地対艦ミサイルが配備されるうるま市陸上自衛隊勝連分屯地で、保安林に指定されている土地が森林法に違反して開発されている問題については、2月27日のブログで詳しく説明した。私たちの指摘により、県も現地への立入調査等を行うと表明している。
「ミサイルから命を守るうるま市民の会」は、3月3日、知事宛にこの問題について速やかに勝連分屯地内への立入調査を行い、違法開発の経緯が明かになるまで、防衛局に分屯地内の工事中止とミサイル配備を行わないよう指示することを求める要請書を提出した。防衛局にも同様の要請書を送付する。
この問題について、防衛局は地元新聞の質問に対して、「自衛隊が使用を開始した時点で、当該区域は米軍により開発されており、違法な開発行為には当たらない」と弁明しているようだ。
以下、その後の調査で判明した事実について説明する。防衛局は責任を免れることはできない。
明治30年、森林法(以下、「旧森林法」)が制定され、保安林制度がスタートした。うるま市勝連のこの一帯は明治45年(1912年)、保安林に指定されている(沖縄県告示保編第8号)。
先の大戦後、この地域は米軍基地とされ、「高射特科(ホーク)部隊施設」となった(137,600㎡、沖縄県『沖縄の米軍基地関係資料』)。1973年2月13日撮影の国土地理院の航空写真では今回問題となっている箇所は米軍により確かに形質変更されてしまっている。
(返還直前の現地航空写真(1973.2.13))
この一帯は1973年5月1日、米軍から返還され、陸上自衛隊那覇駐屯地勝連高射教育訓練場(ホークミサイル発射施設)となった(沖縄県『沖縄の米軍基地 1979年』)。
下は、1975年4月24日の国土地理院の航空写真である。
ちょうどこの日、沖縄県知事は、新しい森林法(1951年制定)に基づき、この一帯を再度、保安林に指定した。
下の写真の赤線が、保安林に指定された土地。旧森林法で保安林に指定されていた土地が、「風害防止」という公益上の理由は存続しているから、新しい森林法でも再度、保安林に指定されたのである。
(グーグルマップに加筆)
防衛局は、先に述べたように、「当該区域は米軍により開発されており、違法な開発行為には当たらない」と主張している。
米軍が保安林区域を違法に開発してしまったのだから、返還された際、日本政府はこの一帯を森林に原状回復する責任があった。しかし、陸上自衛隊は一帯を森林に戻すこともせず、さらに形質変更を進めてしまった。その後、1979年には、射撃場を建設している。米軍が保安林内の開発した範囲以上にさらに形質変更部分を拡大した疑いもある。
陸上自衛隊は、少なくとも県の調査が終わるまでは、分屯地内の全ての工事を中止し、保安林に指定された範囲をただちに森林に復旧しなければならない。