▲15世紀のマラッカ王国の支配領域
インドネシア(マラッカ王国)
Parameswara fled the island kingdom after a Majapahit naval invasion in 1398 and founded his new stronghold on the mouth of Bertam river. Within decades, the new city grew rapidly to become the capital of the Malacca Sultanate.
意志をマラッカ 言い歩け。
1400年 マラッカ王国 ~1511年 イスラム
スマトラ島のパレンバンにいたシュリーヴィジャヤ王国最後の王子パラメスワラはパレンバンを統治していたマジャパヒト王国の内乱に乗じて独立を企てたが失敗、マレー半島西南部のマラッカに逃れて、マラッカ王国を建てた。マラッカ王国は最初、アユタヤ朝に毎年の納税を義務づけられていたが、15世紀初めに明が派遣した鄭和艦隊がマラッカを中継地点として利用するようになってからは、インド洋と東南アジアを中継する位置を利用して、ジャワのマジャパヒト王国にかわる東南アジア最大の貿易拠点となり、明の力を巧みに利用してアユタヤ朝の支配から独立した。
また、艦隊がもたらした豊富な中国商品は各地の商船を集めることになり、マラッカは東南アジアにおける中継貿易の中心となった。だが、明からの艦隊の派遣が中止され、明の後ろ盾を失うと、マラッカ王国は交易の主導権を握っていたイスラム商人の懐柔を図るようになる。そのため国王はイスラム教に改宗し、マラッカ王国は東南アジア最初のイスラーム教国となった。
香料貿易の中継港としてインド、中東からイスラム商船が多数来航し、明や琉球に香、胡椒、象牙などを輸出した。東南アジアにおけるイスラム布教の拠点ともなって繁栄したが、1511年、ポルトガルのインド総督アルブケルケに占領された。
▼パラメスワラ
▼インド総督アルブケルケ