2月29日(月)早朝、京都から来たOさんを乗せ辺野古へ。海上行動のミーティングで、私はNさんと「平和丸1号」を担当することとなった。しかし、汀間漁港に行って大浦湾の様子を見ると、波が高い。予報でも、今後ますます波風が強くなるというので、船長たちで相談し今日の海上行動の中止を決めた。今年は気象条件が悪く、海上行動が中止となる日が多い。
ゲート前の座りこみに参加した後、那覇へ戻る。今日は辺野古新基地建設事業をめぐる国地方係争委不服訴訟と代執行訴訟の口頭弁論だ。事前集会には間に合わなかったが、幸運なことに2つの訴訟の傍聴に入ることができた。昨年12月から続いていた辺野古訴訟の法廷に入ったのは今日が初めてだ。
(辺野古訴訟が行われた福岡高裁那覇支部)
午後1時15分、県が、国地方係争処理委員会が訴えを却下したことを不服として、国を訴えた係争委不服訴訟の第2回口頭弁論が始まった。県の代理人が弁論終結にあたっての意見陳述した後、裁判長はすぐに結審を宣言した。判決日は3月17日(木)ということになったが、裁判長は「本件についても和解を勧告します」と告げた。代執行訴訟と係争委不服訴訟のどちらも和解が勧告されたことになる。
午後2時からは代執行訴訟の第5回口頭弁論が開かれた。今日は稲嶺名護市長の証人尋問が行われる。稲嶺さんは、名護市における基地被害の状況、辺野古新基地問題の経過、そして辺野古新基地が自然環境や生活環境に与える影響等について詳細に証言した。
「県民の思いや人権が踏みにじられて、私たちはもう我慢できないのです。私たちの代だけではなく、子や孫、そして生まれてくる次の世代の人たちにこれ以上、被害を押しつけられないのです。裁判所におかれては、これまでの沖縄の70年間の苦難の歴史、人権が踏みにじられてきた歴史などをしっかりと聞いていだだいて、私たちの未来に希望が持てるような判断をお願いいたします。」
稲嶺市長に対する国の反対尋問は聴くに堪えないものだった。仲井真前知事が防衛局の埋立承認申請を審査した際、名護市は県に意見書を出している。その際、3人の学者らが協力したのだが、国の代理人はこれらの3人の学者を非難する尋問を続けた。これには裁判長も呆れたようで、「その質問の立証趣旨は何ですか?」と質問を中断させた。さらに、国の代理人が別の質問をした際にも、裁判長は「それはあなたの意見です。質問を止めて下さい」と注意している。
稲嶺市長の尋問が終わると、国、県がそれぞれ最終意見陳述を行い、代執行訴訟の審理は終結した。判決は4月13日(水)。口頭弁論終了後、係争委不服訴訟と代執行訴訟の和解協議が行われたが、その内容は未だ知らされていない。
辺野古新基地建設事業をめぐる国と県との法廷闘争を初めて傍聴することが出来た。口頭弁論を聞いている限り、県が負けるとは考えられないのだが。