10月30日(火)、今日も早朝6時に大山ゲートに着いた。抗議行動の様子は後述するとして、今日は、ビッグニュースから先に書こう。
有名な沖縄民謡グループ「でいご娘」の長女・島袋艶子さんが、抗議行動を支援するために来られ、「艦砲ぬ喰ぇぬくさー」」(艦砲射撃の喰い残し)を熱唱されたのだ。この唄は、飲酒運転の米兵の車に轢かれ命を無くされたお父さん・比嘉恒敏さんの作詞・作曲。
艶子さんのお父さん、比嘉恒敏さんは、1945年、父、長男を米潜水艦に沈められた学童疎開船「対馬丸」で失い、さらに出稼ぎ先の大阪大空襲で妻と次男が目前で防空壕ごと押しつぶされるという悲劇に遭われた。艶子さんたち姉妹は、恒敏さんが、戦後再婚して生まれた子供たちだが、戦後のその幸せな生活もまたまた米軍のために悲劇に。復帰翌年の1973年、大山ゲートのすぐ近くで、米兵の飲酒運転の車と衝突、恒敏さん夫妻が亡くなってしまう。
この唄は、そのお父さんが作られた唄。米軍に2度も幸せを奪われ、最後には米兵に轢かれて死んでしまったお父さんが残された歌を、「私は一人でも唄うよ」という艶子さん。これだけの大変な経験にも負けず、素晴らしい笑顔で歌われる艶子さんに、沖縄の人たちの心底の強さを見せていただいた。
一緒に歌うのは、元中部地区労議長の有銘政夫さん。有銘さんも、しぶい声で素晴らしかった。
でいご娘島袋艶子さん オスプレイ配備反対の思い唄(2012.10.30 QAB)
でいご娘・島袋さん、大山ゲートで熱唱(沖縄タイムス2012.10.31)
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大山ゲートでの活動の様子。今日もTさんが、1時間半にわたって米兵たちの車を妨害するために車を止め続けられた。
(右側車線は、Tさんの活動により渋滞する米兵の車)
そして、今日も、米兵の車への抗議行動が続く。
午前9時からは、いつものように、野蒿ゲートへ。
そして、今日は夕刻から高江に向かう。今、高江では早朝5時から防衛局の工事に対する阻止行動が続いているので、前日に行って現地に1泊しないと間に合わないのだ。