(高江のすぐ近くの海に米軍ヘリが墜落(1999.4.20 沖縄タイムス)
北部演習場周辺では、以前から、米軍ヘリの事故が相次いでいる。昨年11月11日のブログに、北部演習場周辺での普天間基地所属の米軍ヘリの墜落事故をまとめてみたが、補足して再録したい。CH46ヘリがオスプレイに変わった場合、大変な事態なることが予想される。
・1973.8.2 安波西方の山中にCH46中型ヘリ墜落 3人死亡、1人不明
・1975.6.24 安波ダム建設現場近くにCH46D中型ヘリ墜落 3人死亡
・1980.12.19 安波ダム貯水予定地にCH46中型ヘリ墜落 1人死亡、2人重傷
・1985.7.12 国頭村辺野喜ダム近くでCH53D大型ヘリが空中爆発、墜落 3人死亡、1人不明
・1988.10.31 東村高江の集落から西2.5Kmの山中でヘリ2機が空中衝突、CH46中型ヘリが墜落 4人死亡
・1999.4.19 安波沖400mの海上にCH53E大型ヘリ墜落 4人死亡
他にも、1987年7月11日には、国頭村楚洲にAH1Jコプラ攻撃ヘリが緊急着陸。1999年8月には、東村平良の村営グランドにUH1Nヘリがエンジンの油漏れで不時着している。
北部演習場周辺は特に事故が多いが、沖縄全域でも、普天間基地所属のヘリ事故が相次いでいる。
・1973.12.5 西原町小那覇の建設現場にCH46中型ヘリが墜落 4人死亡、1人重傷
・1976.11.4 那覇の西方16kmの海上にCH53大型ヘリが墜落 4人行方不明
・1978.3.3 ハンビー飛行場北方150m沖合にCH46中型ヘリが墜落 4人死亡
・1982.8.9 普天間基地内にUH1ヘリが墜落 負傷者不明
・1985.5.6 鹿児島県種子島沖合でCH53大型ヘリが墜落 17人死亡
・1988.6 愛媛県伊方原発近くにCH53大型ヘリが墜落
・1989.5.30 糸満市喜屋武岬沖合にCH46中型ヘリが墜落 14人が行方不明
・1989.7.23 宜野座村のキャンプハンセンにUH-1ヘリが墜落 1名が重傷
・1990.11.29 米海軍第7艦隊所属のSH-2ヘリが那覇の北東46kmに墜落
・1992.10.20 普天間基地内でCH46中型ヘリが着陸後移動中に横転・大破
・1993.9.1 嘉手納基地所属のHH-3ヘリが地上移動中に横転、1人死亡、3人が負傷
・1994.4.6 普天間基地にCH46が墜落。ローターが吹き飛び、胴体が裂けた。
・1994.11.16 普天間基地所属のUH-1ヘリがキャンプシュワブで演習中、墜落。1人死亡、4人が重軽傷
・1998.7.23 第31海兵隊所属のUH-1ヘリが宜野座村のキャンプハンセンで訓練中、着陸失敗・大破し、乗員4人が怪我
・2004.8.13 沖縄国際大学にCH53ヘリ墜落。乗員3名が負傷
普天間基地に現在配置されているCH46、CH53ヘリでもこれだけ事故があい続いているのだから、「未亡人製造機」と言われるほど事故の多いオスプレイに代わるといったいどうなるのだろう。
以下、北部演習場周辺での米軍ヘリ事故を、当時の新聞をもとにまとめてみる。
*1973年8月2日
(1973.8.2琉球新報)
1973年8月2日、北部演習場で野戦訓練中だった海兵隊員がガケから転落して負傷したため、普天間海兵隊所属のCH46中型ヘリが救援作業にあたったが、墜落。乗務員4名のうち3名が死亡、一人が行方不明になった。
*1975年6月24日
(1975.6.25 琉球新報)
1975年6月24日、国頭村安波ダム付近で普天間基地所属のCH46D中型ヘリが工事資材運搬用のワイヤーロープに接触、谷底に墜落炎上し、乗員の米兵3名が全員死亡した。
*1980年12月19日
(1980.12.19 琉球新報)
1980年12月19日、安波ダム貯水予定地域で普天間基地所属のCH46中型ヘリが木材搬出用ワイヤーに接触して墜落。乗員3名のうち1人が死亡、2人が重傷を負った。
*1985年7月12日
(1985.7.13 沖縄タイムス)
1985年7月12日、国頭村の辺野喜ダム近くの山中に普天間海兵隊航空基地のCH53D大型ヘリが墜落した。ヘリは、空中で爆発した後、燃えながら墜落したという。米軍の乗員3人が死亡、1人が行方不明となっている。
現場近くでは、ダム工事の作業員や伐採作業員らが働いていたが、作業員の目の前で爆発し、わずか1.5m横に30Kgほどもある破片が落ちてきたという。これは米軍訓練地域外の事故だった。
当時、CH53ヘリは普天間基地に10数機配置されていたが、海外でも事故が相次ぎ、「欠陥機の疑い濃厚」(沖縄タイムス 1985.7.13。7.14)と報じられている。
*1988年10月31日
(1988.11.1沖縄タイムス)
1988年10月31日、東村の北部演習場で米軍のCH46中型輸送ヘリ2機が空中接触、1機が墜落し、海兵隊4人が死亡した。現場は、高江の集落から西へ約2.5kmの地点。
事故直後、東村長や名護署員、消防職員らが現場を訪れようとしたが、米軍は立ち入りを拒否。東村議会は、11月1日、臨時議会を開催し「ヘリ訓練中止」を決議した。また、高江区でも、88人の区民が参加し、「ヘリ訓練中止区民総決起大会」が開催して訓練の即時中止を決議した。
当時の琉球新報は、「米軍機関紙「星条旗」によると、海兵隊のCH53は1980年以降の事故で少なくとも88人の生命を奪っている。そのため、「欠陥機」ではないかとの論議が起こっている。しかし、県内の事故を見る限り「欠陥機」と疑われているCH53よりもCH46の事故が多い。」(1988.11.1)
(1988.11.1琉球新報)
*1999年4月19日
(1999.4.20 沖縄タイムス)
1999年4月19日、夜間海上飛行訓練をしていた海兵隊普天間基地所属のCH53E大型ヘリが、国頭村安波沖の海に墜落。米兵3名が死亡、1名が行方不明となった。
(1999.4.20 琉球新報、4.21 沖縄タイムス)