(大晦日にもかかわらず30名ほどが知事公舎の抗議行動に集まった。)
今日(12月31日)も午前9時から知事公舎前で埋立申請承認への抗議行動を行った。大晦日にもかかわらず、30名ほどの人たちが集まった。報道によると、知事は年末・年始の間、この知事公舎で「静養」しているという。知事は、埋立申請を承認して、「いいお正月を迎えられる」と言ったが、毎日、門前での抗議の声を聞いて、少しは県民の怒りが分かっただろうか?
Aさんが、流暢なウチナーグチで知事への抗議を続けた。さすがに迫力がある。
そして今日も、Mさんがマイクを握った。Mさんとは一緒に高江に行ったりしたこともあったが、昨日、今日のMさんの訴えには胸をうたれた。
Mさんのお祖父さん、お祖母さんは、沖縄戦の際、渡嘉敷島で「集団自決」(強制集団死)で亡くなられたという。お母さんは、その前に本島の高校に進学して島を離れていたため集団自決を逃れた。お母さんは、その後、瑞泉学徒隊(県立首里高等女学校の生徒らで編成された学徒隊。従軍看護婦要員として動員され、61名中33名が犠牲になった。)、そして、お父さんは大田昌秀さんと同じ鉄血勤皇隊の情報宣伝隊(千早隊)として動員されたが、たまたまお2人とも奇跡的に生き延びられた。
知事公舎前で、Mさんは涙を浮かべて訴えられた。「母は、戦争当時のことはほとんど話そうとしません。それでも、『軍隊は住民を守らないよ。壕から住民を追い出したりしていたんだよ。』といつも言っていました。米軍も同じです。新しい基地を作ることは絶対に認められません。」
座間味島の集団自決の現場から逃げだしたというYさんも、昨日も今日も、知事公舎前の抗議行動に参加されている。Mさんといい、Yさんといい、沖縄の人々は、こうした重い戦争体験をもとに辺野古新基地建設に反対しておられるのだ。
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今日、Mさんが出版された英語と日本語の絵本・『A Letter from Okinawa』をいただいた。渡嘉敷島の人々が戦争に巻き込まれ、集団自決に追い込まれていった経過が分かりやすく描かれている。戦争が終わり、Mさんのお母さんは、渡嘉敷島の両親に手紙を出した。しかし、返信は来なかった。島の人たちは、彼女の両親がどうなったのかを伝える勇気がなかったのだ。「あなたの愛するお父さんとお母さんがその(集団自決の)中にいたということを告げることは本当につらいことです。私たちが生き残ったこの苦しみをどのように伝えればいいでしょうか。」
あえて凄惨な場面を描くこともなく、子どもたちに考えさせ、表現させるように作られている。Mさんは高校の英語教師だが、子どもたちの教材として素晴らしい絵本だ。多くの人に読んでほしい。
(Mさんが出版された絵本)