない朝早くいってもしょうがない、夕暮れは人がいっぱい。よって、どうやっても薗光寺のベストショットはとれないということになります。
園光寺を出て、直ぐ近くの詩仙堂に向かいます。こちらは大変有名ですから、人も多い。韓国か中国の方に詩仙堂はどこですかと日本語で尋ねられました。ここの風景は、京都的風景の一つの代表となっているのでしょう。後で薗光寺と詩仙堂を撮影の対象として比較してみましょう。

ペンタックスK7 ペンタックス43mm limited
ご存知の詩仙堂の風景です。 予備知識なしに、山の中にこのお寺を偶然みつけたら、その斬新な風景にびっくりすることでしょう。

ペンタックスK5 ペンタックス100mm macro

ペンタックスK7 ペンタックス43mm limited
詩仙堂は刈込つつじのモダンなパターンが周囲の情景とどう融合するかにあります。

ペンタックスK5 ペンタックス15mm limited

ペンタックスK5 ペンタックス15mm limited

ペンタックスK5 ペンタックス100mm macro

ペンタックスK7 ペンタックス43mm limited

ペンタックスK5 ペンタックス100mm macro
その斬新な刈込パターンを通って、奥の庭に入ると、拍子抜けしたように、何もパターンがなくなるところが、この庭の不満なところです。文句の多いやつだなとよく言われます。でもおしいですよ、一つの印象的パターンが奥の庭に違った形で展開されて行くべきなのです。当方はそういう流動的リズムがすきなのです。しょうがないので,柿のパターンを撮影。おそらく、裏庭は、なにも設計されていない、裏山に続く散歩道だったのでしょう。これだけお客さんがくるのだから、裏庭に、新しいセンスでもう一つの庭を作ったら、あるいはすっと山奥にはいりこむ散歩道を作ったどうでしょうか。ここはお寺ではなく、あくまで庵ですから、そこまですると昔の庵とは違ってしまうと思って、そうしないのでしょうか?うーむ、おしい。

ペンタックスK5 ペンタックス100mm macro
紅葉を撮るにも、どうしても刈込をいれないと詩仙堂ではないと、人の撮影とは真逆方向から撮影しみたりする。

ペンタックスK5 ペンタックス100mm macro

ペンタックスK5 ペンタックス100mm macro
帰り道、 一乗寺中谷のでっち羊羹なるものを買う。丁稚奉公の貧しい人が里帰りするときに持って帰って、みんなにふるまったという、素朴な羊羹で、ここのでっち羊羹は羊羹というよりウイロウに近い。
たまたまバス停で京都行きのバスに乗ったら丁度よく東山三条まで連れ行ってくれました。昨日は疲れ切って、奥嵯峨でエンストした家内が、今日も結構歩いているのに、知恩院のライトアップが見たいなどと言い出しました。東山のワンルームで一休みして、知恩院に向かいます。バス停留所一区間ですから、歩いてゆけます。どうせ6時から開場だろうとのんびり行ったら、なんと長蛇の列ができています。入場まで30分かかりますとアナウスしています。列は暗い夜道に延々と続いています。こんなところに一人でいたら恐ろしいような裏道に人があふれています。 でも、3、40分ほど境内を見で帰るときには、この列は無くなっていました。このライトアップは早くゆくのでなくて遅くゆくのが正解です。知恩院は広いですから、ちょっとやそっと人がはいっても高台寺みたいな満員電車風になることはありません。 今回のライトアップには大変なおまけがついていました。三門の内部の仏像群を拝観できるのです。本堂のあるお寺のてっぺんから、水平に三門の上部に直接入れる仮設の橋ができています。こうしないと、狭い急な階段を大勢のお客さんが内部にはいることはとても危険だからでしょう。なんとすばらしい配慮ではありませんか。三門内の仏像群はめったに見られないのです。保存がいいので、彩色が残っていて、狭い空間にずらっと並んだ仏像群は圧巻です。残念ながら写真撮影禁止で、なにもお伝えできません。以前、夏の特別拝観で一度入ったことがありますが、みんなに見せると、彩色が痛むのではと心配するほどに、そっとしておきたい秘仏達なのです。今年は思い切ったことをしたものです。実は知らないで来たのですが、これを見られてラッキイーです。知恩院さんは偉い。皆のことを考えている皆の為のお寺です。

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited
今日は残念ながら通行止めで、できませんが、以前京都の道シリーズの東大路で書いたように、知恩院は三門を入って、正面の石段を登って、本堂に行くルート以外のルートを選んではいけません。三門のすばらしさと、石段の下からは見えないし、想像できないような、壮大な本堂が、階段を上がったとたんに目に飛び込むその感激を味わうべきだからです。

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited
この石段を登るのです。

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited
そして、この本堂が目に飛び込むのです。

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited
本堂の横の、阿弥陀堂で、灯明が沢山ならべられていました。聞くと、東日本大震災復興を祈る灯明だそうです。

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited
我々も、自分のことばかりお願いしていないで、東日本大震災で被災した方々の復興をお祈りいたしました。当方は考える度に残念なのです。なんで数万人もの人がなくならなければならなかったのか。ほんのちょっと状況が違えば、そのほとんどの人が助かったに違いないのに。どれだけの苦しみか。
当方もこの商売をしていると、本当に追いつめられることが、何度もあります。今もそうですが、本当に追い詰められると、人は次の瞬間をどうやって生きたらよいかすら分からなくなるのです。お寺や神社がなぜ存在するか。心のお医者さんとして、病院のお医者さんよりはるかに多くの患者さんを直しているのです。

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited
知恩院を出て、三条に抜ける裏道に青蓮院があります。ここもライトアップしています。このお寺は心憎いほどの心の行き届いたお寺です。その入り口にある巨大なクスノ木の夜景を撮って、今日はおしまいです。

ペンタックスK5 ペンタックス43mm limited
何で薗光寺がうまく撮影できないのか、それは、あくまで、全体的バランスが素晴らしのであって、一つの典型的ビューポイントがあるわけではないからです。それに比べて、詩仙堂や天龍寺は典型的ビューポイントがあって、それだけで、皆を惹きつけているわけです。こういうお寺は、表が素晴らしいために、裏に回ると落差が大きくてバランスがとれなくなります。当方の好きなお寺、仁和寺、龍安寺、真如堂、青蓮院、そしてこの薗光寺などは、全体的バランスが良くて、情景に流動感があるのです。それも京都の心髄である、仕事をして仕事を見せない技があるのです。意図が前面に見えてはいけないのです。自然に自然を越えなければいけないのです。
当方は白ペンキオジサンのように、最高の絵葉書を撮るつもりはさらさら無い。写真とは、対象に対する理解だ。 園光寺はまだ理解が足りなかった。と今日はブツブツお酒を飲む。
わかりました。なぜ、薗光寺の写真に不満だったか。ずーと薗光寺の撮り方を考え続けていましたが、なんのことはない、簡単なことだったのです。お庭は、一番いいビューポイントが必ずあります。当然、本堂の座敷とか、書院の座敷とかからの眺めです。薗光寺のビューポイントの縁側にずらっと人が座っていたので、ここからの撮影をまったく無視してしまったのです。やはり、正面のビューポイントを撮影しないと、臍がないわけで、サイドからの撮影だけでは、絵の流動感がなくなってしまうのです。薗光寺は東山のふもとですから、朝日はあたりにくい、夕日の中の紅葉が一番いいと思えるのですが、これでは人の少ない朝早くいってもしょうがない、夕暮れは人がいっぱい。よって、どうやっても薗光寺のベストショットはとれないということになります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます