チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

山城博治さん、無念の闘病生活に---「必ずゲート前に帰ってきます!」

2015年04月21日 | 沖縄日記・辺野古

 山城博治さん。アセス評価書持込み阻止闘争、高江のヘリパッド建設阻止の闘い、オスプレイの配備に反対した普天間基地封鎖闘争、そして昨年からの辺野古新基地建設阻止のゲート前行動---彼なくしてはこの間の沖縄の運動の高揚はなかった。そんな彼が、昨日(20日)のゲート前集会で、悪性リンパ腫のためしばらく闘病生活に入ると告白した。昨年夏からのゲート前での彼の奮闘には、皆、「いったい何時寝ているのだろう」と心配していたのだが、やはり無理がたたったのだ。21日にゲート前に顔を出した後、22日から入院するという。

 21日(火)午前7時半、カヌー隊と船団のミーティングで、今日の午前中は海上行動を中止して皆でゲート前に行き、博治さんを激励しようということになった。

 ゲート前では今日も博治さんが抗議行動を指揮していた。彼の声を聞くと、思わず涙が出てしまう。集会では博治さんは、「今、現場を離れるのは残念だが、必ずここに帰ってきます。」と力強く挨拶されたが、彼の目にも涙が浮かんでいる。それでも、激励の挨拶や唄が続き、いつものように笑い声が湧き上がった。

 博治さんとしばらく話し合った。私が彼にしたのは高校時代の恩師の話だ。その恩師は、60代に突然、悪性リンパ腫を発症したが、その後、全快。今はもう90代だが顔のつやもよく元気いっぱいなのだ。他の同僚の教員らの方がほとんど先に亡くなってしまった。博治さんも、必ず回復して闘いの現場に戻ってほしい。

 

        (カヌー隊メンバー、船長たちと記念写真。中央が博治さん)

      (今日もゲート前行動を指揮する博治さん。)

(基地に入ろうとする海上保安官を止め、抗議。今日も博治さんは最前列に立っていた。)

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 今日は旧暦の3月3日。一年のうちで干満の差が最も大きくなる日だ。我々も午後、船を2隻出し、辺野古の比嘉盛順さんに案内していただいて「浜下り」を楽しんだ。

 辺野古のイノーは極端に潮が引いていて船はすぐに動けなくなった。皆、船を降り、歩いてリーフに向かう。Mさんは少し深場に行ってシュノーケルを始めたので、私は船で一人留守番。皆、遊びに飛び出して行った小学生のように、潮があがってきてもなかなか船に戻って来ない。少しハラハラさせられたが、1時間以上経過して、皆、「ああ、面白かった!」と言って帰ってきた。

    (イノーの手前は極端に潮が引き、皆で潮干狩りを楽しむ。)

 午後4時過ぎ、辺野古漁港で皆を降ろし、Mさんと汀間漁港に戻る。まだ、潮が低いので、航路をまっすぐ走り外洋に出た。外洋をしばらく走り大浦湾の航路に入ると、海保が全くいない。それならということで、近道をしようとそのままフロートの中に入っていった。すぐに浮き桟橋の辺りから、数隻の海保のゴムボートと指揮船が全速力でこちらに向かってくる。そして「勝丸」に向かって、「必要な措置を取る!」と叫び始めたが、そのまま無視して前進しフロートを超えて外に出た。

 何の抗議行動もしていないのに、何故、こんなにもむきになるのか。

 

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