毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「鳩山由紀夫さん、えらいね!」No.1431

2015-08-12 23:26:03 | 反戦平和

時事通信、産経、RecordChinaなどが報じた鳩山元首相の祈りと謝罪ですが、

ここまで真正面から正式に謝罪すれば、凍てついていた韓国の人々の心にも

暖かい日が差すのではないでしょうか。

安倍首相が「侵略」「おわび」を言うの言わないのとさんざん駄々をこねて、

最後、しかたなく口先だけの「おわび」をいやいや言うのとえらい違いです。

これこそがきちんとした誠意あるお詫びでしょう。

 

聯合ニュース 8月12日(水)18時51分配信                      

韓国人独立運動家への拷問 「申し訳なく思う」=鳩山元首相

【ソウル聯合ニュース】韓国を訪問している鳩山由紀夫元首相は12日、ソウル市内にある西大門刑務所歴史館(旧刑務所跡)を訪れた。同所は日本による植民地時代に抗日独立運動家らが投獄されていた場所で、鳩山氏は独立運動家への拷問など過酷な行為を行ったことについて謝罪した。

 鳩山氏は10代で亡くなった女性独立運動家、柳寛順(ユ・グァンスン)らが収監されていた監獄や拷問の様子を再現した施設などを約40分にわたり見学。独立運動家らをしのぶ記念碑の前では靴を脱いでひざまずき、手を合わせて冥福を祈った。
 また記者会見を行い、「独立運動家らをここに収容し、拷問というひどい刑を与えて命を奪ったと聞いた」とした上で、「心から申し訳なく思っている」と謝罪した。
 鳩山氏は光復(8月15日、日本による植民地支配からの解放記念日)70周年を迎え、ソウル市内で開かれる「東アジア平和国際会議」に出席するため韓国を訪問している。


RecordChina配信日時:2015年8月12日(水) 20時10分

鳩山元首相がひざまずいて謝罪「植民地支配、心から申し訳ない」=韓国ネットは感動の涙「過去を許します」「5000万人の韓国人ファンをゲット!」

2015年8月12日、韓国・聯合ニュースによると、訪韓中の鳩山由紀夫元首相は同日、日本の朝鮮半島統治時代に独立活動家らが収監されていた西大門(ソデムン)刑務所歴史館を訪れた。

 鳩山元首相は館内を見学後、記者会見を開き、「日本が韓国を植民統治していた時代、独立運動家をはじめとする多くの人々が収容、拷問され、命を奪われた。心から申し訳なく思っており、おわびの言葉をささげます」と述べた。 

鳩山元首相は約40分間館内を見学したが、その間11回も頭を下げた。最後に、鳩山元首相は独立活動家らをしのぶ記念碑に献花した。さらに、靴を脱いでひざまずき、7秒間合掌した後にぬかずいたという。 

これについて、韓国のネットユーザーはさまざまなコメントを寄せている。 

「日本人だけどかっこいい」 
「尊敬に値する方だ。安倍首相は見習うべき」 
「ジーンとして目頭が熱くなった。安倍首相は何をしているの?」 

「首相任期中にしていたら完璧だったのに…」 
「涙があふれてきた。ひざまずいて謝罪する人はなかなかいないよ!」 

「賠償よりも、このようにささやかだけど誠意ある謝罪が必要なんだ」 
「鳩山元首相は5000万人の韓国人ファンをゲットした!」 

「鳩山元首相の勇気に心から感謝の言葉を伝えたい」 
「すごい。韓国の政治家、それに私でさえもそんなに心のこもった祈りはささげられない」 

「日韓関係改善の光が見えた気がした」 
「謝罪することは恥ずかしいことじゃない。安倍首相が鳩山元首相のように謝罪したら、世界から尊敬される人物になれる」 
「過去を許します。そして絶対に忘れないと誓います!」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150812-00000061-rcdc-cn(翻訳・編集/堂本)

―――――――――――――――――――――――

レコ・チャに載る声はもちろん編集されたもので、他の意見もあるでしょうが、

きちんと謝罪する人に鞭で対応する人はどこの国でもあまりいないと思います。

中国ではどんな反応か、これもレコ・チャから。

あまり事実とかけ離れてはいないと思います。

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「元首相とはいえ、これは大ニュースでしょ。安倍は鳩山から多くを学ぶべきだ」
「日本の右翼に刺されるんじゃないの?」

「中国ではいつひざまずくんだ?」
「中国には来ないのか?南京大虐殺は?旅順大虐殺は?」

「知らないのか?彼は2013年に南京大虐殺記念館の前で謝罪し、ずっと中国への謝罪を公言してるんだよ」
「中国に来ないのかと言ってるやつにはあきれた。彼は南京大虐殺記念館で謝罪したことがあるだろう。君ら程度の記憶力では、日本人が『中国は何度謝っても謝罪を要求してくる』と言うのも仕方がないことだな」

「彼は日本の右翼に“罪人”と呼ばれる人物。首相になって最初の訪問地に米国ではなく中国を選び、結果、1カ月で辞めた」
「彼は歴史の過ちを認める。だからこそ日本人に罵られるのだ。中国人としてはやはり彼を尊敬する」

「ひざまずくのは恥ずかしいことじゃなく、逆に偉大なこと。あなたの勇気に敬服する」
「戦争の罪を謝罪する首相はすぐに引きずりおろされ、慰安婦問題を否定する首相は再選する。親日派は目を覚ました方がいい。君たちは悪いのは日本政府だと言うが、その日本政府を選んでるのは誰なんだ?」

「鳩山もこうすることでしか老人票を集められないんだな」
「これは離間計じゃないか?中国人はもっと怒るぞ」

「中国の指導者はいつベトナムで跪くかな」
「どこかの誰かは文革や大飢饉で亡くなった人に謝罪と懺悔をしたのか?」
「先祖の罪を子孫が返す必要はない。歴史を正視すればそれで十分」

(翻訳・編集/北田)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150812-00000069-rcdc-cn

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「イラクで償いをするアメリカ人たち」No.1430

2015-08-11 22:21:57 | 反戦平和

高遠さんの話の中で、私が不意を衝かれ、ウッとなったエピソードがあります。

イラクで活動するアメリカのNGOグループの話です。

アメリカ軍によって滅茶苦茶に破壊されたイラクに、

そのアメリカからボランティアでやって来る人たちがいるのだそうです。

高遠さんがはじめそのグループの人たちと知り合った時、

彼女ら・彼らは自国の軍隊がイラクで何をしたか、

詳細はサッパリ分かっていませんでした。

高遠さんが、アメリカ軍の残虐非道な行いを丁寧に説明すると、

アメリカから来たその人たちはひどく落ち込んだそうです。

(そりゃ、そうでしょうよ・・・)。

しかし、と、高遠さんは愉快そうに言いました。

当然、それでアメリカに帰っていくと思ったら、どっこい、

彼女ら・彼らは「よく分かった。私たちは償う」と言って残り、

今も活動を続けているそうです。

下の写真は、それらNGOグループの名前です。

 

私は試しにネットでPreemptive Love Coalition を検索してみました。

すると、たくさんのサイトが出てきました。

下はフェイスブックのそのNGOのHPから拾ったものです。

昨日やつい先ほど掲載された記事です。

まさに、イラクが一気に近づいたように感じました。

―――――――――――――――――――― 

  昨日 22:40 

A brutal heat wave, country-wide protests, and the daily onslaught of ISIS could not prevent you from showing up for Haditha!

15 tons of food delivered by cargo plane over ISIS-controlled territory is amazing—share this image to show your impact!

和訳:過酷な熱波や国中の抗議、そしてISISによる日々の猛攻撃もあなた方がハディーサに現れることを妨げることはできませんでした!

貨物機による15トンの食べ物が、ISISに支配された地域に届けられたのは、実に素晴らしいことです。あなた方がもたらしたインパクトを示すためにこのイメージ(絵)をシェアします。

 

↓2(20時間前)

Emergency relief supplies for Haditha were packed up in heat of more than 120°F and then delivered to an active war zone—we work with some courageous, hard-working volunteers!

和訳:ハディーサへの緊急援助物資が120°F以上の暑さの中で積み込まれ、それから、今も戦闘中の地域へ運ばれた。我々は何人かの勇敢で一生懸命働くボランティアの人たちとともに作業をしている。

 

↓3(31分前)

Moms in Haditha woke up this morning knowing they can feed their families—because you showed up! Thank you!

和訳:ハディーサのママたちは、今日は家族に食事を与えることができることが分かって起きてきました。なぜなら、あなた方が現れたから!ありがとう!

―――――――――――――――――――――――

日本の新聞やテレビが伝えないのなら、自分で知る努力をするしかありません。

高遠さんは、英語はどうしても避けて通れないものだと説得していました。

「英語は苦手で~」と言っている場合ではないが、どうしても自信がない場合、

1翻訳機能を使う。

2孫や子どもを使う。

とにかく、立ち向かうしかないのだ、と。


情報鎖国に立ち向かう方法だけではなく、

私が高遠さんの話から学んだのは、

アメリカ人NGOグループの

「よしわかった、私たちは償う」という姿勢です。

私は今月末、またしばらく中国に行きます。

中国では先の戦争で、日本軍によって中国人がどれほど酷い目に遭ったか、

知らない人はいません。

以前勤務していた大学の日本語学科のある学生は、

「自分の祖父が子どもだったとき、

目の前で母親が日本軍のために大怪我をしたのを見ていたので、

日本が大嫌いだ。自分が大学で日本語学科に入ったとき、

祖父は怒り、祖母は泣き、猛反対された。」

と作文に書いていました。

これは歴史の事実です。あったことをなかったことには決してできません。

歴史修正主義者たちが百万回「なかった」と言ってもダメなのです。

 

イラクでアメリカ人たちが頑張っていることを知って、

へなちょこの私も大いに励まされました。

また、父や母の世代がした罪を償いに行ってきます。

自分の子どもや孫の世代が、中国や近隣諸国の人々と

何の屈託もなく平和に交流しあえるように、

一人分の力であっても尽くしたいと思います。


 

 

 

 

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「『良心の傷』に苦しむ米兵」No.1429

2015-08-10 21:05:45 | 反戦平和

日本国内のメディアに頼っていては知り得る情報が非常に限られていると、

常日頃感じていましたが、

高遠菜穂子さんもズバリ、日本が「情報鎖国」状態であると指摘していました。

 

とりわけ中東については日本語情報は限りなく少なく、

政府は都合の悪いことは一切国民に知らせないし、

(安田純平さんどうなっているのか心配!)

メディアは足並み揃えて自主規制します。

ウィキリークスの存在はもちろん誰しも知っていますが、

ウィキリークスがリークした内容は知らされません。

一昨日、神戸で高遠さんが見せてくれたのは、

そのウィキリークスが提供したものでした。

アメリカ軍の兵士たちがイラクで日常的に何をしていたのか、

その後、彼らはどうなったのかについて知ることができるもので、

戦争を仕掛けた国には、こういう映像は非常に都合が悪いものでしょう。

その動画内容についての高遠さんの記事を資料としていただいたので、

ここに紹介します。

これを読んで、自民・公明が推し進めている戦争法案が実施された場合、

どんなことになるかが鮮明に浮かび上がってきます。

派遣された自衛官の死ぬリスクが確実に高まるということです。

――――――――――――――――――――――――

「対テロ戦争」と兵士 高遠菜穂子 平和新聞2015年7月25日(土)No.2084

5年前、イラクで米軍がジャーナリストと子どもを含む民間人を殺害した

一部始終を捉えた映像がウィキリークスによって暴露されたことをご記憶だろうか。

上空から撮影された白黒の映像に、

耳を塞ぎたくなるような米兵たちの汚い言葉のやり取りとせせら笑いの合間に

轟く機関銃の音。

地面に倒れ込むイラク人たち、逃げ惑う彼らを執拗に狙い撃ちしていく。

車道に止めてあったワゴン車には子どもたちが乗っているのが見えるが、

けが人を運び入れようとしているその瞬間に車は激しい銃撃を浴びる。

あまりに悲劇的な映像と生々しい通信記録。

戦地から遠く離れた一般市民は「あってはならないことだ」と衝撃を受けたが、

その場にいた米兵たちにとっては「日常」であった。

子どもを抱きかかえ

 この映像の中に登場する米兵イーサン・マコードは、

ある集会でこの映像を使ってスピーチをした。

彼はあの車の中に、内臓が飛び出し、体中に破片が刺さった子供たちを発見する。

微かに息のある子どもを助けようと抱きかかえ、「大丈夫だ、死ぬな」と走った。

しかし、上司から「そんなガキどものことでくよくよするな」と叱責される。

彼は思いを封じ込め、「分かりました」と返答する。

しかし、感情は抑えられない。

マコードは戦場で絶対にやってはいけないと教え込まれたことをやってしまった。

人間性と、人類全てに対する愛が、全てを押しのけて浮かび上がってきたのです

マコードは、路上爆弾でも狙撃でもいいから、

この苦しみを絶って欲しいと願っていたという。

本国に帰還した今も、イラクでの光景、子供たちの叫び声、臭いが蘇り、

PTSDに苦しんでいる。

「いつかひと晩ぐっすり眠りたい。蘇ってくる記憶に取り憑かれることなく」

と言う彼の言葉が苦しい。

良心を持った兵士はこんなにも苦しいのだ。

「良心の傷」に苦しむ

米国には退役軍人省があり、専門の病院もある。

2005年にニューヨークの帰還兵病院に行ったことがある。

病院に入ると手足を失った人たちが歩行器や車椅子で廊下を行き来していた。

驚いたのは、あらゆる世代がいたことだ。

取材に応じてくれたカウンセラーによると、

「第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク、アフガン、

ありとあらゆる戦争の兵士たちがここに来ています。」 

とのことだった。

中には、80歳まで何の症状もなかったのに、

テレビでイラク戦争を見たことをきっかけに

フラッシュバックが始まったという人もいるとのことだった。

私がこれまで会ったイラク帰還米兵たちに共通しているのは、

イラクで地獄のような体験をし、せっかく生き延びて帰還したのに、

故郷で別の地獄を味わっているということだ。

戦地で体験したことを最愛の家族でも理解できない。

あるいは、優しく励まされるほどに苦しみが増していく。

人を殺したのに「名誉」とされる違和感。

イラクで戦死した米兵は4500人近いが、帰還してからの自殺はもっと多い。

退役軍人省の発表でも、1日22人のペースで帰還兵が自殺している。

ある米兵が帰還兵病院に行かなくなったわけをこう説明した。

「退役軍人省は基本的に、アメリカの戦争は『正しい』とする。だから、どんなに罪悪感を感じても、『あなたは名誉の戦士です』と繰り返される。それは症状を悪化させるだけ。」

『モラル・インジャリー(良心の傷)』というのは新しい診断名だ。

イラクやアフガン帰還兵にそのモラル・インジャリーが多いのは、

「対テロ戦争」に大義も成果もないことが原因の一つにあるかも知れない。

国民のリスク上がる

そして、「対テロ戦争」で対峙するのは武装組織。

どこから攻撃されるかわからない特有の恐怖がある。

兵站や検問所は最も狙われる。

屈強な米兵たちでさえ、いかにそれが大きな負荷だったかを語る。

それも激しいPTSDの原因だ。

世界最強の米軍を恐怖で震え上がらせる。

その武装組織を支えるもの。それは、国家への忠誠心と言うよりは、

一人ひとりが抱えている敵への「怒り」の感情だ。

彼らはただ命令に従っている軍人じゃないのだ。

私は武装組織に拘束された時、その強烈な負の感情に圧倒された。

「対テロ戦争」とはそういう戦争なのだ。

安保法案が成立し、自衛官が海外で武器を使用することになれば、

リスクが上がるのは当然だ。

それは日本国民の安全を確保するためだと言われるが、

残念ながらそうはならない。

逆に国民のリスクは上がる。

イラクなど戦地や海外で働く日本人だけでなく、

日本国内にいてもリスクが高まるのは同じだろう。

そして、「対テロ」の現場で武器を使用するということは、

現地の民間人を巻き込む可能性も高まるということだ。

正義感あふれる自衛官ほど、自らを苛む光景と生きることになるだろう。

イーサン・マコードのように。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

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「神戸で高遠菜穂子さんの話を聞いた」No.1428

2015-08-09 22:13:51 | 反戦平和

昨日8日は土砂降りの雨で和歌山から神戸まで来るのがたいへんだった高遠さん。

北海道千歳市出身。イラク支援ボランティア。

支援活動に行ったイラクで誘拐され、助かって日本に帰ったらとんでもない

攻撃の嵐に遭った人です。他でもない母国日本の人たちに。

あのときはとても気の毒だったので、私は励ましの手紙を書きました

「国に迷惑をかけやがって!」という考えには承服できませんでした。

でも出したかどうか覚えていません。

日本人によって潰された彼女がまたイラクに渡り、

ボランティア活動を再開したと知って、心で声援を送ったものでした。

また、一昨年だったか、「NHKラジオ深夜便」に出演した彼女が堂々と、

「憲法九条は中東の人々に羨ましがられる素晴らしい日本のブランドです」

と言うのを聞いて、嬉しかったです。

私も中国で憲法九条の「戦争放棄」と95年村山談話を説明して、

中国の学生たちが、初めて、

(日本は変わったんだ。軍国主義は昔のことだ)と思ってくれたとき、

日本国憲法第九条は、過去の戦争への反省として、

侵略した国の人々の心に届くものだったのだとしみじみ思いました。

 

そんな高遠菜穂子さんに直に会うのは初めてでしたが、

懐かしい友達に会ったような気持ちになりました。

安倍政権によって中東の日本国憲法ブランドは地に落ちてきていると説明し、

これからどうしようか本当に困っていると、率直に語る彼女と

また生きて会えるかどうか、そんな心配が一気に増しました。

(つづく)

 

 

 

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「いのち(命)の連続こそ何よりの平和」No.1427

2015-08-08 10:37:35 | 反戦平和

昨夜は娘とその連れ合いが神戸元町駅前にとんでいきました。

仕事が終わり、保育所に子どもを迎えに行って自転車で家に帰り、

洗濯ものを畳んで、子どもに桃の切り身(?)を食べさせ、

私の用意した(て言うか、半分はスーパーで買ったんですけどね)夕食を食べて、

そうしているうちに帰ってきた連れ合いと慌ただしく出かけて行ったのです。

娘の連れ合いは30代中ごろですが、娘と私の勧誘、

「シールズ関西の街頭活動は、今までの掛け声と違うよ。一見の価値ありだよ。」

で、「ふーん、じゃ行こうかな」と。

 

孫娘は私と留守番です。

私はそのために一駅離れた自宅から娘夫婦の家に出かけたのです。

実は、私はそれがたいへん楽しみなのです。

去年の7月に中国から帰国した時、彼女はまだ一歳足らずでしたが、

不審者を見分ける力が強いのかして、

私への対応はかなりよそよそしいものでした。

私は娘の助けになれば、と思って時々手伝いを申し出ましたが、

はじめ、孫娘はこの世に1年弱しか存在していないのに(から?)、

私と2人で過ごすことにその小さい身体の全てで抵抗を示しました。

お母さんがトイレに行くだけで顔に緊張が走り、

お母さんがお出かけしたら暫くの間は大泣きです。

その時、私はかつて観た映画「トッツー」で、

ダスティン・ホフマンが孤軍奮闘していた

子守りの場面をおもわずにはいられませんでした。


ああ、その日々から一年。

両親が戦争反対の集会に参加して家を空けていても、

もはや私の「トッツー」時代は終わっていました。

祖母と孫は、穏やかにビデオ録画した「アンパンマン」を2回観て、

新しいキャラ名を教えてもらい(ほとんど何と言っているのか分からなかったけど)、

NHKみんなの歌の「たこたこ音頭」をともに踊っては、

「カエルの歌」に合わせてスプーンでリズムを打ち、

入浴(実態は、お風呂場で水遊び)の後は絵本を次々に読破して、

最後に「しろくまさんのパンツ」を読んでから、

パンダのぬいぐるみにもパンツを穿かせるべきかどうか話し合い、

オムツパンツを穿いたパンダやコッシ―(なんかのキャラクター)と手をつないで

ベッドルームへ向かったのでした。

昨夜の感動は、初めて孫が「おばあちゃん」と、私を呼んだことです。

ベッドで私が寝たふりをしていたら、何度も、

「おばあちゃん」「おばあちゃん」と起こすのです。

寝たふりベテランの私は、眉根一つ動かさずに心中ホクホクでしたよ。

 

ついに寝た孫娘をみていて、人類の歴史を思いました。

(こんなふうに世界中の人たちは、いのちをつないできたんだ)と、

しーんとした時でした。

だから、簡単に「○○人、死亡」とか、

いのちが数字で片づけられる時代は間違っていると思うのです。

 

 

 

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「夜回り先生、武藤自民党議員に意見す」No.1426

2015-08-06 22:57:38 | 反戦平和

水谷修さんのことは漫画「夜回り先生」で知った(と言えるかな?)だけで、

実際にお話を伺ったこともないのです。

しかし、その漫画の威力はすごいもので、それ以来、

夜回り先生は私の心の奥の方にモワッと位置を占めています。

 

SEALDs(シールズ)の若者が戦争反対を訴えていることに対して、

自民党の武藤衆議院議員(36歳)が、

「戦争に行きたくないというのは、自分のことしか考えない利己主義だ」

と述べました。

この発言は、ものごとの道理が分からない人間の言うことで、

お話にならないと切り捨てることもできますが、

でも、道理が分からない蒙昧な人間では国会議員は務まりません。

当然、いくつもの武藤議員への意見がネットに上がっていました。

その中に「夜回り先生」こと水谷修さんの文があり、

中学生にも分かるように書いていらっしゃったのです。

水谷先生の人となりを、漫画からさらに一歩踏み込んで知りたく思い、

ここに共有させていただきます。

―――――――――――――

自民党武藤衆議院議員の発言について 2015年8月 4日

自民党の武藤衆議院議員が、ツイッターで、十代二十代の若者たちのグループが、現在国会で審議されている安全保障関連法案に、反戦平和主義の立場から、反対運動を繰り広げていることに対して、国家の存続や平和に対する「利己主義的態度」だとして、批判しました。

これは、完全に武藤衆議院議員が、間違っています。

本当の「利己主義的態度」を取る若者は、デモもしなければ、声をあげて反対を表明することもしません。ただ、知らんぷりをし、現在の享楽に身をゆだねます。

彼らは、この国の明日を真剣に考えているすばらしい愛国青年たちです。

武藤衆議院議員が、本当にこころある議員であるなら、ツィッターでこのように無造作に侮蔑のことばを投げ捨てるのではなく、彼らのところに出向き、彼らの意見をきちんと聞き、また自分の意見もきちんと話すべきです。哀しい人です。

 

ちょうど4年前です。私が父のように慕う日本を代表する俳優のご夫婦と、若手の自民党の議員の方々と会食していました。

話題が、尖閣列島に於ける中国船舶の不法侵入の話になったときに、一人の議員が、「法律を改正し、自衛隊を送り、武力を持ってしても、中国船舶を追い返し、国土を守らなくてはいけない。これでは、日本の名誉が損なわれる」と一言言ったときです。

彼は、「君が、行くのかね。もし、そこで、一発でも銃弾が飛べば、戦争が始まる。そして、自衛官の命が失われる。それでもいいのかね。君に聞きたい。君たち国会議員が、守るのは、国家の名誉なのか、それとも、国民一人ひとりのいのちなのか。君は、何もわかっていないようだ。私は、あの戦争を体験している。どんなことがあっても、二度と戦争はしてはいけない。名誉なんてものは、一度失っても取り戻すことは出来る。でも、いのちは一度失われたら二度と取り戻すことが出来ない。帰れ」この議員は怒って帰りました。

彼の名は、菅原文太さんです。


国があって国民があるのではなく、国民があって、はじめて国がある。今、この発想が多くの国会議員のあたまの中から消えているようです。これを文太さんは、教えてくれました。

戦後70年、私たちの国日本は、一発の銃弾を他の国の人に撃つことなく、また国民が、ただの一人も戦争によっていのちを奪われることなく、現平和憲法の下で現在の繁栄を築いてきました。その事実が今や忘れ去られようとしています。

それでも、国際情勢の変化や他の国からの要請の中で、自衛隊を設立し、また憲法との法的安定性を保ちながら「PKO」にも協力してきました。それが、今大きく揺らいでいます。

そのような動きに対して、必死に声をあげた若者たちこそ、今最もこの国の明日と世界平和を深く熟慮しているすばらしい若者たちです。それを「戦争に行くのがいやだから」などと、「利己主義」と切り捨てる。これは、かつての戦前の軍国主義の再来を感じます。


今は亡き菅原文太さんにかわり、武藤議員および、すべての国会議員に聞きたい。「あなた方が、守らなくてはならないのは、国ですか。国民のいのちですか

―――http://www.mizutaniosamu.com/blog/010diary01/post_361.html

水谷修オフィシャルブログ「夜回り先生は、今」より。

 

〈ふろく FBより拝借〉

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「武器をアメリカやイスラエルに売らないで!ーガザの子どもの声」No.1425

2015-08-05 14:01:02 | 反戦平和

 

 

参議院では、政府の腐った答弁が続いています。

曰く、「手りゅう弾、クラスター爆弾、劣化ウラン弾もミサイルも消耗品だから

弾薬であり、武器ではありません」

アメリカへの武器提供を何が何でも実行しようとすることしか考えず、

聞いている方が呆れて頭がへんになりそうなことを

しらっとした顔で言う中谷防衛相や、

「中谷防衛相の発言はまったく正しい」と言うアベ首相。

ここまで低レベルの発言をしても国民は大丈夫と踏んでいるのかと思うと、

(ああ、日本はとんでもないことになっている)と絶望しそうになりますが、

安易な絶望は愚か者の選択なり、ということで

たくさんの人々がそれぞれの場で真正面からアベ政権と対峙していることを

自分に言い聞かせて冷静を保つ今日この頃です。

 

その一人、志葉玲さんが2013年に書いたガザレポートを読みました。

2013年7月23日のその記事は、すでにその時点で日本が、

「死の商人」としての一歩を踏み出した事実を知らせています。

下の写真はF35という最新式(次世代型)戦闘機です。

志葉玲さんは次のように説明しています。

―――――――――――――――――――― 

「メイドインジャパン40%」のF-35がパレスチナの人々を殺す

F-35は、レーダーに映りにくいステルス機能を持つ

マルチロール型(万能型)の戦闘機で、

特に対地攻撃、つまり空爆を得意にしている。

開発元のロッキード・マーチン社は

「全部品の40%を日本産にする」と提案したとされ、

三菱重工などが防衛省からF-35開発計画への参加企業として指定された。

防衛省は13年度予算案で、

F35の部品製造や機体組立などを担う国内企業の支援費用として

830億円を計上。

今年(註:2013年)3月19日付けの産経新聞によれば、

愛知県に新設される三菱重工のF-35組立てライン設置にも

数百億円の支援を行うという。

画像

―――――――――――――――――――――――

 昨年2014年のイスラエルによるガザ大虐殺は、

世界中で反イスラエルの世論を巻き起こしましたが、

そのときにはこの次世代型戦闘機も、

子どもや大人殺しに「大活躍」していたのかも知れません。

既に今から2年前の2013年に、

それまでの日本政府が堅持してきた「武器輸出三原則」を踏み外していた

アベにすれば、「今回の安保法制など、

今までの武器輸出の延長線上にあるものなのに、

今さら何を騒ぐことがあろうか」ということなのでしょう。


それにしても、アメリカに付き従う罪は大きいです。

やりたい放題の国際人道法違反を繰り返すイスラエル、

そのイスラエルを支持する尊大な独善国家アメリカ、

そのアメリカの手下、スネオ日本。

 志葉玲さんは、レバノン、イラク、パレスチナなどを取材し、

現地の人たちの声を伝えています。

 ―――――――――――――――――――

画像

今年(註:2013年)4月、パレスチナ・ガザ地区を訪れた際、

4年ぶりにザイナブ・サムニさん(写真)に再会した。

彼女は、4年前のイスラエル軍によるガザ侵攻での集団虐殺事件

「サムニ家の虐殺」の生存者だ。

親戚同士で集団農場を経営していたサムニ家は09年1月、

イスラエル軍に包囲され、非戦闘員であることを訴えたにもかかわらず、

約30人が殺害された。

その中には、ザイナブさんの両親も含まれる。

「イスラエル兵の投げ込んだ爆弾で、パパは首から上が吹き飛び、

ママはお腹が裂け、内蔵を飛び出させて死んだわ…」(ザイナブさん)。

日本が武器輸出三原則の例外として

F-35共同開発に関わろうとしていることを話すと、

ザイナブさんはこう訴えた。

「米国やイスラエルに兵器を売らないで下さい。

その兵器が私達を殺します。

日本の人々がいい人達だと、私は信じています」

と。

是非、本稿読者の皆さんにも考えてもらいたい。

米国や一部の大企業の利益のために、税金を使ってまで、

日本の平和国家としての理念を捨てても良いかどうかを。

(志葉玲)

日本が「死の商人」にー安倍政権、武器輸出三原則撤廃を目指す

 http://bylines.news.yahoo.co.jp/shivarei/20130723-00026687/ )

――――――――――――――――――――――――――――

 

思えば、アメリカに付き従うことで、日本は沖縄を犠牲にしつつ、

原発開発に突き進んできました。

近隣の国々との平和外交も、いちいちアメリカの顔色を窺い、

アメリカの都合で右往左往している国が日本です。

戦後70年のターニングポイントに、また戦前に回帰するのか、

戦後の平和と民主主義をさらに実のあるものに深めて行くのか、

それを決める権利は、現時点ではまだ、国民に存します。

 

 ↓田中龍作ジャーナルより 2014年7月30日パレスチナ・ガザ地区ジャバーリヤのUNRWA避難所前では、数頭のロバが爆撃により殺されていた。=7月30日、写真:筆者=

(ジャバーリヤのUNRWA国連避難所前では、数頭のロバが爆撃により殺されていた。)

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「手りゅう弾もミサイルも武器じゃないという政府」No.1424

2015-08-05 00:18:39 | 反戦平和

「嘘つきは泥棒の始まり」とは昔の諺。

今は「嘘つきはアベの始まり」という時代に突入しました。

アベ首相の嘘つきパワーはたちまち周りに伝染し、

今の国会答弁はまるで、嘘つき大会の様相を呈しています。

福島瑞穂さんの質問に対して、中谷防衛相は、

「手りゅう弾も、ミサイルも、クラスター爆弾も、武器ではありません。」

と、キッパリと答えました。

武器ではないのなら何でしょう。

「弾薬」だそうです。

(ええ?弾薬は武器ではないのかー!?)と誰しも思いますよね。

なぜ、「武器ではない」と言い張るのかというと、

武器でなければ、他国軍に提供できるからです。

従って、手りゅう弾はアメリカ軍に提供されるのでしょう。

はじめにアメリカとの約束があり、

日本国内での承認は、後で適当に言葉の言い変えで済む

と思っているとしたら、本当に舐めています。

憲法も、国民も舐められ切っています。

そう言えば、ナチスのゲッペルス宣伝相は、

「宣伝はレベルの低いものの方が受け入れられる」

「嘘も百回言えば真実になる」

と、大衆蔑視の神髄というべき言葉を残しましたが、

まさに、今の政府はナチスからいろいろ学んで、

国民蔑視の道を脇目も振らず進んでいますね。

そんなゲッペルスもどきに騙される国民ではないわ!

と啖呵を切りたいけど、

騙される人もかなりいるような・・・・・・。


↓ふろく(FBから借用)

 

 

 

 

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「安保法案に反対する街角の人々」No.1423

2015-08-03 21:45:33 | 反戦平和

デモに参加する若者が急増し、

昨日は東京で高校生主催のデモが主催者発表5000人で行われました。

制服姿の高校生とそれを守るように後ろにつく大人たち。

まさに戦争できる国づくりをもくろむ安倍政権と自民・公明党の前に、

平和を愛する国民の大きな壁が形成されてきました。

日本各地の人々の表現を捉えた写真がたくさんネットで見ることができます。

今日はこの間から保存していた写真を皆さんと共有したいと思います。

中国からもコメントが寄せられたので、私は嬉しいです。

 

まずは昨日の東京渋谷の高校生主催のデモの様子から。

制服を着ている子がたくさんいます。

コールもまだ澄んだ子どもの声が残っている高い声です。

私は動画を見ながら、泣けて仕方がありませんでした。

「安倍晋三から未来を守れ」「子どもを守れ」と子どもに言われたら、アナタ、

大人としては、ホンマに面目ないですよ。

 この日、アピールした何人かの高校生の一人のうち、

一人の子の書き起こし文をフェイスブックで見つけたので

転載させてもらいます。

―――ここから転載

 「こんにちは。春に中学校を卒業しました、16歳です。関東の北の外れの山奥から、片道3時間電車に揺られて、今日、ここに来ました。私は普段、両親と一緒に野菜を作ったり、デザインをしたり、一見政治と無関心な暮らしをしています。そしてなぜだか今、都会のど真ん中で、デモのサウンドカーに乗って、スピーチをしています。

 私が生まれる9年前の今日、8月2日、イラクのクウェートに侵攻が開始されました。アメリカの石油利権の支配者であったブッシュ大統領は、アラブ世界の石油の多くがサダム・フセインの手に落ちることを恐れ、それを阻止するために、多国籍軍によるイラクへの砲撃を開始しました。それが第一次湾岸戦争の発端です。

 そして日本政府は要請されるままに、135億ドルという大金を「援助」という名のもとに、出資し、その一部は劣化ウラン弾のような核兵器になりました。原爆を落とされ、2度と戦争をしないと誓ったこの国の人々の税金が人殺しのために使われました。私たちはそんな形で戦争に加担したくない。そんな形で人を殺したくない。

 なので、私は自分たちで食べるものを自分で作り、自分の家は自分でたてて、戦争経済に加担したくない、と自給自足を決意し、両親は便利な都会を離れて、私を育ててくれました。

 私たち庶民はなぜ支配者の攻防の歴史を学び、覚えなければならないのでしょうか。私たちが本当に学ぶべきは、一般庶民が支配者によっていかに搾取され、蹂躙されてきたか。そしてその歴史から、私たちはいかに連帯して、民主主義を構築していくかではないかと思うのです。

 戦争とはそれによって大きな利益を得る、ごく一部の資本であって、利権によって、国を奪われ、戦争に繰り出され、あるいは、復讐などによって傷つき、命を落とし、悲惨な体験をするのは、民衆なのです。

 私たち一般の日本市民は、他国の自分たちと同じ人間を憎しみ、殺さなければならない理由がどこにあるのでしょう。戦争が起こった場合、傷つくのは、敵、味方関係なく、巻き込まれる私たちです。

 私がこの戦争法案に反対する理由は、今、与党が決定しようとしているプロセスが立憲主義を踏みにじるものだからです。こんなやり方を許したら、時の政権が都合の良い解釈で、やりたい放題にできてしまうからです。ただ、戦争に行きたくないからだけで反対しているのではなく、この国の民主主義を守らなければならないから、今、声を上げているのです。

 この法案が廃案になれば、あるいは、政権が変われば、問題が消えるわけではありません。世界がますます不安定になり、リスクが高まっていくのは、事実だと思います。でも、今は間違いなく反対の声を上げるときで、声を上げるべきです。

 では、その先にどんな未来を思い描いたら良いのでしょうか。この、民意の高まりを好機に、右も左も立場を越えて、皆でこの国のあるべき姿について、考えはじめようではありませんか。

 最後に、デモなんてしてないで勉強しろとか、ただ騒ぎたいだけだろ、とかよく言われます。でも、今デモをしなかったら、私たちは将来、あの時ちゃんと抗議をしとけば良かったって、きっと、いや絶対後悔すると思うのです。

 確かに高校生に理解できていないことは多いです。でも、知ること大事だし、知ろうとすることも大事だと思います。自分たちに十分関係あるこの法案について、『ちょっとよく分からないや』と言って、私たち高校生は黙ってないといけないですか!? そんな大人に勝手に決められるか、決められてたまるか、と思います。平成27年度8月2日、私は安保法案に反対します」(取材・写真:芹沢あんず、撮影:須原拓磨、記事構成:平山茂樹 憲法擁護FBチーム)

―――転載ここまで

さて、次は、全国の街角に立ち、静かに安倍政権に反対の意思表示をする

大人たちの姿です。

私も7月18日に一度だけ一人で道路に立ちましたが、

同じ姿勢でずっと立つのは決して楽ではありません。

写真の方がたは、頻繁に、あるいは毎日やっているとお見受けしました。

本当に、頭が下がります。

こういう方々の行動に支えられ、私もまた、一歩を踏み出すことができます。

 

 

 

 

こ、小出さんも!

 

最後に、群馬県教職員組合の声明です。

今の日本の状況で、教員が声を上げるのは難しいと聞きます。

でも、私は声を上げてほしかったです。

戦後、「教え子を再び戦場に送らない!」を合言葉に、日本の教師たちは、

反戦平和、反差別、国際主義の教育を実践してきたはずです。

今、その姿勢を堅持してがんばらないと、

教え子が本当にまた戦争に駆り出されてしまいます。

なので、群馬県教職員組合の声明は、待ちに待っていたものでした。

勇気が必要だったでしょう。

私はあなた方を誇りに思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「安倍靖国裁判*台湾から来た証言者」No.1422

2015-08-02 21:16:39 | 反戦平和

2世代に渡り、首相の靖国神社参拝を告発した

台湾タイヤル族のお母さんと娘さん。

お母さんは小泉靖国裁判の原告でした。

今回、安倍靖国裁判で大阪地裁の証言台に立った娘ヤユト・インカさんは、

どう見ても30歳前後で、敗戦から遥か時を隔てて誕生したお嬢さんです。

その彼女がお母さんから引き継いだものは何だったのでしょうか。

陳述書を読みすすめていきたいと思います。


ーーー前回からの続き

2005年大阪地裁の判決(小泉靖国裁判)は、母たちの敗訴でしたが、

母は上訴しませんでした。

首相の靖国神社参拝が憲法違反だということは

裁判により認定されましたが、

合祀取り消しは拒否されたままで、大叔父たちの霊魂を台湾に帰すことは

まだできていませんでした。

2009年、私と妹の雲雅舜は、私の夫が付き添って「還我祖霊代表団」に参加し、

靖国神社に行きました。

台湾原住民の各族の代表は靖国神社の大殿前で、

私たち民族の伝統儀式に則り、

合祀されている高砂義勇隊犠牲者の霊魂を台湾に持ち帰り、

「還我祖霊」の使命を完成させました。

母のインカ=メビン(張雲琴華)は前回の裁判における原告の一人でした。

母はかつて私にこう話しました。

「2005年9月の大阪高裁判決は、

『日本首相の靖国神社参拝行為は平和憲法に違反する』というものでした。

あの判決は、日本の法律と社会の、

侵略戦争に対する反省と、平和を擁護するという良心の表れです。」

また、「平和を擁護し、原住民族を戦争の脅威から遠ざけることは、

高砂義勇隊犠牲者遺族の代々にわたる責任である」

とも言いました。

 

2013年12月26日、現在の首相である安倍氏が靖国神社に参拝しました。

私はそのニュースを新聞で読みました。

私はたいへん驚きました。

なぜこんなことが起こったのかと思いました。

台湾に帰省したときに、母にこのことを話しました。

母も驚きを通り越して唖然として、こう言いました。

「憲法は日本の国の最高法規であるはずで、

首相の靖国神社参拝は憲法違反だと認定しているのに、

なぜこのようなことが再び起こるのか、全く理解できない。」

母は深く憤るとともに、私にこう申し送りました。

「(これからは)あなた方が、

平和を守るという家族の責任を担わなければならない。」と。

平和はいつも野心を持つ政客によって破壊されます。

「首相の参拝は憲法違反」という判決から、まだ10年も経たない今日、

安倍首相はこの判決を顧みず、

2013年12月26日、公然と靖国神社を参拝しました。

この愚行は日本の憲法と世界人権公約に違反するばかりか、

台湾原住民族とアジア、世界人民の平和を愛する願望に逆行するものです。

また、今日の日本政府が侵略戦争の罪行への反省を拒絶し、

さらには歴史の真相さえ歪曲しようとする態度を体現するものです。

こうした行為は、アジアの平和に著しい脅威を与えるものです。

 

私たち民族は、日本の残酷な植民統治を受けたものです。

安倍の参拝は、私たち若い世代に著しい危機感をもたらしました。

私の夫は日本人です。

私たちは民族対立を挑発する如何なる言論、行為にも断固反対します。

一昨年末、安倍首相は「首相参拝違憲判決」を顧みず、

公然と靖国神社に参拝しました。

今年、安倍首相は一連の「戦争煽動法」を推進し、

日本を戦争の道に導こうとしています。

将来、日本が戦争を始めれば、日本籍である私の夫が徴兵されることを、

私は非常に心配しています。

このことはまた、

私たち夫婦の平和な生活を送ろうとする願いを著しく踏みにじるばかりか、

夫婦間の対立さえ生みかねないものでもあるのです。

私の学業や現在の仕事の関係で、

私たち夫婦には多くのアジアの友人や同窓生がいます。

それぞれ違った国籍を持った若者たちと私たちは共に学び、共に働いています。

安倍首相の靖国参拝に始まる一連の非理性的行為が戦争を招き、

アジアの若い世代間の感情に亀裂を生じさせないかと、

私たちは非常に恐れています。

私たちの生活を守るため、アジアの若い世代の感情を守るため、

そして、台湾原住民族とアジア、世界人民の平和への願望を守るため、

私は勇気を振りしぼって、安倍首相を告発します。

左がヤユトウ・インカさん。右は通訳さん。(7/31裁判報告会で)

 

 

 

 

 

 

 

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「安倍靖国裁判・関西、最大の山場:証人尋問の回」No.1421

2015-08-01 10:53:39 | 反戦平和

昨日7月31日も大阪では盛りだくさんの戦争反対集会・イベントがありました。

「安倍靖国参拝違憲訴訟・関西」もその一つ。

原告団の一人として、私は朝9時20分には大阪地裁に着いていました。

第7回目の昨日はこの裁判最大の山場、9人の方がたの証人尋問でした。

179人の傍聴希望者のうち3分の2は原告側で占められ、

被告(安倍・靖国神社)側から

「今日は人数で負けているわ」と呟きが聞こえたそうです。

懐かしい人と言葉を交わしたり、(ああ、あの人も来ているんだ)と、

姿を確認したりしました。

やはり平和運動のベテラン(笑)が多かったですが、

ところどころに若者の姿も見られました。

 靖国裁判とは、日本国家の(過去の、そして将来の)戦争に対する姿勢を

問うものであり、決して年寄りの独壇場ではありません。

 

第一回の傍聴抽選に当たって以降、外れっぱなしの私は

今度こそ!と心中期するところがあったのですが、またダメでした。

そういう訳で、以下は地裁前で配られた裁判資料と夜の報告会で

知り得たことをもとにしたものです。

 

実は、靖国裁判が始まった1985年(当時中曽根首相)当時、

30代だった私は(年配者が昔のことをきちんとさせようとしているんだなあ)と、

半分他人事としてその裁判を見ていました。

(おや?これは違うぞ)と初めて感じたのは、

2005年の小泉靖国裁判で、台湾先住民(タイヤル族)の遺族の方が

「日本に占領されていた戦時中、身内が日本軍の兵士として強制的に徴兵され、

戦地で殺されて、あげくにいつの間にか『日本軍兵士英霊』として靖国神社に入れられた。

家族にことわりもせずに、勝手に合祀されたことに怒りを禁じえない。

戦争に強制徴用し、侵略戦争の片棒まで担がせて殺した

日本政府の責任をごまかした上に美化している靖国合祀を、

台湾の遺族は拒否する。

身内の魂をわたしたち家族のもとに返してください!」

と主張された時からです。

(日本政府は戦争時にやった侵略の責任を取らず、ごまかしている。

これではアカン)と感じました。


昨日の証言尋問には、その時の女性(インカ・メビンさん)の娘さんが来て、

証言台に立ち、夕方の報告集会でも話されました。

左側が娘さん(ヤユトウ インカさん、漢名:張嘉)、右は通訳の方です。

  

彼女の陳述書を2回に分けて転載いたします。

――第一回

私の父は漢族で、母親はタイヤル族です。

漢名は趙嘉、タイヤル族名はYayud Inka(ヤユトウ インカ)と申します。

夫の○○○は日本人です。母のInka Mbing(インカ メビン)は新竹尖石のタイヤル族です。

母の3人の叔父は南洋に強制徴用された高砂義勇隊の犠牲者です。

3人の叔父とも生還していません。

このうちの二人(有村健三、有村武夫)は後に靖国神社に合祀されています。

 

母は幼い頃より彼女の祖母に育てられ、小学校の5年生まで行きました。

母はかつて私にこう話していました。

「私が小学生の頃、祖母が私に教えてくれました。その年、派出所の日本人警官が家に来て、

お前の息子4人のうち、1人を残し、他の3人は南洋に行かねばならない。」

残された一人が即ち私の祖父の雲玉堂(有村健二)です。

警察は4人中1人しか残してはならないと命じました。

これは強制徴用と言わざるを得ず、自らの意思による志願などではありません。

戦争終結後、3人の叔父はみな家の戻ることはありませんでした。

私が二十歳の頃、当時日本の首相小泉は、首相の名義で靖国神社に参拝しました。

その後、私の母は2003年に靖国神社に赴き、犠牲者名簿の中に

二人の叔父(有村健三、有村武夫)の名前を見つけ出しました。

母はその場で二人の霊魂を合祀取り下げするよう要求しました。

しかし、靖国神社の執事は、

「彼らはお国のために犠牲となり、その魂は既に一つの火の玉の一部となっています。」

と回答し、母の要求を拒絶しました。

母は傷心のあまり、大殿前でタイヤル族の古調を吟じ、叔父たちを慰めるとともに、

「あなた方をまず家に連れて帰り、GAGAの伝統に従って、虹の橋を渡らせて弔います。」

と誓いました。

私たちは決して日本人ではありません。

私たちは強制的に徴用されて、高砂義勇隊にされた挙げ句、

砲塵にされた犠牲者に他なりません。

これでどうして日本人だと言えるのでしょうか!

日本人犠牲者遺族に対しては毎年遺族年金が発給されていますが、

高砂義勇隊の遺族は終始除外されています。

ただ一度「弔慰金」が発給されただけです。

これでも日本人だと言えるのでしょうか!

2003年から、母と他の高砂義勇隊遺族代表は

「昼と夜は共存せず、被害者と加害者の霊魂を同じくして合祀すべきではない。」

という訴えのもと、大阪の裁判所に高砂義勇隊犠牲者の合祀取り下げを求めて提訴しました。

この判決において、大阪地裁で、首相の靖国神社参拝が日本の憲法に違反していると判断されました。

損害賠償請求は認められませんでしたが、両親は、

日本の裁判所が憲法違反を認めたことにとても慰めを感じました。

母はこれで二度と日本の首相が靖国神社を参拝することはないだろう、

日本は平和国家の道を歩いて行くのだろう、といっていました。

そして、そのことを信じて最高裁判所への上訴はしないと決めました。

母も私も、日本の首相が再び靖国神社に参拝に行くとは想像もしませんでした。

―――続く



 

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