永井隆さんが、放射線科の医師として被爆し、そして長崎原爆にも遭い、
1951年に43歳でこの世を去らなければならなくなったとき、
誠一さん・かやのさんの二人の子に残した遺言を
『始まりに向かって』さんのブログで読みました。
まるで、今の日本のことをおっしゃっているようで、
眩暈を覚えます。
人間は歴史から学ぶときに一歩前進し、
歴史を忘れたそのとたん、
愚かだった時代にたちまち回帰するということがつくづく分かりました。
しかし、それでは戦争で犠牲になった多くの人たちが
あまりにも浮かばれません。
「権力者は庶民を戦闘現場で戦わせ、殺し合わせ、
死んだ犠牲者を口先で英霊と持ち上げ、戦争犠牲者の無念に応えず、
挙げ句にまた『英霊』を増やそうとするのか!」
と、草葉の陰で歯ぎしりする死者の声が聞こえてきます。
いとし子よ、愛で身を固めなさい・・長崎の被爆者永井隆さんの遺言
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/27a5d895c4fb420f33f14ffeca5b6b4c
生前の永井隆さんと誠一さん、かやのさん。
いとし子よ。
あの日イチビの実を皿に盛って、母の姿を待ちわびていた誠一(まこと)よ、かやのよ、
お母さんはロザリオの鎖ひとつをこの世にとどめて、ついにこの世から姿を消してしまった。
そなたたちの寄りすがりたい母を奪い去ったものはなんであるか。
原子爆弾。いいえ、それは原子の塊である。
そなたたちの母を殺すために原子が浦上にやってきたわけではない。
そなたたちの母を、あの優しかった母を殺したのは、戦争である。
戦争が長引くうちには、はじめ戦争をやりだしたときの名分なんかどこかに消えてしまい、
戦争がすんだころには、勝った方も、負けた方も、何の目的でこんな大騒ぎをしたのか、わからぬことさえある。
そして生き残った人々はむごたらしい戦場の跡を眺め、口を揃えて「戦争はもうこりごりだ。
これきり戦争を永久にやめることにしよう」
・・そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、何となくもやもやと
戦争がしたくなってくるのである。
私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。
我が子よ。憲法で決めるだけならどんなことでも決められる。
憲法はその条文通りに実行しなければならぬから、日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。
どんなに難しくても、これは良い憲法だから、実行せねばならぬ。
自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。
これこそ戦争の惨禍に目覚めた本当の日本人の声なのだよ。
しかし理屈はなんとでも付き、世論はどちらへもなびくものである。
日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、「憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ」と叫ぶ声が出ないとも限らない。
そしてその叫びにいかにももっともらしい理屈をつけて、世論を日本の再武装に引き付けるかもしれない。
もしも日本が再武装するような時代になったら、その時こそ、誠一よ、かやのよ。
たとえ最後の二人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと戦争絶対反対を叫び続け、
叫び通しておくれ。
敵が攻めだした時、武器が無かったら、みすみす皆殺しされてしまうではないか、と言う人が多いだろう。
しかし、武器を持っているほうが果たして生き残るだろうか。
武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るだろうか。
オオカミは鋭い牙を持っている。
それだから人間に滅ぼされてしまった。
ところが鳩は何一つ武器を持っていない。
そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。
愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、
平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。
永井隆記念館HP
http://park10.wakwak.com/~cdc/nagasaki/nyokodou/
いとし子よ。
あの日イチビの実を皿に盛って、母の姿を待ちわびていた誠一(まこと)よ、かやのよ、
お母さんはロザリオの鎖ひとつをこの世にとどめて、ついにこの世から姿を消してしまった。
そなたたちの寄りすがりたい母を奪い去ったものはなんであるか。
原子爆弾。いいえ、それは原子の塊である。
そなたたちの母を殺すために原子が浦上にやってきたわけではない。
そなたたちの母を、あの優しかった母を殺したのは、戦争である。
戦争が長引くうちには、はじめ戦争をやりだしたときの名分なんかどこかに消えてしまい、
戦争がすんだころには、勝った方も、負けた方も、何の目的でこんな大騒ぎをしたのか、わからぬことさえある。
そして生き残った人々はむごたらしい戦場の跡を眺め、口を揃えて「戦争はもうこりごりだ。
これきり戦争を永久にやめることにしよう」
・・そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、何となくもやもやと
戦争がしたくなってくるのである。
私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。
我が子よ。憲法で決めるだけならどんなことでも決められる。
憲法はその条文通りに実行しなければならぬから、日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。
どんなに難しくても、これは良い憲法だから、実行せねばならぬ。
自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。
これこそ戦争の惨禍に目覚めた本当の日本人の声なのだよ。
しかし理屈はなんとでも付き、世論はどちらへもなびくものである。
日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、「憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ」と叫ぶ声が出ないとも限らない。
そしてその叫びにいかにももっともらしい理屈をつけて、世論を日本の再武装に引き付けるかもしれない。
もしも日本が再武装するような時代になったら、その時こそ、誠一よ、かやのよ。
たとえ最後の二人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと戦争絶対反対を叫び続け、
叫び通しておくれ。
敵が攻めだした時、武器が無かったら、みすみす皆殺しされてしまうではないか、と言う人が多いだろう。
しかし、武器を持っているほうが果たして生き残るだろうか。
武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るだろうか。
オオカミは鋭い牙を持っている。
それだから人間に滅ぼされてしまった。
ところが鳩は何一つ武器を持っていない。
そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。
愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、
平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。
いとし子よ。
敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。愛すれば愛される。愛されたら、滅ぼされない。愛の世界に敵はない。敵がなければ戦争も起らないのだよ。
永井隆記念館HP
http://park10.wakwak.com/~cdc/nagasaki/nyokodou/
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