本・片桐はいり 「グアテマラの弟」

2011-07-09 21:28:00 | 図書館本 読書備忘録 
                      図書館本 

        グアテマラの弟

 作品の紹介
甘苦い人生もポコアポコ。外国を知らなかった父。家事に明け暮れ続ける母。異国の人となった弟。―旅と家族をめぐる名エッセイ。「Google ブック検索」より

 弟さんは大学の夏休みに放浪の旅に出て、大学院まで出たのに中米グアテマラに自分の居場所をみつけて、行ってしまったそう。現地の方と家族を作り住み着いたんですって。

中学に入る頃から年子のこの姉、弟は喧嘩もできないくらい仲が悪く、ひと言も話さなかった・・・に。 えーーー! 同じ家に住んでいてーーー? 
私事ですが、弟たちとは特に仲良しではないですが、喧嘩なんかしょっちゅうしていましたわ。だからびっくり!って家がおかしかったのかな??? そりゃいろいろな家庭がありますからね。。。

弟さんが暮らしているのは首都のグアテマラ・シティではなく標高1500メートルの美しい町 アンティグア 
あっけらかんとした場所があっていたのでしょうか?知りませんが、楽しそうです。それに弟さんはそこにはなくてはならない人になっていました。
日本人のバックパッカーも多いのです。

アシタマニャーナ は アシタ・マニャーナ と書くのね。ずいぶん前に知っていた言葉で、両手をニャンコみたいにして使っていたけれど、のちにそういう番組があって、お!アシタマニャーナだ!なんて、言っていたのを思い出しました。なんで知っていたのかは不明!でも意味はあっていましたよ。

ちょっと前に、モアイが好きでイースター島に移住し、観光ガイドをしているご主人とホテルで働いている奥様とのことをテレビで見ました。お住まいがあまりにすごいことになっていて、びっくりしましたが、住んでいる人がそれでよければ良いわけで、やっぱり好きなモアイのそばにいて幸せそうでした。南米だっ!

お年寄りだって年金で楽に生活できるからって、東南アジアで過ごしている方たちもおいでだから・・・

はいりさんはほんわかりんとしてテレビや映画でみるまんまの方?と・・・そして豊かな方なんだろうなぁ~と。

もう一冊あります。「かもめ食堂」で行った北欧のおはなしが・・・


 今日も暑い一日でした。まだ普通の靴は履けないからお出かけはスーパーだけ~ 

動くと汗かくかきますでしょ、だから・・・いちばん涼しいところにマット敷いて、寝っ転がってじっとして読書  

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六花亭のマルセイバターサンド

2011-07-09 06:51:55 | パン・お菓子・お食事 ♪


 

「ホワイトチョコレートと北海道産生乳100%のバター、カリフォルニア産のレーズンをあわせたクリームをサンドした、ロングセラー商品です。」

あーなるほど、それでさっくりこってり  美味しい  のですね。って、さんざん食べているくせに、今更なコメントをしてしまいました。

なんたってバター大好きですからね。チーズだって牛乳だって大好き。

六花亭のお菓子は北海道物産展に行くと買えますね。でも本当は北海道物産展は苦手です。

北海道がぎっしり詰まっているのも、美味しいものがわんさかなのもうれしいのですが、ちと混み過ぎ!
どこのデパートでも・・・いつ行っても大混雑。

有楽町のアンテナショップも、何事ですか? ってほどの混雑ぶり。思わず惹かれて入ってしまいます。

みんな大好き  北海道  ってことでしょうか 

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日本最北端の宗谷岬へ・・・

2011-07-09 05:43:46 | まとめて 北海道の旅


ホテルでお食事をしてチェックイン! すぐに向かった先は 宗谷岬! この時は晴れていたのです。が、すぐに曇り始め、しまいにはポッツラポッツラ・・・かと思えば晴れてきました。よかったよかったと思う間のなく今度は霧です。まぁ忙しい、なんでもありのお天気でした。

                        宗谷岬 

                       日本最北端の地

         


                      大岬旧海軍望楼 
「明治35年(1902)、旧日本海軍は宗谷岬に望楼を建築した。この望楼は宗谷海峡を一望にし、形は船のブリッチと云う異色のもので、石材をコンクリートで固め、いかにも国境の備えにふさわしい監視所でした。
明治38年、日露戦争がはじまると望楼の役割も一段と重要性を増し、海軍無線電信所が併置、樺太上陸特別派遣軍の第13師団海上輸送護衛の通信連絡に従事し、日本海海戦の折にはバルチック艦隊通過の可能性があることから監視に重大な責任が課せられていた。当時世界最強といわれたバルチック艦隊は結局、東支那海を通過したため宗谷海峡を通ることはなかったが、日本海海戦に破れて敗走して来たロシア軍艦「ノーウイック号」と日本海軍巡洋艦「対馬」「千歳」が宗谷沖で戦った時、大いにその真価を発揮した。」稚内市ホームページより



                       間宮林蔵像

              

                   日本最北端の郵便局と寿司屋

 

                   白い道は ホタテの貝殻 だそうです。



                         風力発電の風車 

 

ここが日本の最北端。
そういえば短大のサークルの先輩が稚内の人でした。稚内と聞いて おー! と歓声があがったのですが、当のご本人は何にもない、な~んにも!と。
部長でしたが、デぶっちょうと呼んでいたのを思い出しまし、あっ!ヒールが折れちゃった!なんてことをよく言っていました。
稚内でも北の方って言っていたから、いるかなぁ~なんて思いましたが会ってもきっとわかりません。かわいがってもらった覚えはありますが、何しろ短大だから半年くらいしか一緒にいませんでしたものね。

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コメント (2)