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khatia buniatishvili, piano




Khatia Buniatishvili, piano@Queen Elizabeth Hall

Brahms: Sonata No.3 in F minor, Op.5
Tchaikovsky: The Nutcracker Suite arr. Pletnev for piano
Liszt: Rhapsodie espagnole, S.254; Reminiscences of Don Juan, S.418 (after Mozart)



ジョージア(わたしには「グルジア」の方が馴染みがある)出身の女性ピアニスト、カティア・ブニアティシヴィリのリサイタルへ。

なんかこっちまで若返りましたわ...

というのは彼女、若い頃はもっさりさんだったのだが、突然官能的な容姿になり、その自由爆発的な演奏と合間って、とても魅力的な音楽家なのだ。


彼女の音楽性には賛否両論があるのは知っている。
爽快なスピードとパワーと自由闊達な解釈と表現は若い頃のアルゲリッチのようだと言うことも可能だが、アルゲリッチのようだと評するためにはアルゲリッチがアルゲリッチであるための「端正」な何かが欠落している。

実際昨夜も特に「くるみ割り人形」はボロボロで、なぜこんなスイートを? しかもこんな季節に? とすら思わせた。


しかし、彼女を見に来る観客の目的の何割かは、彼女がトレードマークの豊かな髪を乱しながら、ときおり無造作にかきあげつつ演奏するのを期待している。
魅力的な身体つきに常にゴージャスなイブニングドレスをまとい、ハイヒールをはき、赤い口紅を塗った姿。
スタインウェイが小僧のように扱われ、ピアノがイカレるか彼女が腕を痛めるのが先かを見にきている。

昨夜はよく日焼けした肌にデコルテが大きく開いた黒のレースのロマンティックなボールガウンをお召しだった。
舞台に最初に現れた時はどよめきましたよ。


わたしは若い頃はリヒターとミケランジャリの大ファンで、今は年に一回ロンドンで公演するキーシンとペライヤのリサイタルを待望にしているどシロウトファンだが(来月のペライヤは彼の体調不良でキャンセルになった)、彼女を見ているとある意味女性の方が自由なパフォーマンスをするのかも、とうっかり思ってしまう。

卑近な例をあげると、男性はいやでもなかなか会社を辞められないが、女性は突然フランス留学に行ってしまう、みたいな自由さ。
あるいはSMの女王様... SMの女王様には根本にMへの愛があると聞いたことがあるから、まあ完全に的外れではないかも...ああ、わたしの下卑た感覚! 忘れて(笑)。 


リストの演目は生で聞いたことがなく、かなーり楽しんだ。あれだけ楽しめたら、別にあれはあれでいい。
あれを舞台で演奏のには技術やなんかよりも相当度胸がいり、それ以上に自分がどういう音楽家で何を期待されているか熟知していないといけないのでは...
リストのエゴ狂気っぽいのに対し、魅力的な微笑みでパワー全開で渡り合うように演奏し、観客の度肝を抜くために彼女は存在しているかのようだ。

いろいろ楽しかった。
次回も行くと思う。


(写真はSouthbank Centerのプロモーションから)
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