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Brugge Style
デコ電
デコ電。
え?もう古い?(笑)
デコ電ライフを楽しんでいらっしゃる方には申し訳ないが、なぜかデコ電を見ると末世観に頭がクラクラしてしまう。
わたしがおばちゃんだからだろうか。いや、わたしと同年代でも好む方々がいらっしゃるようなので、わたしの感性が救いがたく爺なのだろうか。
わたしの交友関係の中には欧米にも日本にもおしゃれな人が何人もいるけれど、デコ電を持っている人は1人もいない。彼女たちもおばちゃんなのか?
電話は、最近では通話という本来の機能の他にも様々な付録が期待されているが、「電話」である。
電子レンジや炊飯器のようなものである。
そんなものにスワロの数ミリのキラキラをおそらく何千という単位で貼って「かわいく」する。
外注する人もいるらしいが、あんなものをチマチマと貼って何を「アゲる」のだか「カスタマイズ」(柄や色が違うだけでどれも結局一緒やん)するのかわたしには分からない。
何も見ないように、何も考えないように、何も批判しないように、何も行動しないように、ほんまにうまいこと去勢されているのね...
そういえば電話だけでなく、手鏡やボールペンや化粧品などにもデコレーションを施すことがあるらしい。
...他にすることないんかい。
身の回りのものにちょっとだけ気を配ることによって日々の生活が楽しくなるのならば、そりゃいいことだ。
わたしだって綺麗でおしゃれなものは大好きだ。
マスカラを何重にも塗り重ねることは止められないし、ルブタンの靴底は必ず赤で張り替えてくれたまえと要求するし、タイツが服の色に合っていないことに自然光の下で気がついたら、何を差し置いても百貨店の一階に走りたくなる。ペンはホテルの客室から持ち出してきたものではなく、カランダッシュの18金のが使いたい。
だからデコ電だけに頭の悪さ全開の雰囲気を感じ取ってしまうのは、それこそ頭の悪い偏見なのだと思う。なぜなのだろう。誰か教えて。
もちろん日本が平和で、人々がユルユルで、そのために人々がキラキラする電話をかわいい~と言い合う社会の方が、蝿の王的なあるいは戦争下の社会よりはずうっとマシな訳だが。
う~ん。
おそらく自分の分身的なものに過剰に思い入れして作り込んだりするのはかっこ悪い。
犬猫に行き過ぎた装飾や化粧をするのから、エンスー(ジアスティック)に凝りに凝った車から...
馬脚を隠すために作り込んでいる、という浅知恵風味が漂うからであろうか。
誰か教えて。わたしを蒙昧から救って。
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