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Brugge Style
悲しい歌
今月初めのこと。
大人の事情により、ロンドン某所の某イベントのため、あらかじめ曲をリクエストしておくことになった。
「じゃ、ビル・エヴァンスの何かで」
と電話口で夫に言ったら、女性歌手がおられるからもっとふさわしいのを具体的にと責付かれ、頭に浮かんだ最初の2曲
"How Insensitive"
"Good Morning Headache"
を匿名でお願いすることにした。
選曲に深い意味は全然ない。
"Insensatez"は、英語バージョンを生で聞いたことがないのでぜひ英語で、と。
youtubeでは例えばこんな。
"Insesatez" by Astrud Gilbert
"How Insensitive" by Diana Krall
"Good Morning Headache" by Jill Scott
全然意味はないのに、なぜ悲しい恋の歌ばかり一番に思いつくのか、言い訳を考えてみた。
歌には今の自分に欠けているものや、もう失ってしまったもの、どうしようもない現実との距離を埋める効果がある。
恋の語源が元々は「来い」とか「乞う」であった...という話をどこかで読んだ(俗説?)。そのように、今、自分の元にはないものへの距離が恋する気分の本質なのである。ということはわたしに欠けているのは恋愛中の落ち着かない気分なのだろうか(笑)。
だから悲しい恋や失った恋は実に絵に、いや実に歌になるのである。
もちろんハッピーな良曲もあるはずだし、幸せすぎて歌い出したいほどのユーフォリアもあるが、幸せの真っ只中にいる時は実はそんなヒマはない。
そう言えば純粋にただハッピーな歌で好きな歌、ひとつも思いつかない(モーツアルトくらいか)...一方でハッピーな歌でもそのハッピーさがいつか終わるのが怖いとか、夢みたいだとか、終わりや破滅を予感させる歌にはいいのがたくさんある。
幸せな時は純粋な幸せをそれのみで味わい尽くそう。
それを失った時に、最も美しい歌を歌えるように。
みなさまよい週末を!!
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