慌ただしく過ぎ去る日々に手をこまねくばかりの毎日だが、
この二月、三月にあった中国時代の教え子のことを備忘録として書いておく。
2月のある日、WeChatで電話があった。
渡日して東京で働いている山東省時代の教え子Wさんからだった。
私は2015年から翌年の卒業まで大学4年生だった彼のクラスでビジネス日本語を担当したが、
その後、彼が中国の大学院、就職、転職と人生の荒波に漕ぎ出してからも連絡は途絶えなかった。
中日関係もイマイチだし、
教師と教え子の関係も卒業後は次第にフェイドアウトするのだろうと思っていたが、
彼は全くそれに当てはまらない。
そればかりか一昨年3月末、なんと中国での仕事を清算して渡日し、就職までしたではないか。
私は何でわざわざこんな不況に喘ぐ日本に来て就職するのかと思ったが、
聞けば、彼の目標は日本で働くことではなく、日本の大学院での博士課程履修にあった。
会社で働きながらがむしゃらに受験勉強を続けたWさんは去年、残念ながら一度目の受験に失敗した。
その時、もう諦めるのかなと思ったが、どっこい、そんなやわな人物ではなかった。
月に一度の故郷のお母さんからの電話は決まって
「まだ合格しないのか、早く、早く」という催促だった。
「試験は年に一度しかないのに…」と、Wさんは悲しみながらも睡眠時間を削って勉強し、
とうとう、遂に、ファイナリー、今年博士後期課程入試に合格したのだった。
もう4月なので、すでに研究生活がスタートしていることだろう。
このドラマはきっとさらに続く気がするが、幸運を祈るばかりだ。
この3月には江西省時代の教え子劉さんが出張で来阪した。
劉さんは私が生まれて初めて中国に渡って働き始めた江西省南昌市の大学で当時3年生だった。
外国人は就労に当たり、市当局の健康診査を受けなければならない。
劉さんはその時に付き添ってくれた日本語が堪能な学生3人のうちの一人だった。
この間再会してその時のことをぺちゃくちゃお喋りした。
尿を採取するとき、可憐な劉さんが
「先生、小便を採ってください」とくそ真面目に言ったこと、
検査が終わって食事の話題になり、
劉さんはニワトリのネックが美味しいと私に勧めようとして
「先生、鶏のうなじはとても美味しいですよ」と言ったこと、
こういう話で劉さんと私は大笑いしてしまうのだが、
たまに「未熟な学習者を笑いものにしやがって」と捉える人もいる。
私はそういう人とは親しくなるすべがない。面倒くさい。
さて、その可憐だった劉さんはもう35歳、見目はほとんど学生の頃と変わらないが、
今は大阪に本社がある会社の広州市の子会社の副総経理だという。
打診されたとき「嫌だとも言えないので引き受けた」と、
淡々と語る彼女は以前と変わらぬ劉さんだった。
また今年の10月、社員旅行で社員十数人を引き連れて来日するという。
ちなみに、私はこの劉さんに故郷の村に連れて行ってもらって、人生またとない体験をさせてもらった。
彼女が進学した広州外語外貿大大学院の寮にむりやり泊めてもらったこともある。
お返しに日本に招いて我が娘の協力のもと、
お祭り金魚すくい体験、流しそうめん体験などをさせてあげたこともある。
我がブログに何度も登場した人だ。
教師と学生は、卒業したら思い出にしか登場しないというのが現代日本ではしごく普通だ。
「さよならだけが人生だ」…私もそれに違和感はない。
しかし最近、中国的にはそうではないことがままあると感じている。
少なくとも、私が出会った何人もの学生たちはそうではない。
関係を内に閉じず、直接的、交歓的に継続し、途切れたかに見えてまた続く。
その関係の開放性を楽しむ今日この頃だ。
⤴11年前の来日時、アニメでしか知らなかった金魚すくいを満喫する劉さん。
⤴遊んでいるはずが、なぜかいつの間にか的当て屋の番頭みたいなことをしている劉さん。
付録:2013年に初めて日本に来た時の劉さんの感想文(今から11年前)
「日本滞在記」
広州外語外貿大学大学院日本語学科 劉思婷
7月26日、山に囲まれた広州白雲空港から海に囲まれた大阪関西国際空港まで、
三時間半の旅程中、機上で私はいろいろ考えた。
日本語を勉強して五年になるが、日本へ行くのは初めてである。
本やドラマ、テレビ番組などから日本に関するさまざまな知識を得てきた私にとって、
日本国は研究の対象であると同時に、どうしても一度は訪れたい国だった。
今回、ブルーはーと先生のご尽力で、やっと憧れの日本に行くことができた。
先生にもう一度お礼を申し上げたい。
(日本はどんな国であろうか、日本の人々はどんな人たちだろうか。
『菊と刀』に描かれているような日本人なのだろうか)と
、関空に向かう飛行機の上で私の想像は膨らむばかりだった。
大阪関西国際空港に着くと、先生はもう待っていた。
先生とは五ヶ月ぶりの再会で、とても懐かしかった。
[日本の初印象―静かな道路、小さい家]
その後、先生に連れられて、JR大阪駅、阪急梅田駅を経て、先生のお宅についた。
歩きながら、キョロキョロと初めて見る日本の家、店、道路や人たちなどを観察していた。
パチンコ屋以外のところは、みんな静かで、人の声もあまり聞こえない。
道路の幅や家も小さくて、かわいい。中国だったら、何でも大きい。
でないと、人口の多い中国では渋滞になるかも知れない。
初めての日本は、何でも興味津々だった。
最初のうち、よく
「初めて日本に来て、どう思いますか?中国とどう違いますか?」
と聞かれた。
私も一生懸命このことを考えた。
例えば、天気とか人の服装とか、女性の化粧のし方とかだいぶ違っていると答える。
都市の違いは大きい。
中国の都市、例えば、広州では、建物と建物との間に一定の距離があり、大きい木が多い。
大阪では、建物が密集していて、木が少ない。
でも、よく見ると、屋上や家の前に、植木や花鉢がある。
こじんまりとして精緻な感じが溢れている。
[女性専用車両と痴漢]
また、日本のJRや阪急電車に乗ったとき、女性専用車両があったことに驚いた。
これは女性を保護するいい方法だと思う。
実は、私は一人で電車に乗ったとき、わざわざ女性専用車両を避けたことがあった。
最初は「女性専用車両」の意味がわからなくて、
(体の弱い女性とか、特別な人達だけ乗れる車両だろうか)と思ったので、
丈夫な私には普通の車両に乗る方がいいと思ったのだ。
あとで、女性だったら誰でも乗れると知ってから、毎回電車に乗るとき、
女性専用車両に乗りたかったが、残念なことに、専用車両のない電車も多いみたいだ。
JRなどに乗るとき、ドアに「痴漢は犯罪だ」とよく書かれてある。
はじめ、「痴漢」とはどういう人を指すのか、ちょっと概念が曖昧で、わからなかった。
ウィキペディアで調べると、
「痴漢とは、公共の場所で相手に羞恥心を抱かせ、不安にさせる行為を行う者、もしくは行為そのものをいう。日本独特の不法行為であり刑法に抵触する場合は少なく主に迷惑防止条例などで罰する」と書いてある。日本では痴漢は多いのか?では、すりとかは?
中国では、バスや地下鉄によく見られるのは、「请保护好自己的财物,小心小偷」である。
つまり、「すりに注意して、自分の荷物をよく確保してください。」ということだ。
すりが多くて、お金とか盗まれたら大変である。
でも、それは痴漢がいないということではない。
混んでいる電車やバスに乗っているとき、痴漢に触られることも多い。
中国の女性は痴漢に触られたら、そうっと他のところに行くだけで、
大声で叱ったり、警察に言ったりする人がまだ多くない。
息子も高校の恩師が、自宅でお餅つきやバーべキューをするからと、いつもお招きいただき、息子一家は年何回か楽しい時間を過ごさせて頂いていましたが、その恩師が亡くなられ、今は命日にはお墓参りを欠かさないでいます。
そんな師弟関係は、今の日本には無くなってしまったようですね。
中国駐在時、中国人に「日本人は冷たい」とよく言われましたが、実際、日本の家庭は核家族化が浸透しているし、教師は公務以外で子どもに接しないようになってきましたね。
中国では、多くの子どもは学校の敷地内の寮で生活しているので、教師を親代わりに見ている面もあるようです。
また今の日本社会では、学校の先生が家に子どもを招待したりしたら「もし途中で事故に遭って子どもが怪我したら責任取れるのか。公務以外で子どもと交流するのは絶対に止めなさい」と管理職に言われますよね。
つっこまれないように鎧兜に身を包まないと教師もやっていられないような委縮した世の中になって、子どもを育てる精神的環境が劣化している今の日本、哀しいです……。