毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

Rainy Season In Nanchang 2011年6月10日(金) No.148

2011-06-10 18:51:32 | 中国事情
 「Today is the beginning of the rainy season in Jiangxi-Sheng.」
と英語学科3年の邵(しょう)さんが教えてくれた。最近、我が資料室は向かいの自習室ともども次第ににぎやかになってきて、日本語学科以外の学生も交じりだしたのだ。

 こうなると、資料室の異様な湿気を何とかしたくなる。資料室には前前任者の大竹先生が寄贈した、たくさんの貴重な本がある。このままでは、湿気で数年以内に黴だらけになってしまうのは目に見えている。昨夏、エアコンを買ってくれないか、さりげなく新平老師に聞いたが、「僕たちの部屋にもそれはありません。事務職員さんの部屋はあるので、暑くてたまらない時は、事務室で涼みます。」と言っていた。資料室の壁に取り付けてあるオンボロエアコンは一度も作動したことがない。新平老師もそれが動いたのは見たことがないそうだ。

 部屋の窓はドアの向かいに大きいのがある。その辺りはかろうじて、換気できるが、部屋は奥行きがあり、奥の窓は明かり取り効果だけのためで、枠にガラスが当てはめてあり、開閉は全くできない。従って奥の白壁は湿気とカビで毎日確実に少しずつ落下している。(永遠にここにいる訳じゃないから~)と、最初は切り捨てていたが、使い慣れてくるとやはり気になる。

 中国語で「梅雨」を何て言うか聞くと、やはり「梅雨」(メイユ)だそうだ。
揚子江中・下流域ではこの頃黄梅が熟すので「黄梅雨」とも言うらしい。日本語と中国語はお互いに真似したりもらったりしている言葉がたくさんある。これもその一つだろうか。どちらがもらったのだろう。
英語学科の邵さんは、
「このシーズンになると、お母さんは湿気を防ぐため、窓を閉め切って部屋の中の湿度が高くならないようにキープしています。」
と言う。でも、資料室は夜中閉め切ってあるのに、朝一歩部屋に入ったら、床といい、壁といい、結露で濡れている。机上の紙もジメラ~ッとしている。

 乾いたモップでベトベトの床をから拭きすると、モップがじっとりと湿る。この夏は、思い切って資料室にエアコンを備えようかなあ。これから何年間もいるわけじゃないとは言え、こんなところで仕事はできない。学生達もせっかく勉強しに集まり出したのに、こんな悪環境では体に黴が生えてしまう。
給料の半額ぐらいで買えるなら…、う~む、と梅雨入りの日に思い悩むブルーはーとであった。
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二学期末テスト   2011年6月9日(木) No.147

2011-06-09 16:53:36 | 中国事情
 「ちゃくちゃく」という音が聞こえてくる。今週は最後の授業の週だ。ご近所の大学ではまだまだ授業が続くそうで、そんな話を聞くと(ニヤリ、得したわい)と嬉しくなる。その上、今学期は最後の授業日にテストをしてもいいのである。先学期、冬休みの前日までテストをしていたことを考えると、まさに極楽だ。

 7日(火)に一年生の会話クラスのテストをした。スピーチだ。発音・アクセントはまだまだ弱いが、間や表情、情感、ジェスチャ-など一人一人工夫している。一年生にしてはかなり頑張ったと言えるだろう。先週、3年の楼さんを招いてお手本を示してもらったのが功を奏したのに間違いない。
 テーマは「家族自慢」「故郷自慢」。これは学生にとって待ってましたと言わんばかりのテーマだ。多くの日本の人々に比べ、少なくとも江西財経大学の学生達は自分の家族や故郷を手放しで自慢する。遠慮や謙遜は全くない。日本社会では(この人、すごい身びいき…。ちょっとカナワンなあ)と思われそうなことが、次々と口から出て来る。曰く「私の父は我が省一のハンサムです。」「私の町ではみんな、私の母が美しいと言います。私は母にとても似ています。」「私の母は料理が得意です。その上、特別いい人です。」・・・。
 しかし、さすがそれだけではまともなスピーチにならないので、
「父はゲームに夢中です。週末いつもゲームをしています。それは残念です。」
「兄は27歳です。でもまだ結婚していません。恋人もいません。私がいい人を見つけてあげます。」
「母は小言が多いです。」
「弟は勉強ができません。でも絵が上手です。将来が楽しみです。」
「姉たちはお金がないので大学に行けませんでした。だから私が良い大学に入るのが姉たちの夢でした。でも私は良い大学に入れませんでした。」
「ぼくは一人っ子です。だから一人っ子の辛さというより痛みを知っています。」
「私の故郷の空には、いつも鳥が自由に飛んでいます。私は今度鳥に生まれて来たいです。」
など、少しずつ表面から内面に向かう文が作れるようになった。「過去形・非過去形」「ている」「あげる」「もらう」「可能動詞」「~は~が~」など、他のクラスで文法をどしどし習っているからだ。会話は習った文法を上手に使って自然な会話ができるようになることが目標だ。
 二年生でどこまで伸びるか、楽しみな学年である。
実は、数週間前の「アニメ・ドラマの吹き替えコンテスト」で、二年生や三年生の先輩グループを抑え、一年の二人組による「Naruto」が優勝するという、前代未聞の事が起きた。もちろんこのイベントは自由参加なので、実力者たちが全員そろったら、また結果は変わっていただろう。それを差し引いても勢いのある学年だ。二年生、しっかりして欲しいなあ。

 今日は、三年生の「商務日語」(ビジネス日本語)のぺーパーテスト。答案をパッと見たら「経済特区」を「けいざいとっくん」と書いていたのがあった。さあ、これから採点だ。みんな合格して欲しいものだ。
 それにしても、ジメジメしている。パソコンのマウスを触ってもじっとりする。大阪の梅雨と全く同じ。夕方5時現在気温は33℃。体感気温37℃。湿度52%。
これから十日間の天気予報を見ると、毎日毎日ずっと雨だ。ああ、南昌的天気。   
  
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卒業写真  2011年6月8日(水)  No.146

2011-06-08 21:04:06 | 中国事情
 昨夕、麦廬園(マイルーユエン)から宿舎のある蛟僑(ジャオチャオ)キャンパスに向かってミニバスで移動中、4年の李さんが電話をかけてきた。
「先生、明日卒業写真を撮る日ですよね。先生、忙しいですよね。一緒に参加できますか。10時からです。」
「ええ?明日!?そりゃ、スピーチコンテストの特訓だけで授業はないけど…。」
「そうですよね。こんなギリギリに、本当に申し訳ないですよね。でも、記念だから…。」
彼女の会話には普通じゃない回数の「~よね。」が使われる。どこで覚えたものか、こういう微妙なニュアンスを伝える語末表現を間違って使われると、(うう~)と心で唸ってしまう。
それはそれとして、また寸前のお誘いだ。私は写真なんか大嫌いだ。断れない場合、しかたな~く苦笑いみたいな作り笑いを浮かべて撮られる。また、財大の学生達は異様なまで、写真を撮りたがるのだ。今回も、断れなかった。何しろ、写真好きの子たちが、一生で一回だけの写真を撮るのだ。付き合ってあげなくちゃ…。

 せっかくの洗濯日和の今日、トホホ感覚で洗濯機を回しっぱなしにして麦廬園に向かった。昨日までの梅雨気候と打って変わって、真夏日。ベタベタの汗をかきながら朝8時半のスクールバスを待った。
バスを待つ人たちは列を作らない。植樹された椰子の木や建物の陰でバラバラに待っている。さあ、バスが来た、となると、ワラワラと昇降口に急ぐのだが、今日は私の前に妊娠婦人と杖をついて足を引きずっている男性がおり、その二人は「どうぞお先に。」と互いに譲り合っている。こういう譲り合いを見たのは、南昌に来てから、本当に数少ない。結局、女性がガンとして男性を先に乗せ、男性は激しく段差がある入り口ステップをゆっくりと登っていった。他の人もゆったりと待つ。子ども達にこういうところを見せるべきだと思う。ここ南昌郊外では、子どものマナーがなっていない。日本の子どももひどいが、南昌の子も絶対負けない。
 しかし、特筆すべきことがある。ここ南昌では妊娠女性に座席を譲るのは大人同士では当たり前感覚のようで、その場面は日本以上の頻度で見かける(残念ながら、子どもが大人に席を譲るのは未だ見聞せず)。ここの大人の人たちは命をはぐくむ身体を大切にしているんだなあ、と思う。自分も含めて、日本の大人達はどうだろう。反省…。

 9時前に、我が資料室に着き、夜の間に入り込んだ虫たち、夜自習の三年生たちが踏んづけた蚊、パラパラ落とした髪の毛を掃いた。よくこんな汚いまま帰ったもんだ。 その後モップがけをしようと部屋の隅に立てかけてある湿ったモップを取ると、かなり大きいムカデがボトッと落ちた。とにかく、宿舎と言い、この資料室と言い、虫の宝庫だ。さりげなくムカデを廊下の反対側まで掃きだし、インスタントコーヒーを淹れた。暑い日に熱いコーヒーで汗が噴出したが、仕方がない。

 10時10分前に指定の広場に行った。何百人もの卒業生グループが、それぞれ同じデザイン、同じ色のTシャツを着て待っている。偶然、楼さんが通りかかったので、人混みのどの辺りに日本語学科4年グループがいるか、電話で聞いてもらった。広いから広場というのだが、こういうとき、しみじみ人数が多い国だと思う。
 探してくれた場所に行くと、もはや懐かしい存在になったあの顔・この顔が最後のニコニコ笑顔をみせて立っていた。仕事をまた休んで来た子、1日から今日まで最後の寮生活を楽しんでいた子などが集合している。留年した李君もみんなの中でニコニコしている。写真は記念Tシャツの上にフクチャンの学帽と黒マントを羽織って撮った。日本語学科の老師たちもいつのまにか全員そろっている。
 留年した子も一緒に撮るのは良いことだ。クラスメートはこのメンバーなんだから。
洗濯物に拘泥せず、写真嫌いをも曲げて来てあげてよかったな。はなむけだもんね。


 
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ところ変われば…  2011年6月7日(火) No.145

2011-06-07 22:29:16 | 中国事情
 以前書いた黒色ペンギンの池で、一ヶ月ほど前から変な音が聞こえるようになった。排水パイプがつまりかけか、パイプから空気がボコッと出て来るときに発する音かと思っていた。しかし、池の水が排水・循環している気配はまるでない。相変わらず、お掃除係の女性は廊下のモップがけ後、その池でジャブジャブモップを洗っているが、汚れは池の底に沈殿していくばかりだ。
 
 3年の範さんが、
「先生、あの池で変な音がしています。知っていますか。」
と聞くので、排水パイプ説を唱えると、
「そうですか。それなら良いけど…。私は犬が池の中で鳴いているかと思いました。」
と突飛なことを言う。日本語学科随一の成績の彼女が、池の中に何日も犬が隠れていて、鳴いていると想像していたのが、私にしてみれば信じられない。
 先日、日本語コーナーの準備のときに2年生の席さんとその池を通りかかった。また変な音が聞こえた。席さんに
「これ何だろうね。この間からずっと規則正しく聞こえてくるんだけど。」
と言うと、彼女は即座に
「蛙です。」
と言う。私はこんな蛙の声を聞いたことがない。
「南昌の蛙はこんな変な声でなくの?」
と聞くと、
「変な声じゃありません。あっちでもこっちでも、この声で鳴いています。」
と平然としている。
 気がつくと、本当だ。今日など麦廬園キャンパスの広場にあちこち人工の穴があるが、その中から犬の鳴き声っぽい、パイプの空気漏れっぽい、およそ蛙の声らしからぬ変な音が、百家争鳴、ゴボッ、ゴボッと言っている。姿は未だ見たことがない。こんな声ならどんだけ見苦しい蛙だろうと想像し、できれば見ないまま秋を迎えたい気持ちだ。
 範さんは、河北省出身だが、蛙はやはりケロケロケロと可愛く鳴くそうだ。そりゃ日本にだって、低い潰れた声で鳴く蛙も幾種類もあるが、そのどれとも異なる。生物の鳴き声と言うより機械音っぽい感じ。
所変われば品変わる。すごいなあ。

 所変われば…と言えば、ここ江西省で沖縄の「豆腐よう」っぽい食品に出くわした。黄さんが「江西省が本場です。」と瓶詰めをくれたのだが、宿舎に帰って食べてみると、あらら、これは豆腐ようの激辛バーションじゃないですか。ねっとりとしたチーズっぽい味が懐かしく、立て続けに全家百貨(オールホームマート)で、買いまくっている。よく見ると江西省のみならず、桂林とか安徽省とか重慶とかあちこち産のがあって、当分これを次々買いまくることになりそうだ。先日、チーズのかわりに食パンに塗って、あとトマトや胡瓜を挟んでサンドイッチにしたら、またこれが美味しいのなんの。ヒットでしたわ。沖縄の超高級品価格に比べたら、驚くほど安価、日本でキムチ400g一瓶くらいのに入っているのが5,6元だ。
 さらに、浙江省出身の楼さんは、「浙江省には、これの辛くないバージョンがある。」とのこと。と言うことは、浙江省と海を隔てた琉球は食文化でつながっていたに相違ない。
 ところ変わっても、共通なものは結構あるもんだなあ。漬け物で「すぐき」にそっくりな味のも見つけたが、それはまた今度。
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雨でも鳥は      2011年6月6日(月) No.144

2011-06-06 12:47:35 | 中国事情
 南昌は雨期に入ったようだ。関西の梅雨に似て、ここ数日雨が降ったり止んだりが続いている。買い物に行こうかと思っているうちにザアッと激しく降ってきたので、直ちに予定変更。明日買っても良い物ばかりだ。

 以前にも書いたが3月の震災後、ベランダ前にパンくずやご飯粒を毎朝撒くようにしている。もう二ヶ月半経つが、鳥たちは相変わらず、物音や気配に敏感で、私が窓越しに様子を見ようと近付いただけでパーッと飛び立つ。今朝は、いつもの雀や名前が分からないやや大きめの鳥の中に初めて鳩が一羽混じっていた。体の大きさが権力の強さだ。雀は、鳩が飛んでくるとサッと近くの木々に待避する。
 他の変化は、朝遅めにパンくずを撒くと、(遅かったね。待っていたんだよ~。)と言うように私がまだパンをちぎっていても、近くの木々に集合してくるようになったことだ。こういうのは信頼されたようで嬉しい。しかし、夏休みの間この習慣が途切れると、また元の黙阿弥になるのだろう。とにかく、ここの鳥たちは慎重だ。椋鳩十の「大造じいさんと雁」を思いだす。

 急なにわか雨が、やや小降りになると雀たちがベランダ前の桜の木に戻ってきた。ベランダの手すり上にわざと少し置いておいたパンくずを小さい嘴でせっせとつついている。遠くで時折ひっそりとこちらを窺う猫もいる。
“そ~らを飛ぶ~ 鳥の~ように 自由に生きる~”とお嬢さんの頃の森山良子は歌ったが、“自由っていうのは 何もないことなんだ”と同世代の高石友也が続ける。その観点からすると、時には“この世に住む家とてない”(高田渡)のも自由の一種なのだな。
しかし“歩き疲れては 夜空と陸とのすき間に 潜り込んで、草に埋もれては 寝たのです ところ構わず寝たのです”(高田渡『生活の柄』)を『野を彷徨する自由人の歌』と言うのは、オシャレな人工香水っぽい表現でイヤだ。世間で言う「自由への憧れ」という言葉は、本当は今の生活を変えようともしない、都会の飼い慣らされた口先人間の匂いがする。オーストラリアの「Waltzing Matilda」も高田渡の「生活の柄」も、「生きてお前らには、捕まらねえよ!」という自由なんだ。
 さらに言えば、ここ南昌の鳥たちには、自由もヘチマもない。ただ死ぬまで生きるだけだ。

 昨日は、近所の学校の日本語教師の二人と我が家で慰労会をした。今週で授業が終わる。次第に気分も夏休みモードになってきたので、とりとめない思考がムクムクと頭をもたげてくる。 
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端午節  2011年6月4日(土) No.143

2011-06-04 07:36:53 | 中国事情
  今日、明日、明後日と三日間は中国の「端午節」休日。オフィスがくれたカレンダーには「ドラゴン=ボート=フェスティバル」と書いてある。学生達が由来を説明してくれたが、言葉足らずで、ただ(フ~ン…)と思っただけだった。今日は久しぶりに終日フリー。作文からもスピーチ練習からも離れてのんびり過ごすつもりだ。この機会に「端午節」をきちんと?調べてみた。

 端午節は農暦(旧暦のことを中国ではこう言うことが多い)五月五日の祝日だ。楚の国の屈原(B.C.340~B.C.278)に由来する。学生の説明は「屈原は愛国者です。彼は川に飛び込んで死にました。みんなが彼を助けようとしてボートを出しました。だからドラゴン=ボート=フェスティバルとも言われます。」と、分かったような分からないようなものだ。

 屈原が川に身を投げたのには当然理由がある。当時、中国は楚、斉、秦などが割拠していた。楚の愛国詩人屈原さんは、楚王に『斉と手を組んで秦と戦いましょう。』と提言したが聞き入れられず、逆に左遷されてしまった。そのうち楚は秦に併合されてしまい、それを嘆いた彼は『川に飛び込んで死にました』。(・・・そうか、そういうことだったのだ。)さらに、人々は舟を競い彼を救出しようとしたがかなわなかった。しかたなく人々は、屈原の遺体が悪竜にいたぶられないよう、粽(ちまき)を川に投げ入れて魚を養い、遺体の安全を確保したのである。(つまり、おびただしい魚群が屈原の遺体を守っているということか。魚は屈原の体を食べないのだろうか。)

 ま、そういうわけで、学生から粽をプレゼントされた。オフィスもくれた。どちらも浙江省ブランドのものだ(粽は浙江省が一番有名とのこと)。粽は端午節に欠かせない食べ物なのだそうだ。中秋節のときには月餅をもらった。関西でも、「子どもの日」にはチマキ、柏餅などを食べる。やはり、一衣帯水、隣国の風習は似ている。もう一つのお隣さん、韓国にも端午節があるそうだ。由来をめぐって、どちらが本家本元か議論もあるらしい。歴史家の公平な検証を待ちたい、というか、ホントはどっちでもいいけど。

 今から部屋の掃除をする。その後本部キャンパス内のスーパーへ行って、買い物がてら中華ちまきが一個いくらぐらいなのかチェックしてみようっと。たぶん高いんだろうなあ。月餅も中秋節のときはびっくりするほどの値段だったから。
 
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終わりが近づく    2011年6月2日(木) No.142

2011-06-02 18:37:10 | 中国事情

 2月20日からスタートした二学期も、ゴールが近づいてきた。
6月10日で授業は終わり、7月10日まで期末試験期間だ。今回日本語学科の試験は全て6月中旬で終わる。その後、学生達の多くは第二専攻のテストに突入し、さらに7月末まで第二専攻の授業を受け続ける。周辺の大学に比べて、専攻プラス副専攻と二種類の専攻をこなさなければならないのが多くの財大の学生たちだ。第二専攻は選択で、学費も高くなるが、就職に有利なのでほとんどの子が希望する。ある程度の成績でなければ希望しても却下される。
 さらに、昨年12月に日本語能力試験1級に落ちた3年生と今回初挑戦する2年生の一部は、7月3日に南昌大学で試験を受ける。私の能力試験対策講座は試験の前週まで続けるので、私の夏休みは7月初めからということになる。そろそろ、夏の旅行計画を詰めなければ。四川省九寨溝か雲南省麗江か、はたまた海南島…。どれにしようかな~~

 今日は、3年生のビジネス日本語の時間に、昨夜卒業パーティーで大騒ぎした4年生のうち2人が来てくれた。本当はもう一人来るはずだったが、飲み過ぎでダウンしているとのこと。
 私が、9月から4年生になる後輩達のために就職活動についてのアドバイスを依頼したのを快く引き受けて来てくれたのだ。2人とも女の子。ダウンして来られなかったのは男の子。この学年は、本当にしっかり者の女の子達が強いリーダーシップを発揮して4年間やって来たのが分かる。

 2人のうち、初めに話してくれたのは、Rさん。財大の大学院に進学するが、昨年10月からこの5月まで上海の楽天で働いていた。4年生になるとこういうことが自由にできる。授業に一度も出席しなかった子もいつのまにか追試を受けて今回卒業する。先生達も黙認している。のんびり授業に参加していて就職先が見つからないと悲惨だからかな、と思う。
 遙か昔、自分のことを振り返ると、4年生はおろか、1年生からろくに授業に出ていなかった。下宿でとりとめなく本を読み、音楽を聞く日々だった…。

 もう一人は、12月の最後まで私の授業に出席し、その後、猛然と就活を開始した子だ。大連、北京、杭州、天津、あといくつか点々と移動し、自分の納得する場所を探した。五千元で営業に採用されたこともあったが、やはり納得できずに、もう一度大連に戻り、二千元の大豆販売会社に就職した。今は彼女一人で、日本語と英語で会社のHPを立ち上げて、日本との販売ルート開拓に奮闘している。「遺伝子組み換えじゃない証明をボスが役所から取ってきてくれない。日本人は証明するものがないと買ってくれないといくら言っても、ボスは手続きがややこしいとか言って、話にならない。」とブツブツ言っていた。
 将来、故郷のハルビンに「国際青年旅館」(つまりユースホステル)を経営するつもりの彼女は、「東北は経営のノウハウがまだまだ浸透していません。やっぱり沿岸部か深センで修行を積まなければなりなせん。」と、本気で考えている。こういう子、ホントに好きだなあ。
下に記載したのは、彼女が自分一人で作った「インターネット店舗」(つまり会社のホームページ)だ。
素人っぽくて可愛い感じだが、これから商売人として自らを叩き上げていくのだろう。

英語のサイト:http://dlxindi.en.alibaba.com/
日本語のサイト:http://jpdlxindi.cs.alibaba.co.jp/

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4年卒業パーティー   2011年6月1日(水)  No.141

2011-06-01 22:47:58 | 中国事情
 中国中に散っていた4年生が、先週から続々と大学に帰ってきた。卒業前の口頭試問があるからだ。今日それを終えて、夜は卒業記念パーティーを卒業生が自前で準備し、先生達全員を招待してくれた。私のところへは迎えに来てくれるという丁重さ。
 ちょうど、3年の楼さんとスピーチコンテストの特訓をしていたので、お迎えの4年生に聞いてもらった。楼さんは、先輩に聞いてもらえるので張り切って、かなりいい感じに言えた。あとは、即席スピーチ対策だが、今日は4年生優先だ。練習を終え、歩いて下羅(シャールー)の豪華なレストランへ向かった。

 着くと、老師と卒業生16名は既に全員そろっていた。2部屋に別れ、さっそく乾杯して料理をいただいた。どれも美味しい。いつもの学生食堂のメニューとは、レベルが違う。見かけも美しい。これに比べたら、学食の菜なんか、ご飯の上にぶちまけたエサという感じだ。南昌で有名な「8°」という名前のビールがどんどん空いていく。まもなく、恐ろしい「飲め飲め攻撃」が始まった。男の子たちはおしなべて静かに飲んでいるのだが、厳しいのが女の子達だ。普段はとても温和しい子が、人格変わるというのか、グラス振り回してビールがこぼれるのもお構いなく、さあ飲め、やれ飲めと老師に詰め寄る。二部屋のうち、こちら側は新平老師、向こうの部屋は高老師が攻撃の的だ。終いに新平老師は壁際まで追い詰められ、本当に死ぬ覚悟で飲んでいた。これが噂に名高い、中国式パーティーなんだなあ。

 久しぶりに、昨年9月から12月まで補習をした二人組と話をした。梁さんは卒業できる。もう浙江省の大きい不動産屋さんで仕事をしているそうだ。もう一人の李さんは、あと3科目が足りず、留年だ。彼は日本語が本当にできなかった。今もほとんど話せないが、「田中先生、ぼくのライフで一番好きな先生です。」と言ってくれた。不意を突かれ、ジーンとなった。
 今日初めて会う子もいた。ずっと北京で大学院試験の準備をしていたそうだ。残念ながら落ちて、また来年受けると言っていた。就職した女の子達は、あっという間にきれいなお姉さんたちに変身していた。半年前までは、ひっつめ髪で、図書館に籠もって勉強していたのに。
 就職先は、北京のコンピューターソフト会社、上海の通訳、大連の大豆販売会社、浙江省の不動産、深センの二人は忘れた、江西省の銀行、江西省の小学校の英語の先生、福建省のマーケティングリサーチ…。何とかなるものなんだ。みんな、すごいなあ。中には感極まって泣く子もいたが、可愛いメダカだった子たちが、人生の荒波に「お椀の船に箸の櫂」で乗り出して行くんだから、頑張って生き延びて欲しいと祈るばかりだ。
 以前の日本人教師、大竹先生からのメールもみんなで読んで、しみじみしていた。こんな良い雰囲気の卒業式は何十年ぶりだろう。卒業式というのは実は、この大学では無い。写真撮影が8日、証書受け渡しが月末と、パラパラ何回にも分けてする。しかし、就職している子が多くて、今日のように全員が集まれる日はもう無い。つまり、今日の宴会が彼らにとっての卒業式なのだ。これいいなあ。
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