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Brugge Style
思想なきアナーキー
先進国の中にアナーキー(無政府)な、ちょ~過激な国家がある。
ベルギーである。
アナーキーという言葉には「絶対権力が機能を失った、なんでもありのやり放題、しかもお咎めなしの無法地帯」という不埒なイメージがあるが、正確には「絶対権力を置かない世界での、真と善をめざす強い個人たちによる自由采配と秩序」という意味である。
どちらであっても悪夢であることには変わりはない。
なぜなら、やり放題の無法地帯では、わたしのような平凡な人間は搾取されるに決まっているし、強い個人の自主的な秩序が行き届いた完璧なエリアでは、わたしのような堕落した人間はダメ人間の札を貼られ、シベリアに強制労働(笑)に送られるに違いないからだ。
閑話休題。
ベルギーは思想的選択の末にアナーキーになったわけではなく、言語問題(「民族問題」ではない)を抱えていて、ときどき政府の「えらいひと」が「もうあかん。やめたる」と安倍晋三状態になるため引き起こされる。
法治が機能し、通貨が安定している限りはそれでもいいのである(「やめ」てもしばらくは大丈夫という算段があるはずである)。
われわれは生命身体財産自由が確保される限りは、権力者が誰になろうが、隣人が誰になろうが、さして気にせず普段と同じ生活を続けていくことができる。また、現代は規範の内面化を通じて自己抑制と相互監視に基づく「紀律社会」(フーコー)なのだ。政府が無くなっても突然「北斗の拳」のような世界にはならない。市井の人間は昨日と変わらぬ明日と来週と来月を送るだろう。
ところで、「国益」は国際関係の文脈に依存しており、ある国が単独で決議できるような問題はほとんどないはずである。ということは、
ベルギーはEUに依存しすぎ(信用しすぎ)ているか、あるいは無対策すぎるのか、
もしかしたら政府などというものはむしろない方が上手く回っていくことを直観しているのか?(まさにアナーキー...と言いたいところだが、単に連邦の権力をさらに強化するための段階的手段かもしれない)
あるいは安倍的パフォーマンスを繰り返すことによって、ベルギー分裂シナリオへの伏線を張っているのか?
複数の政府を擁するベルギーで単に自分(と自分の政党)への利益誘導を狙っているだけなのか?
果たして黒幕はオランダか、フランスか?
分裂したときの王家(元々ドイツ系)の立場は?
なんともおもしろいキーワードが満載であるのに、世界の眼があまり向けられないのは弱小国家ゆえか。
ベルギーには国民を束ねる幻想がひとつもない。
(建国神話からして、「列強の勢力緩和地帯形成のため」だもん...)
国民国家を束ねる幻想は、例えばアメリカならば星条旗に忠誠を誓うことと、アメリカンドリーム(死語?)。
日本は単一国民国家(死語?)。
ベルギーはそういった幻想を持たないゆえに「自分とは違う言葉をしゃべる人」「自分とは価値観が違う人」をすくいあげ、その利益をはかり、異論によって百戦錬磨にされた合意を作り上げようと、まさにそれをやっている(ように見える)。
...大変な仕事である。実現すれば倫理の歴史のマイルストーンになるであろう。
(わたしにはよく分からないのがこの問題なのである。もっともわたしごときに分かったりするなら、ベルギーの問題はとっくに片付いているはずである。だから「もっとちゃんと説明して」というメールは送ってこないように・笑)
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