1月25日(金)、今日でゲート前での抗議行動も71日目。いつものように午前5時半、那覇の自宅を出て普天間基地に向かう。
大山ゲートは、小高い丘陵の上にあるので、いつも西岸の海から強い風が吹きつけて寒い。それでも、ここ数日、夜が明けるのが、少しずつ早くなってきたようだ。炎天下での県民大会から、秋にオスプレイが配備され、それ以後の毎日の抗議行動は、もう冬を越そうとしているのだ。
今朝は、米兵らの車両が多く、下のパイプライン通りまで渋滞が続いた。、
T牧師夫妻は、大山ゲートに来られた後、いつも辺野古に向かわれる。
午前8時に大山ゲートでの抗議行動を終え、野蒿ゲートに向かう。
朝は、野蒿ゲートでの抗議行動を短めに終え、夕刻、また、戻ってきた。毎週金曜日の夕刻には、野蒿ゲート前で平和運動センターの抗議集会が続いている。特に今日は、27日~28日の東京行動を前にした沖縄での決起集会という意味もあったのだが、参加者は100人ほどで、寂しかった。
今日の金曜行動には、Oさんらが、韓国、台湾、中国、シンガポールからの研究者らを連れてやってきていた。Oさんに頼まれて、基地に面したAさんのお宅に案内する。屋上から見える広い普天間基地と、翼を畳んで駐機しているオスプレイに、皆、驚いていた。
(集会で挨拶する、韓国、台湾の研究者たち)
宜野湾市役所の前庭には、カンヒザクラの花が咲いていた。今年は、抗議行動が続き、ゆっくり花見に行く余裕もなかった。