チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

梅里雪山行が、京都新聞に

2011年03月08日 | 梅里雪山

                            (今朝の京都新聞)

 

 11日から、中国・雲南の梅里雪山の麓の村に行くのだが、その関連ニュースが、今朝の京都新聞に大きく載った。

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梅里雪山遭難、留学の懸け橋 京大学士山岳会有志 

  京都大学士山岳会を中心とする日中合同登山隊17人が遭難した中国・雲南省の梅里雪山(6740メートル)のふもとの明永村から、チベット人女性ペマツォモさん(24)が同志社大(京都市上京区)に留学している。隊員の遺体捜索に村人が協力したお礼にと、山岳会員有志が学費などを負担した。ペマさんとの出会いをきっかけに、登山隊長と親友だった男性が今月中旬、初めて村を訪ねる。

 1991年1月の遭難事故で、17人は標高約5100メートル地点で雪崩に巻き込まれて消息を絶った。日本の海外登山史上最悪の事故とも言われた。7年後に奇跡的に村の近くの氷河から10人が見つかった。会員で写真家の小林尚礼さん(42)=川崎市=が毎年村を拠点に捜索を続け、16人の遺体と多くの遺品が家族の元に返った。

 梅里雪山は村人にとって「神の山」。小林さんが村に通い始めた当初は「冒瀆(ぼうとく)した」と日本人への視線は冷たかったが、ペマさんの父親で村長のチャシさんが協力して捜索が進んだ。

 村人への感謝の気持ちを込め、有志がペマさんの留学援助を申し出た。昨年春からペマさんは社会学部で学んでいる。同大の寮で友人に囲まれ、「将来は日本と雲南をつなぐ仕事ができれば」と目標を語る。

 京大山岳部出身の北上田毅さん(65)=西京区=は知人を通じてペマさんと知り合い、20年間かなえられなかった願いを実現する。登山隊長だった故井上治郎さんの学生時代、部のリーダー・サブリーダーとしてコンビを組み、酒を酌み交わして山について語り合った。遭難後、親友が亡くなった地を訪ねたいと思っていたが、山から離れ機会に恵まれなかったという。

 村をペマさんに案内してもらう北上田さんは「ようやくあの山のそばに行ける」と話す。友が眠る山に手を合わせるつもりだという。

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朝日放送テレビニュース「京都・タウンミーティング不正」

 

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1 コメント

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良い旅を! (やまうるし)
2011-03-10 01:06:44
記事拝読いたしました。高校の山岳部の後輩をこの山で失ったという友人が知らせてくれました。
明日御出発の由。どうかお気をつけて、良い旅でありますように!
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