追分は駅には行った事がありますが、この通りは車で通過しただけです。すいていたから歩きましょう。駐車場に車を停めて・・・

旧堀辰雄邸
昭和26年7月この家を新築し、同28年5月28日に亡くなるまで過ごした。
四畳半の部屋ではほとんど病臥の生活で、寝床の周りは本だらけだった。



書庫
この完成を心待ちにして、病床で蔵書の並べ方まで妻に指示していたが、死の10日前に出来上がったこの書庫に、思ったとおり本が並ぶのを遂にみることなく世を去った。

夫人は今年4月16日 96歳9ヶ月 ご自宅にて永眠されたそうです。
記念館での 「堀多恵 作家 堀辰雄の妻として生きたその生涯」 は、11月30日まで。
昭和16年5月夫人と軽井沢に購入した別荘は移築復元されています。
堀辰雄 1412番山荘 
”文豪が愛した軽井沢の宿” 追分 油屋

堀辰雄の部屋も。。。
http://www.d1.dion.ne.jp/~tcarrera/room.html



堀辰雄文学記念館の入場券で軽井沢町追分宿郷土館にも入れます。
せっかくですからと入り口まで行きましたが、特に惹かれる物もなく、隣の公園で遊んでいる親子を見ている方が楽しかったから、中には入りませんでした。

この通りをぷらぷらと歩きながら・・・南が丘に会社の保養所があって、その建物はダイハツだったかのCMに使われていたんだっけ。当時は追分までは来ようともしなかった。自転車借りて旧軽まで買い物や食事に出かけたり、庭にあったテニスコートで順番にテニスをしたんだっけ・・・なんて、ひとりべらべらしゃべっていました。
私たち夫婦は軽井沢にテニスに来て知り会っちゃったんです。と、まるで、来なきゃよかったみたいな言い方をしていますが、そういう時もありました。いろいろあって、今がある。と、言っても特に何もなかった?忘れているって事はどうなんだろうね!
特技:都合の悪い事は忘れる。



旧堀辰雄邸
昭和26年7月この家を新築し、同28年5月28日に亡くなるまで過ごした。
四畳半の部屋ではほとんど病臥の生活で、寝床の周りは本だらけだった。




書庫
この完成を心待ちにして、病床で蔵書の並べ方まで妻に指示していたが、死の10日前に出来上がったこの書庫に、思ったとおり本が並ぶのを遂にみることなく世を去った。


夫人は今年4月16日 96歳9ヶ月 ご自宅にて永眠されたそうです。
記念館での 「堀多恵 作家 堀辰雄の妻として生きたその生涯」 は、11月30日まで。
昭和16年5月夫人と軽井沢に購入した別荘は移築復元されています。


”文豪が愛した軽井沢の宿” 追分 油屋

堀辰雄の部屋も。。。








堀辰雄文学記念館の入場券で軽井沢町追分宿郷土館にも入れます。
せっかくですからと入り口まで行きましたが、特に惹かれる物もなく、隣の公園で遊んでいる親子を見ている方が楽しかったから、中には入りませんでした。


この通りをぷらぷらと歩きながら・・・南が丘に会社の保養所があって、その建物はダイハツだったかのCMに使われていたんだっけ。当時は追分までは来ようともしなかった。自転車借りて旧軽まで買い物や食事に出かけたり、庭にあったテニスコートで順番にテニスをしたんだっけ・・・なんて、ひとりべらべらしゃべっていました。
私たち夫婦は軽井沢にテニスに来て知り会っちゃったんです。と、まるで、来なきゃよかったみたいな言い方をしていますが、そういう時もありました。いろいろあって、今がある。と、言っても特に何もなかった?忘れているって事はどうなんだろうね!
特技:都合の悪い事は忘れる。

