(今朝の京都新聞)
11日から、中国・雲南の梅里雪山の麓の村に行くのだが、その関連ニュースが、今朝の京都新聞に大きく載った。
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梅里雪山遭難、留学の懸け橋 京大学士山岳会有志
京都大学士山岳会を中心とする日中合同登山隊17人が遭難した中国・雲南省の梅里雪山(6740メートル)のふもとの明永村から、チベット人女性ペマツォモさん(24)が同志社大(京都市上京区)に留学している。隊員の遺体捜索に村人が協力したお礼にと、山岳会員有志が学費などを負担した。ペマさんとの出会いをきっかけに、登山隊長と親友だった男性が今月中旬、初めて村を訪ねる。
1991年1月の遭難事故で、17人は標高約5100メートル地点で雪崩に巻き込まれて消息を絶った。日本の海外登山史上最悪の事故とも言われた。7年後に奇跡的に村の近くの氷河から10人が見つかった。会員で写真家の小林尚礼さん(42)=川崎市=が毎年村を拠点に捜索を続け、16人の遺体と多くの遺品が家族の元に返った。
梅里雪山は村人にとって「神の山」。小林さんが村に通い始めた当初は「冒瀆(ぼうとく)した」と日本人への視線は冷たかったが、ペマさんの父親で村長のチャシさんが協力して捜索が進んだ。
村人への感謝の気持ちを込め、有志がペマさんの留学援助を申し出た。昨年春からペマさんは社会学部で学んでいる。同大の寮で友人に囲まれ、「将来は日本と雲南をつなぐ仕事ができれば」と目標を語る。
京大山岳部出身の北上田毅さん(65)=西京区=は知人を通じてペマさんと知り合い、20年間かなえられなかった願いを実現する。登山隊長だった故井上治郎さんの学生時代、部のリーダー・サブリーダーとしてコンビを組み、酒を酌み交わして山について語り合った。遭難後、親友が亡くなった地を訪ねたいと思っていたが、山から離れ機会に恵まれなかったという。
村をペマさんに案内してもらう北上田さんは「ようやくあの山のそばに行ける」と話す。友が眠る山に手を合わせるつもりだという。
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明日御出発の由。どうかお気をつけて、良い旅でありますように!