毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「中国人はマナーが悪いとか」No.1560

2016-01-08 20:45:07 | 日本中国比較

1月2日、休日の朝に菏澤学院キャンパスの一角で音読する学生。

こちらも身が引き締まる思いがしました。

 

さっきフェイスブックで身内が、

「日本人の中国人嫌いは、マナーの悪さも影響しているのでは?」

と書いてあるのを見て、

(ゲゲ!まだマナー悪いかなあ。日進月歩で良くなっていると思うけどなあ)

と、日本国内の感受と私のとは差異があるのを感じました。


5年前、私が初めて中国にやって来たときは、まさに驚きの連続でした。

たしか当時のマイブログ(excite blog)に詳細に書いたと思うのですが、

あれ、中国当局(金楯)により近づけなくなり、

日本では読めるものの面倒なので、こちらのgoo blog一辺倒になっています。

まあ、その経緯は脇においといてですね、

当時の私が驚いたのは、上海浦東から虹橋空港に向かうバスの中で

人々の電話する声があまりに傍若無人な音量であることでした。

もちろん着信音もド派手でした。

私には嫌がらせのように思え、むかっ腹が立ちましたよ。

さらに私の座席の後ろでは男性が時おり「ゴオー、ガオー」などと

音を立てて喉の痰を吐きだすのです。

自分の後頭部に痰が貼りつかないか、私は気が気ではありませんでした。

・・・・・・・・・

しかし、月日の経過とともに、

そうした現象はずいぶん減ってきたと私は感じます。

また、中国と一口に言っても、地方によってずいぶん習慣も違うのです。

南昌の人々は声がかなり大きいですが(いや、ホント)、

ここ山東省菏澤に来ると、人々の話し声は落ち着いて穏やかで、

まるで北海道に帰ってきたようなホッとした感じを覚えました。

ここで痰を吐くのは年配の人(男性も女性も)です。

学生たちが怒鳴るような大声で電話をしたり、

その辺に痰を吐き散らかしたりするのは見たことがありません。

ゴミを平気で道に捨てる子はまだ多くて、イラッとしますが、

これは何が原因かというと、はっきりしています。

しっかりとしたマナー教育がされていないのです。

「公衆道徳を守り、愛国者として立派に振る舞いなさい」

などと学校で大上段に説教されることは何度もあったでしょうが、

具体的に、

「ゴミはゴミ箱に捨てるか、自分のカバンに入れて家に持って帰る」

「ゴミが落ちているのを見たら拾ってゴミ箱に入れる」

といった行動規範を日々頭に叩き込まれていたら、

自然にそれができるようになりますよね。

中国のマナー教育や啓蒙活動は、

社会が豊かになった2000年頃から海外旅行に行く人が一気に増え、

全世界から中国人のマナーの悪さへの非難が轟々と湧き起こったために、

政府が必要に迫られてマナー向上を喚起し始めたのですから、

そんなに前のことではありません。

例えば、次のようなことについて注意を喚起しています。

「痰やガムを吐くな」、「ゴミを捨てるな」、「騒ぐな」、「行列に並べ」、

「公共の場所で大声で騒ぐな」、「花や果物を勝手にもぎ取るな」、

「文化財に落書きするな」、「文化財に勝手に触るな」、

「一緒に写真を撮ろうと、外国人に無理強いするな」、

「人に向かってくしゃみをするな」、「各民族の宗教的習慣を尊重しろ」、

「きちんとした身なりをしろ」などなど、

当たり前すぎて、思わず笑いたくなるぐらいですよね。

しかし、日本の戦後まもない頃はどうだったでしょう。

私は1965年前後の北海道斜里町の映画館の座席下に、

ゴミというゴミの全てが放置されていたのをはっきり覚えています。

そこで、子どもの私は、

(そうか、映画館ではゴミは座席下に置くものなんだな)と学んだのです。

しかし、それから10年後、そんなことしている人は誰もいなくなりました。

マナー教育が(特に学校で)徹底的になされたためでしょう。

・・・・・・・・・・・・

日本のネットで「中国人のマナー」で検索すると、

出てくるわ、出てくるわ、中国人のマナーの悪さをなじる記事の多いこと。

民度が低い、自分のことしか考えない自己中・・・・・・。

なんか、自分の友達のことを悪く言われているような悲しさを覚えます。

 

数年前、江財大日本語学科の学生たちに

「中国人は何故いつも大声で喋るのか」というテーマで作文を書かせたときの

学生たちのひきつった顔が思い出されます。

悪口を言われたと思ったのでしょう。

中国人の先生の中にも、

「大声で喋って何が悪い!」

と授業で息巻いた方がいらっしゃったと後で学生が教えてくれました。

 

マナーについてさらに一言すると、

日本人のマナー基準は、その多くが欧米の影響で戦後普及したものです。

インターナショナルな基準など国連で決められているわけでもありません。

なので、自分の生活習慣・マナーを絶対に正しいと言い切るのは

避けた方がいいと思います。

(いや、正しいと感じるんですけどね(笑)。それはお互いですから)

私は中国で嫌というほど、そのジレンマを感じて暮らしてきました。

《井の中の蛙 大海を知らず》

この言葉は、習慣の違い、マナーの良し悪しを思った時、

私が自戒としてつぶやくものです。

マナーは、初めから絶対的にあるのではなく、

人々がお互いに生活し易いように作られ、変えられてきたものです。

中国の人々は筋道を立てて考える人が多いです。

中国人に「こういう訳だから・・・」と話すことで、

意外なほどすっきり納得してくれることが何度あったか分かりません。

マナーについても腹を割って、話し合うことで

お互いの関係が進展するんじゃないかな、と思ったりするのです。


1月2日の閑散としたキャンパス。

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