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英国の薔薇は枯れても








昨日、冬の薔薇の話を書いたが、今日の話はそれから芋づる的に。


わが家では夫が花を買うのを担当している。彼は花を買うという行為が大好きなのである。それで英国に引っ越して来た5年半前から、ずっと近所の2件の花屋に通っている。


最近、花屋は同じ愚痴を繰り返しているらしい。

「花はほとんど全部オランダの卸売りから来るが、6月の国民投票以来ポンドが下落したため、うちのような個人商店ではどうしても花の値段を上げざるを得なくなった。カスタマーは減るばかりでやっていけそうもない。この上、EU離脱手続きが始まったらもう終わりだ」

と、いうのだ。

グローバリズムの蔓延は、個人商店を全滅にするからEUは離脱するべきだが、時代の主流からははじき飛ばされてじり貧になるだけ...
どないせいっちゅうねん。


わたしが住むサリー州は英国内でも最もリベラルな州の一つで、ダントツでEU残留支持が多かった地域だ。
全体でみると圧倒的に離脱支持が高かった高齢者層でさえも、ここらでわたしが聞いた範囲では「残留」という人ばかりだった。

娘のピアノの先生のお母様は90何歳になられるたいへん知的な方で、「長い射程で見たら離脱はありえない」「高齢者が全員『昔は良かった』派、『離脱支持』派であるかのように報道されるのには耐えられない」と繰り返しおっしゃっていた。


去年6月のあの国民投票は、「EU残留か離脱か」の一点を問うただけで、残留後のシナリオも離脱後のシナリオもほとんど議論されなかったし、明確なヴィジョンを語った政治家もいなかったと思う。

離脱派は、とにかく昔に戻しさえすれば、という雰囲気だった。

「昔は英国一国だけで立派にやってたんだから」という昔を知る人のセンチメンタルや、「自分は損ばかりしている」という人の切ない気持ちは、EU離脱後の夢を断片的にだけ描いたように見えた。例えばEU離脱派の過半数は欧州単一市場への残留を「望んでいる」。EU側からしたらいいとこ取りをしようなんて虫のいい話で全く現実的ではない。

離脱さえすれば、仕事を奪う移民や福祉にタダ乗りする移民は規制できるし、NHSにもっとお金をかけられるし、EUの法規制からは自由になれるし、貿易は自由にできるし、金持ちやインテリに泡をふかせてやれるし、いいことずくめじゃない? ポリティカル・コレクトネスなんて綺麗ごとはたくさん! 本音でやろうよ! という勢いで離脱だけは決まり、その結果に対する覚悟や長期的なプランは誰も決めていない、というわけだ。
絵に描いた薔薇、いや餅。


ところで、メイ首相が「ハードな離脱」を唱えているが、わたしにはどうしても

「私は国民投票の結果を尊重して、EU離脱のために動いたんだけど、議会が承認しなかったんだからしょうがないわよね」

という伏線にしか思えない。

彼女が離脱のハードさを唱えれば唱えるほど「離脱にはそんなにリスクが?!」と感じる人が増え、議会では自然に残留の空気が...

もしそうなったら英国3枚舌外交健在なり、ですわね。
誰も驚かないかも!


......


写真の薔薇の花びらが載せてあるのは、ハイデガーの「存在と時間」の一部。

この紙は単なる偶然だが(先日、娘が「先生が『まるで明日死ぬかのように今日を大切に生きなさい!』というのが鬱陶しい」というので、先生をサポートするためにコピーしただけ)、ハイデガーはこのように言う。

いつか死は確実に人間を訪れる。しかしその「死」はとりあえず先のことだ。noch-nicht (英語でnot yet)、死は「まだ(来てない)」のである。こうして人間は死への不安を紛らわせるために、明日来るか10年後に来るか分からない「死」を無視しながら生きている。当然それでは「先駆的覚悟性」を持って生きているとはいえない...

まるで離脱はいつ来るのかという不安から逃れられない英国のようだな、と思った。
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