ベック式!難単語暗記法ブログ

質の高い暗記法、芸術的なゴロ合わせ、感動の記憶法をあなたに!抜群に効果的な実例満載!

1827年 〈頼山陽、『日本外史』刊行〉★★

2012-10-21 | 『日本史ゴロ覚え(文化史編)』

●江戸時代


   日本がいいし 礼賛(らいさん)よ。
    『日本外史』     朱子学        頼山陽  

尾藤二州に師事し朱子学を学んだ頼山陽は1827年、『日本外史』を著し、完成後松平定信に献上。

陽明学者でもあった頼山陽は大塩平八郎に影響を与え、のちの尊王攘夷運動にも強い影響を与えた。

安政の大獄で処罰された頼三樹三郎は山陽の子。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

角倉了以の覚え方

2009-09-04 | 『日本史ゴロ覚え(文化史編)』
17世紀 〈角倉了以、保津川・高瀬川の開削〉★★★
 「放ったらかせば 住みにくい。」
   保津川 高瀬川         角倉了以

 17世紀、京都の豪商角倉了以が富士川・保津川の水路を開き、京都と伏見の間に高瀬川を掘り開いた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石上宅嗣、芸亭を開く

2009-02-20 | 『日本史ゴロ覚え(文化史編)』
七色の紙 売ってます。
 771年 石上宅嗣 芸云

 石上宅嗣は平城京近くの旧宅を寺として、その一隅に芸亭を設け、図書を集めて好学の士に閲覧させた。宅嗣は淡海三船と並び称される文人で、その詩は『経国集』に収められる。

ベック式!魔法の暗記術公式ホームページ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『解体新書』刊行

2009-02-14 | 『日本史ゴロ覚え(文化史編)』
 解体します 非難なし。
 『解体新書』前野良沢 杉田玄白 1774年

 蘭学の中心は医学で、1774年杉田玄白と前野良沢らによるオランダ語の解剖書『ターヘル=アナトミア』の翻訳書『解体新書』が完成。処罰を恐れた玄白らは、時の為政者田沼意次にあらかじめ献上し、処罰を免れた。これ以後、民間の蘭学は本格的な発達を迎えた。学の中心は医学で、1774年杉田玄白と前野良沢らによるオランダ語の解剖書『ターヘル=アナトミア』の翻訳書『解体新書』が完成。処罰を恐れた玄白らは、時の為政者田沼意次にあらかじめ献上し、処罰を免れた。これ以後、民間の蘭学は本格的な発達を迎えた。

ベック式!魔法の暗記術公式ホームページ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十返舎一九、『東海道膝栗毛』を著す

2009-02-14 | 『日本史ゴロ覚え(文化史編)』
自転車で行こ 東海道。
十返舎一九 滑稽本 『東海道中膝栗毛』
 寛政の改革で弾圧された洒落本にかわって会話中心の滑稽本が人気を博した。十返舎一九は笑いや滑稽を中心にして、庶民の日常生活を描いた滑稽本の代表作『東海道中膝栗毛』を著した。

ベック式!魔法の暗記術公式ホームページ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡会家行、『類聚神祇本源』を著し、伊勢神道を大成の覚え方

2009-02-08 | 『日本史ゴロ覚え(文化史編)』
ベック式!「類人猿が 笑い過ぎ。
    『類聚神祇本源』 鎌倉時代 渡会家行 伊勢神道 

 鎌倉時代、神道においても伊勢外宮の神官渡会(わたらい)家行(いえゆき)が『類聚(るいじゅう)神祇本源』を著し、神主仏従を唱えて伊勢神道を大成した。

ベック式!PDF教材の紹介
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虎関師錬、『元亨釈書』の覚え方

2009-02-08 | 『日本史ゴロ覚え(文化史編)』
ベック式!「原稿書くし 仏教史。
       『元亨釈書』   虎関師錬 鎌倉時代 仏教史

 2度に及ぶ元寇は仏教界にも歴史意識の高まりをもたらした。多くの高僧を輩出しながら、日本には彼らの通伝がないことを嘆いた虎関師錬(こかんしれん)は諸宗僧侶の伝記や記録などを記し(『元亨釈書』)、後醍醐天皇に献じた。

ベック式!魔法の暗記術公式ホームページ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベック式!「道元」「曹洞宗」の暗記法

2009-01-26 | 『日本史ゴロ覚え(文化史編)』
ベック式!「相当ええし どげんしょう。
       曹洞宗 永平寺 道元 『正法眼蔵』 只管打坐

 道元は内大臣久我通親の子で、13歳の時に出家して比叡山に学び、ついで建仁寺に入り、入宋求法の志をおこした。24歳で宋に入った道元は天童山の長翁如浄にあって印可をうけ帰国。公武の権威を嫌って真実の仏法宣布のため越前永平寺で弟子の養成にあたった。道元の開いた曹洞宗では只管打坐(ただひたすらにうち座る)、すなわち坐禅そのものによって悟りに至るとした。道元の著書に『正法眼蔵』がある。

ベック式!魔法の暗記術公式ホームページ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小林一茶、『おらが春』

2009-01-25 | 『日本史ゴロ覚え(文化史編)』
ベック式!「おらが俳句は 優しいさ。
『おらが春』 1819年 小林一茶 信濃

ベック式!魔法の暗記術公式ホームページ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

俵屋宗達、「風神雷神図屏風」を描く

2009-01-19 | 『日本史ゴロ覚え(文化史編)』
ベック式!「 風神雷神 倒れそう。
        「風神雷神図屏風」俵屋宗達 装飾画

 江戸時代前期、京都の町衆出身の画家俵屋宗達は、斬新な構図と豪華な色彩をもって装飾画を開拓。金地の大画面にユーモラスな風神雷神を描いた建仁寺蔵の『風神雷神図屏風』などが知られる。宗達によって切り開かれた装飾的な様式は、尾形光琳の先駆となった。

ベック式!魔法の暗記術公式ホームページ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベック式!魔法の暗記術「荻生徂徠」の覚え方

2008-11-18 | 『日本史ゴロ覚え(文化史編)』

  ベック式! お灸の所為だよ 敬遠は!。
          荻生徂徠  『政談』  吉宗  蘐園塾
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寛政の改革の出版統制

2008-10-01 | 『日本史ゴロ覚え(文化史編)』
 閑静で 洒落た東京 濃い黄色。
   寛政の改革   洒落本           恋川春町
        「仕懸文庫」 山東京伝    黄表紙 「金々先生栄華夢」
 
 寛政の改革期、老中松平定信は田沼時代にゆるんだ風紀を引き締め、財政の安定をはかるため、洒落本作家の山東京伝や、黄表紙作家の恋川春町らを、風俗を乱すものとして処罰した。
                                           
● 山東京伝 江戸後期の戯作者。多芸多才で商才にも長じ、洒落本に名作を残す。代表作に『仕懸文庫』。     

● 恋川春町 江戸中期の黄表紙作者。居所である小石川春日町をもじって、恋川春町と名のった。『金々先生栄華夢』などにより黄表紙を流行させた。


〈天保の改革の出版統制〉 天保の改革では『春色梅児誉美』を書いた人情本作家の為永春水や、『偽紫田舎源氏』を著した合巻作家の柳亭種彦らが処罰を受けた。「人シュンとして、懲り懲りに」と覚えよう。
       人情本 為永春水
             『春色梅児誉美』
              天保の改革 合巻本 柳亭種彦 『偽紫田舎源氏』

ベック式!魔法の暗記術公式ホームページ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狩野永徳、「唐獅子図屏風」

2008-10-01 | 『日本史ゴロ覚え(文化史編)』
桃の絵得意 楽だから。
 桃山文化 狩野永徳 「洛中洛外図屏風」「唐獅子図屏風」
 安土桃山時代、文化は中世的な宗教文化から解放され、現世的で雄大・華麗な文化が開花。室町時代、正信によって興された狩野派に永徳が出て、「唐獅子図屏風」をはじめとする新しい装飾画を大成した。 

ベック式!魔法の暗記術公式ホームページ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本多利明、『経世秘策』・『西域物語』を著す

2008-09-17 | 『日本史ゴロ覚え(文化史編)』
ホンダ形成 富国策。 
  本多利明 『経世秘策』『西域物語』 富国策 
 越後の経世家本多利明は日本各地を遊歴し、天明の飢饉やロシアの南下を機とする北方問題への関心から貿易による富国政策の必要性を痛感。『経世秘策』・『西域物語』などで、航海・貿易・開発・専売などによる開国進取の海外経略富国策を主張した。
                   
暗記のポイント 本多利明は『経世秘策』・『西域物語』などで、富国策を主張。

● 『経世秘策』 本多利明著、1798年成立。「経世秘策」とは国を経営し、富国とすべき秘訣となる政策の意。自ら見聞した天明の飢饉からの鋭い危機意識を背景に、西洋の知識に裏づけられた富国策を示した。

● 『西域物語』 本多利明著、1798年成立。「西域」は西洋の意。西洋事情を肯定的に紹介。利明の経世論が、当時の鎖国下では注目すべき西洋認識に裏づけられていることをよく示す。


〈経世論〉 本多利明が『経世秘策』・『西域物語』を著した頃、藩の専売制
にともなって商品経済が発達。こうした経済の発展を背景に、太宰春台は『経済録』で藩の専売を提案(「太宰」の〈ザイ〉は『経済録』の〈ザイ〉)し、安藤昌益は『自然真営道』で武士が農民から収奪する封建社会を批判した。また、佐藤信淵は『経済要録』・『農政本論』で重商主義的な殖産興
業政策、統一国家を構想した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 1000年頃 清少納言、『枕草子』を著す

2008-09-17 | 『日本史ゴロ覚え(文化史編)』
聖書枕に 屁ぇこくで。
清少納言 『枕草子』 平安時代 国風文化 定子
 平安時代の国風文化を支えたのは、宮中の女性たちを中心とした仮名文字の普及であった。一条天皇の中宮定子に仕えた清少納言は、貴族生活や自然の移り変わりを鋭敏な目で見つめ、随筆『枕草子』を著した。美に対する清新な感覚、人事に対する細かく鋭い観察などは、『源氏物語』と並ぶ古典文学の白眉とされる。                  
暗記のポイント 
 中宮定子に仕えた清少納言は随筆『枕草子』を著した。

● 清少納言 歌人清原元輔の娘。紫式部と並び称せられた才女で、一条天皇の中宮定子に仕えた。著書には『枕草子』のほかに家集『清少納言集』がある。

〈『国風文化』〉 菅原道真の建議によって遣唐使が廃止されると、唐の文化の影響が薄れ、わが国独自の国風文化が発達。かな文字を基礎とする国文学が隆盛を極めた。和歌の分野では『古今和歌集』が編纂され、物語では『源氏物語』が成立。貴族は寝殿造と呼ばれる邸宅に住み、大和絵が描かれた。また、仏教では来世の極楽浄土を願う浄土信仰が生まれた。
「死んで浄土か 若者や」
         寝殿造 浄土信仰 かな文字 和歌 物語 大和絵

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする