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岐路で




以前、日本の小学生に頼まれてこんな記事を書いたことがあるように、ベルギーの教育システムは日本のそれとはだいぶ違っている。


11歳の娘は現在6年生で、中学校のコース選択のことを考えなければならず、クラスで希望について話し合ったり、親同士が会えばそれが話題になったりする。

ベルギーには受験はない。
人気校というのは都市部を中心に何校かあり、先着順受け入れや地元の子ども優先のために定員オーバーで入学できないことはあるが、成績、人種、信条、性別、社会的身分、門地などで生徒を選抜することは禁じられていて、学校側は入学希望者を誰でも受け入れなければならない。
ちなみにベルギーの学校は小学校から大学まで入るのがやさしく出るのが難しい方式だ。落第も飛び級もある。

中学校進学に際しては小学校の成績と将来の希望を鑑みてコースを選択する。大きくわけてクラシックコースとモダンコースがある。また別に職業訓練校というのもある。


11歳、12歳の子どもが自分の進路を決めるのは実感がなくて難しいだろう。
われわれ大人でも、明日から好きなように職業変更をしてもいいですよと社会から通達があったとして、自分の現状や可能性を勘定に入れて即答できる人は多くないだろうと思う。

11歳12歳にとっては、世間にどんな職業があるのかどうすればその職業につけるのか、ありありと想像できるものも少ないだろう。日頃接する機会の多い教師やパン屋さんといった職業以外。
また、Sジョブスのような天才児クラスでなければ、今までに存在しなかった職業を自分で勝手に作り出すことができるということすらイメージできないのである。ま、大人も同じようなものだけれど。

興味のあることや時間を忘れるほど好きなこと、将来就きたい職業がはっきりしている場合でも、例えば歌手になりたい場合は音楽科へ行くのか?それともバイトをしながら活動をするのか? 政治家になりたい場合(そんな11歳もあんまりいないか・笑)は法科へ行けば有利なのか?それともNGO/NPOで叩き上げられた方がいいのか?...等々。


そこで、ベルギーには進路進学をアドバイスする専門家が存在する。6年生は年間に何度か面接を受ける。
その専門家組織が「選択するということ」というワークブックを作成していて、その教科書に沿って作文したり、大人にインタビューをしているうちに、自分が何を望んでいるか、自分は何をすべきか、ということが徐々に分かってくる。...かもしれない。


まず、第一部は選択をするとはどういうことか、から始まる。
自分は毎日どんな選択をしているか、例えば宿題を先に済ますか遊ぶのが先かなどという日常の選択について、選択とは何なのかを問う
選択は完全に個人的なものではない
選択のスタイルは各人によって違う などなど

うむ、なかなか知的な導入だ。


第二部は自分を客観的に良く知る。(訓練を積めば人間は自分を客観的に見られるようになるという前提があるんですな、と突っ込んでみる・笑)
私は誰?
現実を見る
興味のあること、好きなこと、才能のあること
好きな学科と嫌いな学科
私の勉強の仕方は? 改善すべき点は?


第三部は職業について。
ここで何人かの大人に彼らの職業についてインタビューをする
私の夢の職業
夢の職業の前に立ちはだかる障害は何か
世間にはどういう職業があるか

ここでは夢を断ち切るという現実的な話合もさせられる。
例えば、「多くの子どもは、カッコいいからサッカー選手になりたいとか、動物が好きだから獣医になりたいなどと「単なる夢」を語りますが、サッカー選手になるには才能と努力が必要だと知っていますか? 獣医になるには大学で何年も勉強し、難しい試験を受けなければならないことを知っていますか? TVの特集を見て考古学者に「憧れる」ようになる子どもは多いですが、考古学者になるには莫大な財産が必要なことを知っていますか(ええっ!・笑)」とか、そういうreality bits。
ああウイノナ...現実は厳しいよね。


第四部
中学校のコースの授業内容はそれぞれこんな風に組まれているが、興味が湧くか続けられそうか、自分にとって現実的か
もういちど自分についてよく考えてみよう


第五部
コース選択




村上龍の著作「13歳のハローワーク」よりもずっとシビアである。とにかく「かなわぬ夢を追うよりも自分の身の丈を知れ」というベルギーの土着的英知がビンビン伝わってくる。日本では大人が「若者が夢を持たなくなった」と事あるごとに嘆いて見せているというのにですよ。

個人的にはわたしは「夢をあきらめずに追えば必ずかなう」とか「無限の可能性」とかいう呪文には甘いだけその分の猛毒があるので、同時に解毒剤(そろそろ目を覚ませとか、現実を見ろ、選択肢はそれだけじゃない、とかいう地に足着いたアドバイスをしてくれる大人)の存在も必要だと思っている。どうだろうか。


わたしの感想...この教科書も村上龍の本も含めて、もの分かりが良さそうな風を装った大人の小手先で、11歳かそこらの子どもが将来を決めてしまうのも問題だと思うのだが。まあ自分を良く知る、という作業は無駄にはならないだろう。


もしわたしが11、12歳の彼らにアドバイスする機会があるなら、やおらステージにあがって「知りすぎていた男」のドリス・デイの真似をして弾き語りをしたい(笑)。

あんなお母さんがいたら幸せですね。
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