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ジゼルの心臓




ロンドン、ロイヤル・バレエで、ナタリア・オシポヴァ (Natalia Osipova) のジゼルを鑑賞。

一回チケットが完売になり、ほぞを噬む思いをしたのだが、後日そこそこの席が数席のみ復活したのを幸運にも入手できた。
昨夜も踊りながら(心の中で)コヴェント・ガーデンへ。


ジゼルの話に関しては、この考察(「ジゼルが大人にしたアルブレヒトという男」)をして以来考えは変わっていないので、今日はそこには触れないことにする。



わたしが一番最初にオシポヴァを見たのはボリショイの「ドン・キホーテ」で、彼女がキトリ役にあまりにもはまっていたため、オシポヴァには強くて明朗な役柄が合うのだ! と完全に思い込んでしまっていた。
2回目がコッペリア、3回目がまたドン・キホーテ、4回目はロレンチアと、たまたま続けて「強くて明朗」な役柄を踊るのを見たことも影響している。

わたしはオシポヴァの演技力にまんまと騙され(騙されたわけではないな)ていたのだ。
オシポヴァはバレエの才能だけでなく、演技の才能にも恵まれているのだ。

と言うのは、ジゼルはこれまで何十回と見て来たが、泣かされた(正確には泣かされそうになった)のは昨夜が初めてだった。
スベトラーナ(<暗い役柄が似合う)のジゼルにさえ泣かせられはしなかったのに...

何と言うのか、今までのジゼルは愛に死んだ乙女の健気さ、気高さ、儚さ、自己犠牲の尊さ、そういった美しさ綺麗さを強調して来たと思う。
一方、わたしが思うに昨夜のオシポヴァは美しさだけでなく、ジゼルが自分の心臓をむしり取り出して犠牲にした「惨めさ」を卑しくなく表現し切っていたと思う。素晴らしい表現力だ。
生前の愛らしい姿、裏切りが判明したときの惨めで卑屈な態度、精霊になってからの悲しいほどの透明感と空気感の演じ分け。
前々回のジュリエットの青さもよかったなあ。彼女は相当頭もいいに違いない。

結論。彼女のことが好き過ぎて、何をしても好きという状態を割り引いても良い公演だったと思う。



また、昨夜は高田茜さんを見ることもできて大満足だった。精霊の女王ミルタの侍女役で舞台の袖から出るなりすぐにあの人と分かるオーラ。今回も首から肩と腕のライン、そして真っ白の胸が素晴らしく美しかった...



来月はニュヌツ (Marianela Nunez) のジゼルを見る。こちらも素晴らしかろう。


(写真は http://www.standard.co.uk より)
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