3月30日(水)は早朝から辺野古へ。汀間漁港で少し待っていると、名古屋大学大学院に留学しているアフガニスタン人と教員らの一行20名がやってきた。すぐにグラスボート「ゆがふ世(ゆ)」に乗ってもらい大浦湾に出る。今日は新基地建設の現場ではなく、大浦湾のサンゴ礁を見てもらう予定だ。
10分も走ると皆の歓声が湧き上がった。アオサンゴやハマサンゴ、そしてテーブルサンゴの見事な群落が広がる。海の無いアフガニスタンの人たちにとって、まさに驚くような光景に違いない。
(アフガニスタンからの一行と)
昼で海案内を終え、浜のテントで昼食をとっていると、高江から緊急の電話が入った。「防衛局の職員らが、N1ゲート、N4ゲート前の車を撤去せよという警告の紙を貼りにきたので、皆で阻止している」という。大慌てで山城博治さんや海上行動の船長ら4名を乗せ、高江に向かった。
東海岸沿いの道をぶっ飛ばして高江へ。1時間弱でN4ゲート前に着いた。住民の会や現地行動連絡会、統一連の仲間たちが防衛局職員らが乗った車の前に座りこんで抗議を続けている。数台の警察車両も来ているが遠巻きに見ているだけで規制をしようとはしない。
「貼り付けた警告の紙をはがして持ち帰れ! それまでは防衛局の車は動かさん! せめて外に出てきて説明しろ!」と皆で抗議を続ける。防衛局の職員らは、車の中に閉じこもったまま出てこない。
すぐに山城博治さんの指揮で抗議集会が始まった。防衛局が警告文をはがして持ち帰るまで抗議を続けることを確認。防衛局職員に出てきて説明するよう求めた。
防衛局の責任者・沖縄防衛局企画部基地対策室の伊波室長がしぶしぶ車から出てきた。皆で警告文の根拠について説明を求める。
「警告文は、道路法32条違反と書いているが、それを判断するのはあくまでも道路管理者である沖縄県だ。防衛局は、そのために県と協議を始めているのだろう。県に出した文書の回答期限は4月18日となっているのに、防衛局がそれよりも前に警告文を貼るのはおかしい。道路管理者にまかせろ。それに外務省沖縄事務所などが、何故、名前を連ねているのだ。」
(しぶしぶ出てきた防衛局企画部基地対策課の伊波室長)
(N4ゲート前の車に防衛局が貼り付けた「警告文」。沖縄防衛局、外務省沖縄事務所、海兵隊太平洋基地の3者連名で出されている。)
結局、伊波室長は我々の追求に全く答えることが出来ず、とうとう、いったん貼り付けた「警告文」を取り外さざるを得なくなった。皆から大きな拍手が湧き上がる。
(住民らの抗議に、貼り付けたばかりの「警告文」を取り外す防衛局職員)
辺野古新基地建設事業は「和解」により「工事中止」となったが、防衛局はその腹いせのように高江でのヘリパッド工事強行に向けて露骨に動き始めた。高江で防衛局が車両やテントの強制排除に入れば、すぐに辺野古のゲート前から高江に全力で駆けつけようと確認して今日の抗議行動を終える。
とりあえず、明日も、現地で緊急抗議集会をすることが決まった。山城博治さんが、明日の午前中の辺野古ゲート前集会で、「午後は、高江に集まろう!」と呼びかける。3月31日(木)午後2時~ N1ゲート前に集まろう。