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子供、いらない。




「男女の子供を求める度合いが、欧米、アジアなど主要18カ国の中で日本が最も低いことが9日、英カーディフ大のジャッキー・ボイバン教授らの調査で分かった。同教授は「日本は独自の問題に直面しており、親であることの価値観を再構築する必要がある」としている。」(時事ドットコムのニュース 2/10)

ボイパン教授は「日本人は義務として子供を産もうとしているのではないかと分析」しているそうだ。

ええっ!ホンマに? 現代社会の経産婦として発言するが、子どもを義務として産む感覚って普通なのだろうか? 東条内閣が政権にあるわけじゃあるまいし。皇太子妃じゃあるまいし。
それに「親であることの価値観を再構築」ってどういう意味?「独自の問題」って?子供を求めないのは「問題」なのか?誰にとっての?


日本人が子供を欲しがらなくなった理由は何点かあるだろう。

まず、ゆるくつながって深い入りしない、という人間関係が好まれていること。
居心地のいい友人関係は大切にするが、大切にする条件は居心地がいい限りにおいてであり、迷惑をかけられたり、邪魔されたり、世話をさせられたり、ドロドロな問題を持ち込まれては困る、と。
みなさん「おひとりさま」でありたいわけですな。遊ぶ時も「おひとりさま」がたくさん集まって遊ぶ。時間が来たら帰ることができる。都合の悪い時は顔を出さずに済む。

だから、迷惑をかけられ、邪魔をされ、世話をさせられ、下手をしたら自分の楽しみや将来の夢までも破壊してしまうかもしれない子供はいないほうがいいと思うのではないか(逆に、別の楽しみ、別の夢があり、迷惑をかけ合うからこそ人間は人間になった、と言える)。子供は時間が来ても帰ってくれないし、都合が悪かろうが具合が悪かろうがおかまいなしですしな。
わたしも2歳半の娘にオン/オフのスイッチがついていたらなあ、と夢想したものです。

なぜ日本でこのように考える人が多数になったかというと、やはり社会が「おひとりさま」でも生きて行けるだけの、あるいは生きて行けそうとか、なんとかなりそう、という幻想を植え付けられるだけの、ある意味豊かな社会に成長したからだろう。楽しみも多様化した。
まあしょうがない、という気もする。高度消費社会の副産物。


次に慣習的問題、制度的問題だ。
婚外子差別や養子に対する偏見、それから雇用、教育、福祉の問題など。

日本よりも制度の整っていない国はいくらでもあるが、たぶん日本では、制度的な問題は親が個人で克服すべしという無言のプレッシャーが強いのではないか。
正社員で働くのがキツい、保育園は入園待ち、学費は高い、ベビシッターもハウスキーパーも一般的ではない...

子供は成人するだけで十分と考える親がマジョリティな国がある一方で、日本ではそうもいかない。大学くらいはいれてやらにゃ(そのためにはお金もかかる)とか、母親はこうでなければ、母親のくせに、などと自分自身を含めた「世間」に言われる。
全体的に期待値が高すぎ、選択肢が少なく、断念しなければならないものがあまりに多いように見え、そのほとんどを個人で解決しなければならないのだ。

さぞメンドクサイなあ、と思うでしょうね。わたしも思う。
個人的問題ではなく社会的問題として積極的に変えた方がいい。



今後、子供の数は一時的にしろ、さらに減るだろう。子どもの数が多いとか少ないとか、国が急成長中か衰退中か、こういった社会の状態は一定ではないのだから、過去数十年の右肩上がりとは様子が違うといってパニックになる必要もない。子供の少ない社会へ、よりつつましい国へ、G8ではない国へとシフトして行く方法を考える方が生産的だと思うのだが。

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