台風18号の影響で、海上行動はお休みが続いている。
この2ケ月ほど、連日のように船を操船し、辺野古の海に出ている。長島や平島以外にも、あちこちにある岩礁にもそれぞれ名前がついていると教えられてきた。海上行動の参考になるだろうと思い、名護市立図書館に行き、『辺野古誌』を調べてみた。やはりほとんどの岩礁、ピシ(干瀬)、クチ(外海からイノーに入るリーフの切れ目)などに一つひとつ名前がついている。それだけ、この海域は昔から人々の生活に結びついていたのだ。
(『辺野古誌』P113)
今後、大型ボーリング調査が始まり、辺野古崎と長島の間が通過できなくなると、抗議船も外海を回ることが強いられる。外海からイノーに入るには、リーフの切れ目(クチ)を通らなければならない。クチは昔はヤンバル船の航路としても利用され、漁師たちのクリ舟の往来にも使われてきた。辺野古海域には5つのクチがあるが、今後の攻防のためにも、その場所をしっかりと覚えておかなければならない。
『辺野古誌』には、それぞれの島や岩礁についても詳しく説明されている。平島や長島について、新しい事実も知った。平島は(「ヒラシマ」ではなく「ピラシマ」というそうだ)、昔から人々に親しまれてきた島だった。周辺の海域は魚介類も豊富で、人々はクリ船を繰り出してタコや貝類を採り、祭祀の祈りには神前に供えたという。しかし、1957年以降、周辺は米軍への提供水域とされ、この平島にも水陸両用戦車が上陸して砲火を浴びせ、何回も焼き尽くされて島の地形も変わってしまったという。(その後、米軍の演習も無くなり、今では、住民の行楽の場として親しまれている。) 現在行われている海底ボーリング調査に不発弾調査が含まれているのも、こうした歴史があるからだ。
平島後方の東と西側に離れた2つの岩礁「シルカンギ」は、干潮時に干瀬漁をする際に船を係留したり弁当を広げて休むところだった。辺野古崎の近くで干潮時に出てくるレンガのような色をしている「アカイシ」も次に海に出た時に確認したい。また、我々がシュワブ岩と呼んでいる岩礁は、昔は「トゥンディ」と呼ばれていたらしい。
辺野古漁港への航路のそばにあるマナヌ岩。動物が座って外洋をにらむ形をしており、海上交通の盛んな頃には、ヤンバル船が航海するときの恰好の目印だったという。
辺野古の海が埋立られ、人々の船がイノーを走ることも無くなれば、こうした海岸部の方言呼称も消えていくにちがいない。