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xenos, akram kahn
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Whose fire?
Whose hand is this?
Xenos by Jordan Tannahill
サドラーズで、Akram KahnのXenosを見た。異邦人、という意味だ。
ロンドンでバングラディッシュ系に生まれたアクラム・カーンは、7歳からカタック・ダンスを学び、わたしが彼を知ったのはシルビィ・ギエムを通してだった。日本に住む親友も彼のファンだと知ったときは鳥肌がたった。
彼がダンサーとしての最後のソロ作品を踊るというので飛んで行った。
火曜日の夜のサドラーズは超満員の大騒ぎ、15分前に会場に入ると舞台では2名のミュージシャンが演奏を始めていて、これから下界とは違った何かが始まる儀式的な雰囲気が満ち始めていた。
何の予備知識もなく(モダンダンスの場合、事前に筋書きなどは読まないようにしているのだ)見たわたしの感想は、資本主義に阻害された人間とそこからの回復の話か、シュシュポスの話かというものだった。異邦人というタイトルもあって、カミュから連想したのかも...
とにかく、囚われているのに阻害されている矛盾のある人間の話。
全然違いました! (これが楽しい)
カーンの数年前の作品にUntil the Lions というのがあり、わたしも見て感動したのを覚えている。
タイトルは「ライオンが語り始めるまでは常に狩人が物語する」。
ライオンは何も語らない。狩人と戦い百獣の王らしく勝とうが、負けようが。勝者(狩人)が語る「物語」こそが「歴史」なのだ。
これまでは主に西側が歴史を書いて来た。いくつもの話は語られることなく失われた。
第一次世界大戦時、英国のために戦った何千何万もの植民地兵のお話のように。
Xenosは粘土と泥で人間を作ったプロメテウスと、第一次世界大戦の後、戦争後遺症に苦しむインド植民地兵を重ねた話である。
プロメテウスは人間が人間自身を滅ぼす定めにあると予知していた。それでも彼は人間に希望を持っていた。彼は死ぬべき運命の人間のために神々から火を奪って与えた。その火から戦争が起こった。ゼウスは怒り、彼を3万年拷問させた。
神話には続きがある。怒ったゼウスが人間に災いをもたらすために女を遣わした。
この女こそがパンドラである。
と、この作品はここまでは語らない。
最後、カーンは泥と石ころと土にまみれるがこれは再生を表しているのだそうだ。
地球から搾取しながら何も還元しない資本主義的な生き方は終わりだというところまで意図しているそう。
ギリシャ神話の神々か、雲に乗った観音様のように、闇の空中にぼうっと現れる五人のミュージシャンの存在感もすばらしかった。
深く同意した点は、脚本作家のJordan Tannahillは、テキストは少なければ少ない方が良いとし、カーンは「アジア文化圏では意味は言葉にではなく行動にある。英国のシアターは最近は変わって来ているが、とにかくテキストに駆り立てられすぎている」とインタビューに答えており、おお、ここにわたしと同じ考えのアジア人(しかも有名人が!)が!
英国ではバレエですらもテキストに駆られすぎがちであるというわたしの考えが全く的外れではなさそうな意見が見つかって大変満足。
(写真はサドラースより)
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