2016.4.18(月) 最愛の猫 ちゅーさんが19歳で旅立ちました。
このブログを通して可愛がってくださった皆さま、本当にありがとうございました。
--------ここからは私が書き留めておいたものを記録として残したものです。
見たくないシーンもあると思います、ご了承ください----------
2015.8月 ちゅーさん18歳
肺炎で今夜が峠?と言われるも持ちこたえ元気になった。
2015.11.15 歯周病のため抜歯
体力的にどうかとドキドキしたが、回復も早く食欲も有りほっとする。
2015.12.13 入院・胸水除去
抜歯後元気でいたのに、呼吸が荒く苦しそう。
病院へ行くと「心筋症」とやらで肺の周りに水が溜まり、肺が圧迫され苦しいらしい。
検査も兼ねて入院。
2015.12.26 胸水除去
あれからまだ二週間しかたってないのにまた苦しそう。病院へ。
「年こせるかな・・・」と言われる。
年末だけどここの動物病院は日曜祝日年末年始も休まずやってくれる、ありがたい。
先生も気さくなうえ、動物を本当にかわいがってくれる。
我が家の猫たちは代々みんなここ。
信頼のできる先生、人気があるのがよく解る。いつも混んでいる、患者がいっぱい。
2016.1.9 胸水除去
お正月は穏やかで年はこせたがまた苦しそう。
昨日まで元気だったのに突然食べなくなる。
食べなくなる→呼吸が荒く苦しくなる→胸水溜まってる→病院へ
胸水除去→朝晩薬を飲ませる→しばらく元気→食べなくなる→呼吸が苦しくなる
この繰り返し。
でもなぜか胸水を抜いて家に戻るととたんに元気になり、ガツガツ食べる。
いいよいいよ、その調子!たくさん食べな~
2016.1.15~1/18 入院・胸水除去
時々開口呼吸になるほど苦しそう。
人間でいうと猛ダッシュした後に1秒ごとに肩でゼーハーする、そんな感じ。
危険な状態だと言われ入院。いっぺんに気分が落ち込む。
「このまま終わるなら連れて帰りたい」と言うも、
「病院で最期を迎えるのは普通の事だよ、うずくまって死を迎える子ならいいけど、
この子は呼吸が苦しい病気なのだから苦しみを放っておけないだろう」と先生。
・・・確かにそうだけど・・・好きにさせてやりたい気も。
あとは無事家に帰れることを祈るだけ、と病院に託す。
2016.1.18 酸素ハウスレンタル開始(テルコム・株 月額¥15000)
退院できそうなので万が一の時でも家でも楽に暮らせるよう、
ちゅーさんの拾い主でもある姪っ子と相談して酸素室をレンタルすることにした。
電話をするとすぐ翌日届けに来てくれた、ありがたい。
それにしても夜中に発作的に苦しむ時酸素室に入れるも、
「出せ~出せ~」と 鳴くしケースに体当たりして暴れるし。
もう!余計呼吸が苦しくなるじゃないか!
じっとしていてほしいけど、猫にとっては嫌なものは嫌なのか。
病気なんか気にしない?まったく自己主張の強い子だ。
2016.1.27 胸水除去
薬が効いたと喜んだけど、やっぱり溜まるものは溜まる。苦しくなり病院へ。
溜まるサイクルが読めない、突然食べなくなった後ほぼ24時間後には呼吸が荒くなる。
そうなるともうほおっておけないので姪っ子、私、ダンナ、と、
手分けして病院へ連れて行く日々が続く。
会社に行きながらの通院は一人ではとても無理だった、姪っ子ありがとう。
2016.2.7 胸水除去
2016.2.15 胸水除去(通常200mlの半分しか抜けず)
苦しくない時はまったく普通の猫同じだけど、苦しくなると途端に箱座り。
食べない、鳴かない。呼吸困難だから怖くて薬も飲ませられない。
2016.2.17 私の出勤時に珍しく外に出たいという。
あんな呼吸が苦しそうな時もあれば、
元気な頃の見廻りルートをこなすくらい元気な日もある。
2016.2.23 胸水除去
2016.3.2~3 入院・胸水除去
この頃から胸水が溜まり苦しくなる間隔が短くなる。あまりよくない傾向。
2016.3.15 胸水除去
2016.3.21 胸水除去
2016.3.27 胸水除去
最初は薄いピンク色だった胸水も、だんだん血が混じるようになってきた。
赤い・・・痛々しくて見ているのも辛い。
2016.4.2 お花見に行く前に病院へ・胸水除去
以前ならすぐ元気になったのに、
胸水抜いても元気も食欲もイマイチ戻ってこなくなった。
悲しいけどもう時間の問題なんだろうな・・・
だったらもう大嫌いな病院通いなんてやめようか・・・
嫌がる薬も飲ませるの止めようか・・・
でも
私が胸水除去に連れて行かなければ死んでしまうはず。
そう思うとここで私が諦めるのは正解なのか?
猫は苦しくてもまだ生きたいんじゃないのか?
ふと目をやれば
「苦しいけど頑張ってるよ」
せつない瞳で私を見上げるちゅー。
その顔をみてるともうたまらなくなる。
助けてやりたい。でももうこれ以上の回復の見込みはない。
これは単なる延命措置なのか?
人間の我儘なだけなのか。
1週間に1度ならいいけど、3日に1度になったら・・・
毎日になったらもう延命処置はやめようか。
どうするのが猫にとって一番いいのか、毎日悩む。
それでも苦しいながらも食べたいそぶりを見せるうちは、
あ、今じゃない
と思うようになった。
苦しくても時々伸びをするしぐさはまだ、生きれるはずだ。
寿命は私が決めることじゃないんだ。
私の役目はただ、この子が生涯を終える時を手伝い、見守るだけなのでは。
いつものように今日も私の布団の上で眠るちゅーさん。
あごをあげているときは苦しくなく、ご機嫌な証拠だけど、
そんな苦しくない時間も2~3日しか持たない。
呼吸が荒くなるのが私の足元に伝わると、気になって目が覚める。
毎晩寝不足だ。
でもこんな日々ももう終わりが近いのかと思うと、悲しくて自然と涙が出る。
いくら高齢とはいえ お別れが近いかと思うと悲しすぎる。
もう十分世話したから悲しくないと思ってたけど、無理。
2016.4.6 胸水除去
2016.4.10 胸水除去 もうほとんど血の色。
除去した後、病院でしばらく立ち上がれなくなる。どうしよう・・貧血状態か。
ここで終わるわけにはいかない、ちゅーさん、家に帰るよ!絶対に連れて帰るよ。
薬はもう飲めないから注射で対応、家に連れて帰ってもすぐに食べなくなった。
水を飲むのも座ったままで苦しそう。
今週いっきに痩せた、そろそろ覚悟する時期かもしれない。
2016.4.15 胸水除去 ほとんど血の色
病院から帰ってもほとんど食べず、熊本地震で気持ちもわさわさしていた夜23時、
前から時々あったバタバタと暴れる行動が急に始まった。
今回は足を引きづりながら動き回り、さすっても抱きしめても制止がきかない。
開口呼吸が酷く、このまま逝ってしまうかと思った。
2時間くらいアウアウ言って暴れ、静かになったと思ったら翌朝、
左足が動かなくなっていた。
後で調べたら血栓が動脈に詰まり足が麻痺する腸骨動脈塞栓症というものらしい。
のたうちまわるほどの激痛と書いてある、あれがそうだったのか、可哀想に。
ちゅーさんはもう3日も食べてないし、痩せ細ったこの状態での手術は無理。
もう病院には連れて行かないと決めた。
2016.4.16
下半身が動かなくても、前足だけで移動しようとする。
どこに行きたいのか?何がしたいのか?
水だけは飲むけど、一切食べようとしない。
トイレに連れてってもしないのでパットで対応。
大好きなダンナの膝の上にのせても、イマイチ居心地が悪そうだった。
いつもの行動範囲にだっこして連れて行くことにした。
家の中の二か所のトイレ、二か所の食事場。
見廻りコースのお風呂、台所、玄関etc・・・
・・・特に反応はない。
昼間は姪っ子、夜中は私が2時間おきくらいに体の向きを変え、水を飲ませた。
2016.4.17
酸素室は可哀想だからこたつのなかに酸素を送り込み、横で寝ていた。
朝、「ニャー」と言う声で目が覚めたらなんと前足だけでこたつから出て、
わたしの顔のすぐ横まで来ていた。
「水飲みたい?ごめん、寝過ごしたよ」
急いで水を飲ませる。
満足したのか?他に何がしたいのか?
「ニャー」
と3回鳴いてまた、横たわったままとなった。
その後は徐々に元気がなくなり、支えてやらないと水も飲めなくなった。
2016.4.18
この日の夜も添い寝。夜中、見る度に目を開けていたちゅーさん。
何を見つめていたのかな。見えているような見えていないような表情だった。
眠いけれど、行きたくないけれど会社に行かなければ。
「行ってくるからね」
そう声をかけて昼間のお世話は姪っ子に託して出勤。それが最後となった。
(これが私が会った朝最後の写真、左足は完全に色が変わってしまった)
夕方、スマホに姪っ子からの悲痛なメッセージが・・・
18:00 ちゅーさん逝く
19:00 大急ぎで会社から帰るともう死後硬直が始まっていた。
姪っ子と二人でお気に入りの毛布にくるんでお花を添えた。
最期は呼吸困難もなく、ちょっと不思議な動きをしてあっという間に息をひきとったそうだ。
直後は口も目も開いたまま苦しそうな表情だったけど、
時間が経つにつれ、口も目も閉じて穏やかな表情に。
自然に閉じるものなのかぁ。
2016.4.19
家族全員に見守られ埋葬
長い間、ほんとうにありがとう。
----------------------------------------------------
”もう覚悟してるから大丈夫だよ”
なんてみんなに言ってたのは大間違いだった。その日から
寂しくて仕方ない。ちょっと思い出すだけで涙が出る。何もする気力がおきない。
2kgちょっとの小さい身体なのに、失って知るその存在感の大きさ。
部屋がやたらに広く感じる。
いつもいるはずの場所に自然と目が行ってしまう。
毎晩一緒に寝てたから、布団が軽くて寒い、眠れない。
いつも帰ると玄関まで迎えに来てくれたちゅーさん。
マグロと私が作るから揚げが大好物だったちゅーさん。
もうお土産買って帰ることもないんだな、
待ってる者がいないってなんて寂しくつまらないんだろう。
19年、ひとつの時代が終わった感じだ。
19年間私たちを毎日癒し続けてくれたちゅーさん、本当にありがとうの言葉しかない。
今完全にペットロス症候群。
そろそろ元気を出さないと、とけじめをつける為に書いてみたけど、
立ち直るまで、もう少し時間がかかりそうだ。
ちゅーさん天国で好きなcyu2さんのカラアゲいっぱい食べてね。安らかなご冥福をお祈りします。
同じ猫の飼い主としての思いもあるし、
ko-ichiさんのこと思い出してしまいましたね、ごめんなさい。
仰る通りです。
ヒトも猫も最期は悩みますね。
簡単ではなかったです。
回復の見込みがあるならば良いのですが、
そうではない時の対処は、当事者はもうそんな気力も薄れているのか?
それでも進んで行きたいのか?健康な者には解らないゾーンがありますよね。
常に頭から離れないけど最善を尽くした状態と、状況が悪くなる時のがっかり感と。
自分の気持ちの整理の為にメモを書いていました。
過ぎてしまえば忘れちゃうことが、なんだか寂しくて書いちゃいました。゜(゜´ω`゜)゜。
いつか懐かしく思い出すのかな~
でも、みんなであんなことこんなこと笑いながら一緒に過ごした時間のこと話せるようになりますよ。
ちゅうさんも頑張りましたね。
時間がたてば笑って話せるようになりますね。
身に着いた習慣と言うのは恐ろしいもので、
いろんな場面で存在の大きさを感じてしまいます。
朝起こしてくれることもなくなっちゃったし、寝坊しないようにしないと(笑)
温かいメッセージありがとうございます。
今思い出した!ほっかむりとかもやったよね~
懐かしい(*^ω^人^ω^*)
父の事を思い出しました...。
cyu2さん、ゴールデンウィーク、山に入れれば良いですね。
山から元気がもらえれば、良いですね。
本当に、猫も人も家族の病気については悩みは一緒ですね。
どれが正解、というのがないところがまた、辛いのかもしれません。
GWはカレンダー通りのところへ仕事が入ってしまったので、普通の休日です。
でも山の計画は以前からしていたので行ってきますよ~
天気ダメそうなんですけどね、毎度の事ですが(笑)
chiakiさんはアルプスかな?
温かいメッセージ、ありがとうございました。
ちゅーさん、頑張りましたね!
そしてchu2さんも、お辛いのに克明に記して、思い出や悲しみもさぞ増されたのではないでしょうか。
いつか来る別れ……。頭ではわかっていても受け入れるのは無理ですよね!
どうぞ、いっぱい泣いていっぱい思い出してあげてくださいね。
ちゅーさんは、きっとそばで見守ってくれていますよ。
ECOさんもかわいい家族たちとお住まいなんですね。
毎日たくさんの癒しをくれる、動物たちは本当に可愛いですね。
頻繁に病院通いになってからは、ほんとうに毎日ハラハラ、呼吸が荒くなるともう心配で会社から帰ると慌てて病院へ駆け込んだりの3か月でした。
どうするのが良いのか?悩みましたね~
そんな時、PCに向かってメモを書いて気を落ち着かせていました。
書くことで気がまぎれるというか・・・
確かにブログ書きながら何度も泣いてしまいましたが(笑)こうして書くことで気持ちの整理もでき、
話すことで悲しみも癒えていく気がするので良かったかな、と思います。
温かいお言葉かけて頂きありがとうございました(*^_^*)
でも、こんなふうにcyu2さん家族に見守られて逝くって
なんて幸せな猫ちゃんなんだろうって思いました。
19年ってすごく長い年月ですものね。
失ったものの大きさ、よくわかります。
早く悲しみが癒えて、
楽しかった日々を思い出してふっと笑える日がきますように。
最後に撮られた写真を拝見すると、手足を伸ばしていて気持ち良さそうです。猫は苦しい時はぎゅっと丸くなって抱き上げても形が変わらないぐらいだったり、箱座りしてじーっと耐えたりしますよね、なので手足を伸ばしてリラックスしていて、強い痛みもなかったのではないかな?と思います。
家族に看取られて、あっという間にぴょんぴょんと虹の橋を渡られたのでしょう。
うちの場合は、ご長寿猫の愛用品は縁起がいいということで、色んな方に引き取っていただけました。ありがたいことです。
ペットロスは厄介ですが、無理なさらずに。思い出す度、あちらの世でありがとうありがとうとゴロゴロのどを鳴らしてるに違いありません。