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マリー(クララ)の夢とモエの夢





もう一ヶ月近く前の話になるが、クリスマス直前、NYのリンカーン・センターでバランシン版「くるみ割り人形」を見たことを。


まずはチケットが高額なことに驚きを隠せず、自分が支払うでもないのに手をバタバタさせて興奮するモエ。

一番安い天井桟敷のような席でも79ドル、プラス手数料で100ドル近くだと記憶している。比べても意味はないが、ロイヤル・バレエの格安席の10倍。

娘にバタバタを抑制されたモーメントがあったことは思い出として書いておく。


実はバランシン版の「くるみ割り人形」はわたしの人生で最初に馴染んだバージョンだった。
というのはバレエの発表会でこの版を公演したからだ。

わたしは当時小学校6年生で、第一幕の男性お客様役だった。
雪のようなシルクのふんわりした袖とボウタイのブラウスに、濃い紫のベルベットの膝丈半ズボン。

母は「宝塚の男役みたいですてきじゃない」と言ったが、夢見る少女だったわたしはカラフルなロマンティック・チュチュを着たくてたまらず、女役の子のチュチュを恨めしげに優しく撫でさすったのだった。


バランシン版は子供のための子供による「くるみ割り人形」というのが一番ふさわしい。

ドロッセルマイヤーさんの役目は、

ドロッセルマイヤーさんが自分の欲望を満たすために一芝居打つロイヤル・バレエのウェイト版(クララの夢)ロイヤル・バレエのウェイト版よりも、

魔法使いのやさしいおじさんとして登場し、夢の中で人形劇をしてくれるイーリング版(クララの別の夢)よりもさらにあっさりしている。

バランシン版では、マリー(クララではなくマリー)は小さな少女で、あるクリスマスの夜、すてきな夢を見る。
クリスマス会に招待されたドロッセルマイヤーさんの、マリー自身と同い年くらいの息子に淡い恋心を抱く。その夜の夢で、くるみ割り人形にされた彼をねずみ王との戦いの最中に助け、共にお菓子の国に旅し、彼女のためにお菓子の精たちがダンスの宴を開いてくれるのである。


マリー(クララ)の役も、

ウェイト版では彼女はドロッセルマイヤーに選ばれしハイティーンで、夢の国に旅してシュガー・プラムの精に会う。

イーリング版ではより若い少女(ローティーン?)で、夢の中では憧れのお姉さんのように成長し、彼女自身がシュガープラムの精に変身する。

バランシン版はさらに小さな少女が夢の中を旅し、シュガー・プラムの精に会う。


バランシン版で、小さな少女が真っ白で綺麗なベッドに横たわり、夢の国へ旅していくシーンは最も自然で、ロイヤル・バレエのようなまどろっこしい説明がなくても、ドロッセルマイヤーさんがほんとうの魔法使いでなくても、「くるみ割り人形」のクリスマスの「夢」のエッセンスはここまで表現ができるという良い見本であるように感じた。


ただ、全体的にバレエというよりもどちらかというとお芝居色が濃い。
おそらく、普段バレエを鑑賞しないような層も鑑賞に来るのが、クリスマスの風物詩としてのアメリカの「くるみ割り人形」なのだろうと思う。すてきなことだ。

消化不良だったのは、シュガー・プラムの精のグラン・パ・ド・ドゥが短縮されていることか。あれは決して省略可能なパ・ド・ドゥではないはずだ。この世のものではない国の、光輝く美しき妖精の女王、シュガー・プラムの精の踊りで夢は最高潮を迎え、その後、クリスマスの朝の静かな目覚めにつながるのに...

さらに悪いことにわたしが見た夜のシュガー・プラム役のダンサーも、彼女のパートナーも完全に力不足だった。
オーケストラにもがっかりだった。
もし、「子供のためのショウでしょ?」という手抜きがあったなら非常に残念だ。

一方で、大勢出演している子供ダンサーの訓練された踊りと存在感には舌を巻いたが。


NYの華やかなクリスマス前の雰囲気はとことん楽しんだ。

激混みのリンカーン・センター前でキャブを拾って(<拾うのめっちゃ得意)、人を待たせていたグラマシー・タバーンに駆けつけて遅いディナーをいただいたのも雰囲気たっぷりだった。
偶然隣の席に座った家族連れが、着席するなり「あなたがた、今夜「くるみ割り人形」見に来てたわよね?」と声をかけてくれたのには驚いた。まるで小さい魔法のようだった。



(写真はThe New Yorkerより)
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