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アメリカ




昨日のこと。ケンピンスキのバアで夫とのんきに飲んでいたら、CNNが無音で流れていた。

オバマ氏勝利の福音を伝える番組である。


アメリカが「黒人の」大統領を選んだことは、CNNの画面に貼りついた輝く「歴史的」という文字そのままの偉業である。
わたしだって弁舌さわやかで、若く、スマートで、頭も良さそうで、ノーブルな雰囲気ただよう(誰かとは正反対のクオリティーだ)オバマ氏が選ばれてうれしいよ。まるでアメリカがそういうフレッシュな国に変わるような気さえするではないか。
アメリカの統合と減税を約束した彼が、極東の子分をさらに搾取しそうであることを割り引いても、うん、未来は明るいような気がしてうれしいよ。




しかし...オバマ氏ってそんなに「黒人」なのか?

わたしが彼を見る時、まず情報として入ってくるのは彼の肌の色よりも、彼の話し方、仕草、服装センス、経歴、などなどが「めっちゃ成功したアメリカ人」のものだということである。

つまり彼のことを被抑圧民の黒人とカテゴライズすることもできるし、アメリカ国民の大部分とは切れた「勝ち組」(いやな言葉だ)とカテゴライズすることもできる。それはすべてオバマという人物をどう分節するかによる。



それで思うのだが、彼が黒人初の大統領であることを何よりも言祝ぐ人々は、彼ら自身が人種主義に加担していることに気がついているのだろうか。もちろん黒人の大統領が選ばれることは選ばれないよりいいに決まっているのだけれど、本気で人種の壁を無くしたいなら、オバマ氏自身がしたように、「黒人」と強調しない方が賢明なのではないかと思うのである。

とりあえずアメリカでは能力次第では人種の壁を越えて大統領になることができると証明されたわけで、が、一方で、黒くても黄色くても、既存の勝ち組のマナーを十分に会得すれば成功できるというフォーミュラを強化したということにもなる(当然オバマ氏の勝因はこれだけに帰するものではない)。
今後、一部のアメリカ人の親たちは子どもたちがそのマナーを取得することに血道をあげるのであろう。

アメリカの価値は「誰にでも分かりやすいもの」をスタンダードにして決定される(それは子どものクラスで誰が一番ポピュラーかというようなことから、国家のあり方まで)。だから彼らの価値観は時々びっくりするほど保守的なのだ。



肌の色を克服する第一ハードルを越えた、と人々が思っている今(思っていないかもしれないけれど)、マナーを共有しないものも人間らしく暮らせる世界もいずれ到来するのだろうか、と、色のない空を見ながら多少の希望をこめて思ったのである。



人生とその日常のたいていの場合、わたしは『正しい』ことを言ったり書いたりすることにはほとんど興味がないのでご了承下さい(と、腰も引けまくり)。


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